第4話
柔らかな雪にゆっくりと身体を沈めると、ロロは改めて頭をさげた。
「外から来た客人よ。どうかリーナさまを悪く思わないでおくれ。」
日陰に移ったことで水滴は落ちなくなったものの、溶けた部分は戻ろうとはしない。
「リーナさまはご自身の力のこと、よく解っておられぬのだ。生まれた洞窟を出たこともほとんどないため、己のせいで森を削っていることも存じておられぬ。」
「ロロ~!」
フォスが何かを見つけて戻ってきた。
フォスの頭上には、丸い物体が浮かんでいる。
イライザはそれをてっきり小さな雲だと思ったが、よく見ると目と尾ひれがある。どうやら魚らしい。
「フグ?」
すると握りこぶしほどのフグが、プンプン怒り始めた。
「失敬な!私は雪鯨ですよ!」
「噴水が見たい!」
ジノに鼻先でつつかれた雪鯨は、高く浮上したもののすぐに目の前に落ちてきて、
「ちょっと止めてください!まったくもう最近の若いのはすぐ大人をおもちゃにして!」
どうやらこれでも大人らしい。
「鯨って物凄く大きいんじゃなかった?」
「省エネです!」
疑いの目を向けるイライザに、フグ鯨は威張っている。
フスフス嗅ぎまわるジノの鼻息で浮き沈みしてしまうのが、なんとも不安定で滑稽だ。
「そこの犬みたいな狼!止めてくださいって言ってるでしょうが!噴水で飛ばしますよ!」
「だめだよ!噴水をロロさんにあげるために連れてきたんじゃないか!」
大慌てで飛び上がり雪鯨を捕まえたフォスが、急いでロロの元へ連れて行く。
「すまないなフォス。雪鯨は見つけにくいのに。ありがとうよ。」
フォスが手を放すと、雪鯨はロロの上をフヨフヨと飛び回り、粉雪のような噴水をほんの少しだけサラサラと噴き上げた。
虹色に輝く噴水は落ちると氷になり、ほんの少しロロの身体を強くしたようだ。
「すみません。元の大きさならもっと出せるのですが。」
「いやいや十分だ。お前さんもきつかろうに、すまないな。」
「本来の私は山のように大きくて、いつもフォレストの上空を飛んで、噴水の力で森を癒しているのです。」
疲れたのか眠りに落ちたロロの代わりに、雪鯨がホワイトフォレストのことを教えてくれた。
ホワイトフォレストのドラゴンは小さな洞窟で生まれ、半月もすれば飛べるようになり、数ヶ月で一気に成長すると同時に洞窟から天空へ躍り出て、フォレストを支配するのだという。
しかし先代のドラゴンから代替わりしたリーナは、いつの頃からか食事を摂らなくなり、日に日に弱っていること。
そのため、成長するまでもつはずで残された先代の力も、もう付きかけていること。
そして、それらを含めリーナには多くを伝えず、フォレストの民は身を寄せ合い、リーナが空へ羽ばたく日をじっと待っているのだということ。
「何故リーナは食事とらないのかしら。美味しくないの?」
「じゃぁ、夏太郎を呼べばいいよ!」
ジノの言う夏太郎とは、料理が上手い乾物屋の猫だ。
だが雪鯨はこれを否定した。
「まだ幼いリーナさまが召し上がるのは小さな果物などで、手を加える類のものではありません。世話をしているルカの話では、どうも食べたくないようなのです。」
「しかしこのままでは、みな死んでしまうのですよ。ドラゴンの加護なしにフォレストは存在出来ません。共に暮らすものとて同じこと。何よりリーナ自身が危ういではないですか。」
蒼蓮は納得がいかないようだ。雪鯨の小さな身体が下降する。
「私達のことは良いのです。フォレストの住人はフォレストと共にある、それだけです。私達の命、そのような重責を負っていただきたくない。それよりもリーナさまが心配なのです。ほとんどお食事も摂られないせいで日に日に弱っておいでで。」
「確かにジャニックも、幼い頃は葛藤を抱えていたようでしたが・・・。レッドフォレストの先代は、はっきり伝えてましたから。民の命はお前次第、その重圧も担うのだと。彼らは生まれ落ちた瞬間から神であり、人生は決まっている。神の命がフォレストの力となる。しかし、それを知らぬなら何故でしょう。神という立場自体を拒絶しているのでしょうか?」
「リーナさまが望まないのであれば、皆、神になって欲しいとは思っておりません。ここがただの森になってもいい。次の神が現れれば私達もまた生まれる。それでも良いのです。」
雪鯨は宙に浮いたまま頭を下げた。
「この先の洞窟にリーナさまがおられます。どうかお力になって差し上げてください。」
言われたとおりに進むと、霧氷に覆われた広場に出た。
石造りの洞窟を背にして遊んでいた雪鬼たちは、突如現れた見知らぬ訪問者に驚いて手を止めた。
「何だお前達!ここは立ち入り禁止だぞ!」
「そうだ、リーナさまはここにいないぞ!」
「帰れ帰れ!」
手を広げて洞窟を通せんぼしている。
いるんだ・・・。
全員そう思ったものの、言わない方が良さそうだ。
「僕たちリーナさまのお見舞いに来たんだよ。」
ジノの言葉にも、険しい表情の雪鬼は耳を貸そうとしない。
「嘘付け!そんなこと言ったって信じないぞ!」
イライザは雪鬼が持っているフリスビーに目を止めた。
小さな雪鬼には大きすぎる。上手く投げられないだろう。
「ねぇ、そのフリスビー変わってるわね。雪の結晶?」
すると警戒心露わに騒いでいた雪鬼たちが、打って変わって自慢を始めた。
「綺麗だろう?これは今朝、向こうの泉に出来てたのを拾ってきたんだ!昔はいつでもあったけど、今はめったに見かけなくなったからな。結晶の形をしてるから投げるのが難しいし、どこに飛んで行くか判らないから捕まえるのが大変なんだぜ!」
「ふうん。」
イライザは少し考えて微笑んだ。
「投げてあげようか?」
雪鬼たちの表情がパッと明るくなる。
「ほんとか!?」
「えぇ、いいわよ。貸してみて。」
試しに投げてみると、氷で出来たフリスビーは、くるくる回転しながらなめらかに宙を飛ぶ。
目を輝かせた雪鬼たちは我先にと走り出した。
「いけるわね。」
満足げに頷いたイライザは、フリスビーを抱えて戻ってきた雪鬼たちに提案した。
「ねぇ。誰が取れるか勝負しない?」
「勝負?」
「そう。私が遠くまで、そうね、あの大きなモミの木めがけて投げるから、キャッチした人の勝ち。」
「そんなの俺の勝ちに決まってら!」
「僕だって負けないよ!」
「やるやる!」
「じゃぁこうしましょう。もし、この狼が取れたならリーナさまに会わせてくれる?」
雪鬼たちはジノを見上げた。
「いいよ!絶対負けないし!」
「俺たちのが上手いに決まってら!」
自信満々の雪鬼とは対照的に、ジノは不満げだ。
「嫌だよ僕。そんな犬みたいなこと!」
なんと!狼のプライドが許さないらしい。
この犬にそんなものがあったのか!
驚くイライザだったが気取られてはならない。
「あら?久しぶりに一緒に遊べると思ったんだけどな~。」
「犬じゃないもん!もっと違うのがいい!」
イライザはフリスビーを振ったが、ジノは珍しくそっぽを向いている。
しかしチラチラ手元を見ている。気になってはいるらしい。
あと一押し。
イライザは奥の手を使うことにした。
「そうね・・・もし取れたらあれやってあげるわよ。さっきの蒼蓮にもたれるやつ。」
首が千切れるかというほどの速さで振り返ったジノは、大きく尻尾を振って叫んだ。
「早く投げて!早く!!」
抜けるような青空と、真っ白な雪のコントラスト。
並ぶ雪鬼の中に、殺気を放つ大きな銀狼が混じっている。
イライザは笑いを堪えながら、フリスビーを構えた。
「行くわよ!」
掛け声と共に投げられたフリスビーは、くるくると回転しながらモミの木めがけ、滑るように飛んでいく。
ワーワー歓声をあげながら追いかける雪鬼と共に走り出したジノだったが、雪慣れした雪鬼たちに遅れを取っている。
地面が所々凍っているらしく、足を取られて走りづらそうだ。
これは負けるかな・・・?
イライザがそう思った時、フリスビーが緩やかな軌道を描いて下降を始めた。
先頭の雪鬼がジャンプしたのを見たジノは、力強く地面を蹴って更に上に飛び上がると、大きな身体をしならせ見事フリスビーをキャッチした。
しかしそのまま、どしんっと盛大にモミの木にぶつかって、ぎゃんっという鳴き声と共に地面に落ちる。
衝撃でどさどさと樹上から雪が落ち、ダメ押しで次々と雪鬼にも乗られたジノだったが、直ぐに立ち上がり、身体を振って雪鬼ごと雪を落とすと、雪煙をあげながら大急ぎで戻ってきた。
「はい!取ったよ!はい!」
千切れんばかりに尾を振る頭を一度だけ撫でたイライザは、
「おめでとう。確かに一番だったわ。でもほら、せっかくのフリスビー割っちゃってるじゃない。キャッチするときに思いっきりくわえたわね?」
「うっ・・・!」
フリスビーは周りの結晶がバキバキに割れてしまっていた。
「ということでごほうびはなし。ちゃんと謝りなさい。」
「えぇぇ!?そんなぁ・・・!」
ジノは額をじんじんさせながら、尻尾を下げてうなだれた。
ぶつかり損の走り損である。
「ごめんなさい。フリスビー割っちゃったの。」
「すっげぇ!」
「すっげぇ飛んだな!」
「いいよいいよ、また探してくるから!」
「もう一回やろうぜ!」
「なんだよ、泣くなよ!」
雪鬼たちはジノの尻尾につかまったり、手を伸ばして撫でたり大興奮だ。
さて、これでリーナに会えるわね。
イライザが満足げに頷いたとき、
「物凄い音がしたけど。君たち何してるの?」
振り返ると洞窟の入口に、果物籠を抱えた少年が立っていた。
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