第3話

「速い速い速いっっっ!!」

オリビアの上空を、真紅のドラゴンが翔んでいた。

じゃぶじゃぶと三輪車を洗っていたアライグマの洗濯屋ポポンが、猛スピードで空を横切る小さな点を見つけてつぶやく。

「すげぇ・・・隕石かな。」

余りの高さとスピードにおののいて、必死でしがみつきギャーギャー叫ぶイライザを無視し、ジャニックは更にスピードを上げた。

実はこのときジャニックはニヤリと笑ったのだが、もちろんイライザがそれに気付く余裕は無い。

「ひゃっほう~!!!!」

ジノは気持ち良さそうに歓声を上げている。

結局、セシルはマーガレットに連れられ、ジョジョは紅蓮の尾に巻かれ、どこかへ行ってしまった。

イライザと蒼蓮が余りに文句を言うので、仕方なくジャニックはここまで乗せて来たのだ。

ちなみにジノは人型のまま、喜んで大きな頭に乗っている。

一足飛びでホワイトフォレストの上空まで飛んできた巨大なレッドドラゴンは、「ふんっ。」と鞭のように首をしならせた。

ジノは大笑いしながら落ちて行ったが、しがみついていたイライザが一度で落ちなかったので、ジャニックはむしりとるようにくわえて、ぺっ!と吐いて落とした。


 イライザたちが落ちていったのは広い雪原だった。

空中で狼に戻ったジノは華麗に一回転して着地を決め、そのまま走り回って喜んでいる。

一方イライザは飛ぶことすら頭に浮かばず、

ごふっ!

盛大に粉雪を巻き上げて、頭から雪に突っ込んだ。

フードごとイライザの後頭部を蹴り、巻き上がった雪がかからない場所へ降り立った蒼蓮は、涼しい顔でかしかしと顎の辺りをかいている。

「入り口に降ろして、って言ったのに何してんのよ!嫁入り前の女子を空から落とすなんて、ばっかじゃないのアイツ!雪が浅いとこだったらどうすんのよ!」

口に入った雪を吐き散らしながら怒鳴るが、ジャニックの姿は既にない。

早々に引き返したようだ。

またも怒りの持っていきどころを失ったイライザは、雪を跳ね上げながら突進してきたジノの鼻先を、ばしん!と叩いた。

「ぎゃんっ!痛いっ、痛いよ!」

「うるさい!落ち着きなさいよ、まったくもう!」

何故怒られたのか全く解らないジノだったが、また叩かれたら嫌なのですぐにおとなしくなる。

ジャニックなら、そんなことしないよ?と言いかけたのも引っ込めて正解だ。

「いきなり入っちゃったじゃない!ドラゴン怒らせたらどうすんのよ!」

フォレストに入るときは、フィリップに教わったお邪魔しますの儀式があるのだ。

「儀礼も何もあったもんじゃないわよ!」

「時短じゃない?」

「空から落とすというより、吐いて捨てたという方がしっくり来ますが・・・。あのジャニックに送らせただけでも大したもんですよ貧乳。あぁ寒い。」

ぶるりと身を震わせた蒼蓮はイライザの肩に飛び乗ると、

「何かあったら呼んでください。」

と言い残してフードに戻ってしまった。

よく晴れて天気は良いが、風が少し吹いて粉雪が舞っている。レッドフォレストの住人らしく蒼蓮は寒さが苦手らしい。

つくづく今回は貧乏くじを引いている。

「何かあったらって、何かあっても嫌だし、どうすりゃいいのかも判んないわよ。」

ブツブツ言いながらぐるりと見渡してみるものの、雪をかぶった大きな針葉樹群が見えるくらいで、あとは一面の銀世界が広がっているだけだった。

もちろん毎度のことで、どちらへ行けばいいのかも判らない。

するとジノが鼻先を雪に付けて、フスフスフスと雪面を嗅ぎまわり始めた。

「また!もう~遊んでんじゃないわよ!」

ため息をついたイライザが、もぞもぞと雪を掻き分けて進むジノの尻尾を掴もうとした時、

「わぁっ!見つかっちゃった!」

ジノの鼻先につかまって、真っ白な仔うさぎがぴょこんと出てきた。

驚いて目を凝らすと、ぴょこぴょこと雪の影から仔うさぎたちが顔を出している。


「僕はジノ。こっちはイライザ。君はだぁれ?」

ぴょんっと鼻先からうさぎを跳ねさせて、ジノは雪まみれの顔で笑った。

くるんっと回転して上手くジノの頭に乗った仔うさぎは、きゃっきゃ笑って答える。

「僕はフォス!そっちの小さいのはココ、耳の先が少し黒いのがアル!お兄ちゃん、すごいねぇ!僕かくれんぼで見つかったことないのにさ!」

フォスと答えた仔うさぎは、ジノが頭で軽くリフティングしてやると、丸くなって楽しそうにぽんぽん跳ねた。

「ねぇ、僕も僕も!」

「私も!高い高いして!」

どうやらあっという間に気に入られたらしい。

動物と仲良くなることに関して父に匹敵する人はいないと言い切れるイライザだったが、ジノもそうかもしれない。

ちょっと違うような気もするけど。ジノは子供限定かも。

そう思いつつ、うさぎたちが楽しそうなのでしばらく遊ばせておくことにする。

ま、ジノも子供だからね。

ジノが次々と背に乗せて走り回ったり飛び跳ねるのを眺めていると、ココと呼ばれた一番小さなうさぎが寄ってきた。

「おねぇちゃんは遊ばないの?」

イライザは人差し指で軽く頭を撫でてやりながら微笑む。

「おねぇちゃんはちょっと休憩中。」

「ふぅん。ココちゃんも休憩する~。お兄ちゃんたち、元気すぎるんだもん。」

ココはイライザに寄り添うように丸くなった。真っ白な身体がすぐ雪面に紛れ、下手したら踏んでしまいそうだ。

「そうだ。ココちゃん、いいものあげようか。」

「なぁに?」

イライザはフードの中に手をやると、ジャニックよりは丁寧に蒼蓮をつまみ出し、そっとココの前に降ろした。

「うわぁ!可愛い!!!」

小さな獣が出てきて驚いたココだったが、興味津々な様子で嗅ぎまわったかと思うと、

「こんにちは。」

蒼蓮の鼻に自分の鼻先をくっつけて挨拶した。

「ふふ、キスされちゃったね。蒼蓮。」

「何ですかいきなり!?」

面食らう蒼蓮にイライザは吹き出した。

「女の子には優しくしなきゃ。仔うさぎのココよ。あそこで遊んでる子たちの妹みたい。こっちは蒼蓮っていうのよ。私達と一緒に来たの。可愛いでしょ~。」

自分と同じくらいの蒼蓮に、ココは興味を持ったようだ。

「ねぇ遊ぼう、蒼蓮。」

「嫌です。あっちのバカ犬のところに行けばいいじゃないですか。」

「え~。ココちゃん、蒼蓮と遊びたいんだもん。」

「お断りします。寒いのは好かぬのです。」

「じゃぁココちゃんが一緒にいてあげる~。くっついてたら温かいよ。」

ぴったりと身を寄せてココは微笑んだ。

「ね?あったかいでしょ?」

これにはさすがの蒼蓮も邪険にできず、しかめっつらだ。

「ココ。あなた震えているではないですか。寒いのですか?」

「えへへ。ココちゃんまだ赤ちゃんだから、寒いのちょっとだけ苦手なの。でもリーナさまのこと大好きだから、すぐお兄ちゃんたちみたいに平気になって一緒に遊ぶんだ~。」

リーナの力が弱まっているとはいえ、ホワイトフォレストは風も空気も刺すように冷たい。

「確かに冷えるわね。鼻水出てきた。」

「まったく。」

蒼蓮のため息と、プチンと紐が切れる音と同時に、突如巨大な白銀の獣が雪原に現れた。


「半分ぐらいの大きさで良かったんじゃない?ココ、びっくりして逃げちゃったわよ。」

「私を何だと思ってるんです?貧乳。そんな器用に調整できませんよ。」

きっぱり言い切った蒼蓮の白銀の毛並みが、眩しい日差しを受けてキラキラと輝いている。

頭上で吐かれる真っ白な息は、まるで巨大なスチームだ。

本来の姿に戻った蒼蓮は、ゆったりと腰を下ろした。

「風が当たる面積が広くなるから小さくまとまっていたのに、全く。」

「わ~い。」

イライザは大喜びで蒼蓮の腹にもたれかかり、ふさふさの尻尾を毛布よろしく膝に乗せた。長く伸びた腹の毛をお尻の下に敷くことも忘れない。

「うわぁ、あったかい!コレよコレ!!!」

ジノにやらせたかったことはこれなのだ。

「いらっしゃいココ!すごくあったかいわよ!」 

驚いて飛んで逃げたココを連れて、ジノが駆け寄ってきた。

「あ!イライザずるい!僕に言ってくれたら暖めてあげるのに!ほら!」

急いで腰を下ろし、パスパス尻尾で雪原を叩いて呼ぶが、

「ずるくない。いい、こっちで。」

反応は冷たい。

「うぅぅ~。じゃぁ僕も入る!」

「ちょっと!押さないでよ!アンタは自家発電で暖取ってなさいよ!」

「嫌だ、入る!僕もこっちがいい!!!」

強引に入り込んだジノが尻尾を振る側で、仔うさぎ達は丸太のような前足に乗って、蒼蓮の大きな顔を見上げていた。

「うわぁ~大きいねぇ。」

「てっぺん見えないや。」

「登れるかな?」

最初はおっかなびっくりだったが、子うさぎは好奇心旺盛だ。

すぐに我先にとよじ登り始め、長い毛を掴んだり潜ったり悪戦苦闘を始める。

残ったのはココだ。

まだ小さいココは、前足に登ることすら難しい。

鬱陶しそうにしながらも好きにさせていた蒼蓮は、前足で雪ごとココを持ち上げると、頭の上まで上げてやった。

兄よりも先に頂上へたどり着いたココは、飛び上がって喜ぶ。

「わ~い!一番乗り!!!」

「あ!ずるいぞココ!」

「ふぅ。やっと着いた!」

「すげぇ!こんな高いところまで登ったことないや!」


「蒼蓮は神様の匂いがするね。」

暖かな額に寝そべっていたココが、ぽつりと呟いた。

「私はレッドドラゴンの護り役ですからね。四六時中ジャニックの側にいますから、あれの匂いが付いているんでしょう。」

蒼蓮は仏頂面のまま答える。

陽射しに温かく照らされているものの、やはり寒いのだろう。

「え?じゃぁ外から来たの!?」

「そうだよ!ジャニックに頼まれたんだ。リーナが元気ないから見ておいでって。」

視線を交わすアルとフォスの表情が曇る。蒼蓮は目を細めた。

「どうやらホワイトフォレストの力が弱まっているというのは本当のようですね。」

「そうなの?全然判らないけど。雪まみれじゃない。溶けてるとか言ってなかった?アイツ。」

イライザは首をかしげる。

アイツというのはもちろんジャニックのことだ。

神であり主であるジャニックをアイツ呼ばわりされたにも係わらず、首をもたげた蒼蓮はとがめるでもなく霧氷に覆われた森を見つめている。

「確かにここには雪が残っていますが吹雪いてもいない。ホワイトフォレストは本来、雪と氷が支配する極寒の森。今はむしろ暖かい。それに私達余所者が入り込んでも何も起こらない。本来であればリーナの力で即氷付けにされてもおかしくないのですよ。まして私は今、本性に立ち戻っている。フォレストから見れば危機的状況と言ってもいい。噂どおり力が弱まっているのか、最低限だけ維持しているようですね。」

「僕たちにも判らないんだ。」

「ルカも森のみんなも心配してる。」

「ルカはね、リーナさまの一番の仲良しなんだよ。いつも一緒なんだ。」

するすると滑り台のように蒼蓮から降りた仔うさぎたちは口々に言った。

「お願い、リーナさまを助けてあげて。」


 一同はフォスの案内でホワイトフォレストを進んでいく。

奥へ進むにつれ冷え込みは厳しくなった。

蒼蓮の背に乗っていたイライザは、身体の大きな蒼連の足が雪に埋まって歩きづらくなったので、小さな姿へ戻してフードに入れると、ふわりと宙に浮いた。

蒼蓮の背は温かくて快適だったが、この積雪量ではこの方が効率的に進むことが出来る。

一方、狼の姿のジノは身体が沈むのをもろともせず、先頭を行くフォスの後を進んでいた。


 雪原を抜けて入った森は、しんと静まり返っている。

時おり見かけた雪の精は、樹の幹に腰をかけたり宙を漂いながら、息を吹きかけた手のひらに小さな雪の馬車や蝶を作って遊んでいたが、結晶の形をした車輪も羽もすぐに溶けてしまい、どれも少ししか飛ばず寂しそうだった。

森の中に入ってみると積雪は深くなかったので、イライザは歩くことにした。

右手の大きなモミの枝葉から、ぽたぽたと雪解けの水が落ちて小川を作っている。

相変わらず寒いが、木々の隙間から差し込む陽射しは温かい。

雪と氷の森というより、春が近づく雪解けの森という感じだ。

雪を割って、今にも緑が芽吹きそうな印象さえ受ける。

これもリーナの力が弱まっているせいなのかしら・・・。

イライザが複雑な気持ちで眺めていると、がさがさと木立が揺れて一頭の氷狼が姿を現した。

「お前達。これ以上先へ進むこと、この俺が許さん。」

「あ!ロロさんだ!」

「フォス!また勝手に遊んでいたな!セツが探していたぞ、親に心配かけるもんじゃない。ココに何かあったらどうするんだ!」

ロロと呼ばれた氷狼は、白い息を吐きながら仔うさぎたちを叱責した。

氷の身体は透明で、余分な肉はなく引き締まっている。

低く唸るロロはジノから視線を離さない。

気付いたフォスは慌てて前へ出た。

「勝手に出掛けたことはごめんなさい!母さんにもちゃんと謝るよ。でもこの人たちは怪しい人なんかじゃない、お客さんなんだ!」

ロロの気迫におびえて固まっていたアルたちも言い募る。

「レッドドラゴンに頼まれたんだって!」

「リーナさまを心配して来てくれたのよ!」

「うそじゃないもん。ココちゃんうそついてないもん!」

信用出来ないと首を振るロロだったが、ココが涙を浮かべるのに気付いて息を吐いた。

「すまなかったココ、お前達を疑ってしまった。」

イライザが慌てて手を振る。

「いえ、こちらこそすみません。ちゃんと手順を踏むつもりだったのですが、あのバカ神のせいで・・・いや今そんなことは。私はイライザ。フォスたちの言うことは本当です。私達はレッドフォレストのドラゴンに頼まれてリーナの様子を見に来たんです。えぇと偵察とか怪しい意味ではなくてその。」

「お見舞いみたいな感じ?」

ジノが首をかしげる。

「そうか。突然大きな気配がしたから慌ててやってきたんだ。けれど、もし君たちが侵入者だとしても、この細い脚ではろくに走ることもできず、身体はすぐにバラバラに割れていただろう。フォレストの大切な仔うさぎを助けることすら叶わぬところだったよ。」

力なく笑うロロの身体からぽたりぽたりと水滴が落ちて、白い雪に染み込んでいた。



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