第二章 その1 結成式はお好み焼きで
「えー、親愛なる生物部の皆様とは、本日から我々は化学生物部としてともにに歩んでいくこととなりました。これは我々にとっても大いなる前進であり、強いては将来の日本の、いや世界にとっても多大なる潤いをもたらすと……」
またもどこから突っ込むべきか悩む気すら失せる弁舌を丸岡先輩は披露している。俺はしゅうしゅうと泡を立てるジンジャエールのグラス片手に貧乏ゆすりでやりすごしていた。
ここは学校近くのお好み焼き屋。観光客の行き来する表通りから一本入った裏通りにある古い木造の店舗だ。
鉄板の敷かれた机が4つだけでいっぱいいっぱいな店内には、俺たち5人の他に作業着を着たおじさん2人組と本校の制服を着たカップルが入っていた。平日の夕方6時前でこの人入りなのだから、結構繁盛していると考えて良いだろう。
俺たちはこのお好み焼き屋で『化学生物部結成パーティー』を開いていた。この店は中京高生のたまり場で、何かしら打ち上げをやるとなると2回に1回はここで落ち着く。
4人掛けのテーブルにスポンジのとび出しかけたパイプ椅子を寄せて無理矢理5人で座っていた俺たち化学生物部は、グラスを持って乾杯の合図を待っていた。
それにしても、この口上長いなあ。鉄板の上のパーティーサイズの巨大お好み焼きがジュジュジュと水を弾く音も徐々に弱くなっていく。まあ、お代は新部長の丸岡先輩が大半を払ってくれるみたいなので、いつものように口を挟んだりはしなかったが。
ちなみに家族にも夜は食べてくることは既に連絡済みなので、今日の夕飯も融通が利くようになっているだろう、と勝手に期待しておく。
「いやあ、本当にありがとうございました。それでは、乾杯!」
「乾杯ー!」
ようやく俺達のグラスがカランカランとぶつかり合った。俺はまず正面に座っていた原田のオレンジジュース、続いて川勝のカルピスソーダ、トシちゃんのピーチスカッシュと順々にジンジャエールをぶつけていく。最後に先輩のウーロン茶のグラスに触れて、そのままジンジャエールの半分を一気に飲み干した。
「ぷはぁー、うめぇ」
「シロ、おっさん臭いで」
丸岡先輩がウーロン茶を一口すすってから言った。
「人間ビールを飲めるようになれば誰でもこうなります。どうせあと3年やないですか」
鉄板いっぱいに広がったお好み焼きから自分の分量をへらで切り分けながら、ちらりと川勝に目を遣る。
「ねえねえ、深夜アニメの『スターズ・イン・ヘブン』て見てる?」
「いや、初めて聞いたわ」
隣に座った原田が川勝を質問攻めにし、少し困った様子だった。原田にとっては初めての同性同学年の化学部員であり、少しでも仲良くなりたいのであろうが、残念ながら原田の嗜好に川勝の興味関心はあまりヒットしないようだ。
と言うか原田よ、お前は今現在何本のアニメを見続けているのだ? さっきから少なくとも20本は名前が挙がっているような気がするぞ。それも男性向け女性向け、お子様向けオタク向け問わず。
「智子さんはアニメほとんど見ていないですからねえ。テレビ番組もあんまし見てないとか仰ってましたもんね」
お好み焼きを呑み込んで、トシちゃんが原田に補足説明を加える。
「そうか、あんま見てへんのかあ。じゃあ、見るとしたらどんなん見てんの?」
「生物のドキュメンタリーとかかな。最近やと、北欧の針葉樹林の1年を撮影した特番とかなら見たけど」
「へえ、そういう番組見てるんか」
丸岡先輩も首を突っ込む。
「うちら化学部は関西人やから、何があってもナイトスクープだけはリアルタイムで見な1週間が始まらへん性質やねんけど、見てへん?」
川勝の頭上に巨大なクエスチョンマークが浮かんだ。
「……見てませんね」
「勝手に変な習性付け加えんといてください」
原田の厳しい突っ込みが入る。しかしあの番組が無いと1週間がつまらなくなるのは紛れも無い事実だ。
関西人にとって金曜の夜11時17分から始まるあの番組は昭和時代の小学生にとっての『八時だよ全員集合』に等しい。見逃せば月曜日のクラスの話題についていけなくなってしまう。
「1週間は日曜から始まるのではない、月曜も無論じゃ。金曜の夜11時17分からとイエス様もお釈迦様もアラーの神様も仰せつかったのじゃ」
「宣教師風に言わんといて下さい。信者の皆さんに怒られますよ」
先輩と俺はいつものノリではたき合う。そこにトシちゃんが「ちゃいますよ」と身を乗り出した。
「1週間は7日やなくて、月火水木金ナイトスクープ土日の8つなんが正しいんですよ」
こいつもか。
一方、原田は俺たちを無視し、すっかり会話のリードを失ってしまった川勝に話しかけていた。
「生物番組かあ。生物がホンマ好きなんやな」
「小さい頃から、そういう番組あると見ないと気が済まへん」
「ああ、分かる」
多分こいつはアニメの第1話的なイメージで共感している。
「生物にも色々あると思うけど、特にどんなのに興味があんの?」
「そう言われると困るなあ、何でもいける雑食性やし」
川勝が頬を緩めた。
「強いて言うなら、ガかな」
ナイトスクープで盛り上がっていた俺と先輩はトシちゃんを置いてけぼりにして凍りついた。原田も「へ?」と言って固まる。
店内が一気にしんと静まり返った。店の中にいた全員が川勝に注目していたようにも思える。
「ガて、あのチョウに似てるけどビミョーに違うアレのこと?」
俺は両手の甲を合わせ、ひらひらとさせながら恐る恐る尋ねる。
「うん、そのガ」
川勝は何のためらいも無く頷いた。
おいおい、昆虫って時点で女の子としてマイノリティなのに、よりによってガて超希少種じゃないか。チョウとかタマムシとか、まだきれいなやつはたくさんいるのに。
川勝は続けた。生気の無いはずの目に光が宿っている。
「ガて言っても特にスズメガのなかまかな。スズメガていうのはハチドリのように高速で翅をはばたかせて、空中でホバリングしながら飛ぶことのできるガのなかまなんよ。身体に比べて翅が小さくて、ストロー状の口吻を伸ばして花の蜜を吸うのが一般的な特徴で、幼虫はいわゆる芋虫型なんやけど、尾に一本の角のようなトゲを持ってんねん。でも、それに触っても無害で、何のために付いているのかはまだ分かってへんのよ」
以上を一度も詰まることも噛むことも無く、バババと言いのけた。元化学部の面々は誰もがコメントに困っていたが、唯一原田が「ええと」と次なる話題を模索していた。
「そんなガがいるって知らんかったわ。ガって私は夜に電灯に群がって、自転車に乗ってたらたまに口に入ってくるイメージしか無いし」
「いや、俺は少なくとも入ってきたことは無いで。お前普段どんな乗り方しとるんや?」
俺がすかさず割り込むが、川勝は箸を置いて話し続けた。視線は俺ではなく原田に向けられていた。
「ガはほとんどが夜行性なんやけど、スズメガは昼間に行動する種類も多いんよ。多分、口に入るのは小型のメイガとかやないかな?」
原田に向けられたのは明らかに返答を待つ目だった。上目遣いに覗き込んで瞳をきらきらさせている。
「そうなんかなあ。メイガてのもよう知らんけど」
「メイガというのは農作物の害虫の代名詞みたいなものやね。大体が夜行性で夜に電灯に集まる小さなガで、細長いものが多いんよ」
いや、ガについてそこまで熱く語られましても。そもそもガにそんな種類があること自体に驚きだわ。
「智子さんは去年から継続して植物と昆虫の関係を研究してはりますから、ガに関しては圧倒的な知識を持っているんですよ。ところで、化学部の皆さんはどんな研究をされてたんですか?」
トシちゃん、グッジョブ。俺は去年の研究論文を頭の中でぺらぺらとめくり始めた。
「ああ、銀の水溶液に電気を通して銀メッキを作るのにどうしたら効率良くいくか、ていうこと調べてたなあ。それ以外は……どんなんありましたっけ?」
俺は先輩に顔を向ける。実のところ、そのひとつ以外はまともな活動はほとんどしていないのだ。実験器具を自由に使えるのを良いことに、紫キャベツを脱色した後ブルーキャベツに染め直してみたり、水中で花火を吹かせてみたり、硫化水素と腐った卵どちらが臭いかを検証してみたりとロクなことしていない。
先輩は目をあちらにこちらに、忙しく動かしながら顎に指を当ててうんうんと思い出す。
「そうやなあ、うちが1年の時は水素がどれほど爆発力あるか試したなあ」
「なんですか、それ?」
珍しく川勝が尋ねた。お好み焼きを口に放り込んではいたが。
「水を電気分解して水素を発生させて、うまいこと風船に溜めるんよ。で、チャッカマンで点火して、酸化させて一気に反応させると、どれだけの勢いで爆発するか調べるんや」
「……それ、危なくないですか?」
原田が先輩に弱々しく尋ねる。先輩はハハハと笑いながら答えた。
「死ぬかと思った。運動会で使うピストルを同じタイミングで100発同時に鳴らしたんかと思うくらいの破壊力やったわ」
だめだこの人。1年生の時も絶対にまともな研究やってないや。これで京大薬学部A判定なのだから、世の中分からないよな。
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