第9章2 イジメと見なされる強差


「な…―――――、…っ!!」


 ドッ…カァッ!!!!


 スィルカがモイックの位置を把握すると同時に後ろから蹴飛ばされる。それは強烈な一撃。


 背中がズキンズキンと痛む。吹っ飛んで闘技場の上を転がる彼女は、歯を食いしばりながら痛みに耐えると、体勢を立て直すためにみずから3回過剰に転がった。


「…驚きですー、見た目よりは結構やるようで」

 まだ立ち上がろうとするところで相手を言葉を投げかける。会話に乗ってくれば仕切り直す隙が作れるからだ。

 しかし、スィルカの考えはそうした戦術面の駆け引きとは異なるところで裏切られた。


「(!? ……何やら違和感がー……、近…い?)」

 感覚の齟齬そごとでも形容すべきか――――あれだけ派手に転がったと思ったのに、モイックとの距離が体感ほど離れていない。

 6m~7mは間合いを開けたつもりが、実際の相手との距離は目算で4mほどだった。



「…くひ。ふふふっ、うひっひっ、ふひゃっ、ふひゃひゃひゃっ!!」

 ああ、いと可笑おかし―――――モイックは、それはそれは気持ちの悪い声で高らかに笑い散らす。なんと面白い、我が世の春が来た! とでも言わんばかりの喜悦きえつぶりで。


「一体何がそんなに可笑おかしいんかはしりませんけど、…隙だらけですよってっ!」


 タンッッ!!


 フォッ、ォ――――オンンッ!


 闘技場の床を蹴り、間合いを詰めて急襲の蹴りを放つ。そんなスィルカの一連の動作は全てがつつがなく完遂された。


 相手の反撃も、防御も、回避もない。


 …しかし、彼女が振るった脚が中空に描きだした弧は、モイックの身体に一切触れてなかった。


「な…!? え、…え?」

 いつぞやのシオウのように、まるですり抜けたように錯覚させられる最小限の身動きだけで避けただとか、そういうことではない。

 モイックはその場から動いていない。腰に手を当てて余裕でたたずんでいるだけだ。


 スィルカの放った蹴りは、そもそもが届いていなかった。



 ・


 ・


 ・


「え? どうしてシルちゃんは今、あんな遠いところ・・・・・から蹴ろうとしたんでしょう??」

 素人のミュースィルから見てもスィルカのキックは間合いが遠かった。


 もう1、2歩前でなければかすりもしない位置。空振りした蹴りが一番相手に近づいたところでも、50cm近い開きがあった。



「牽制…とか、そんなはずはないですよね?? 相手の攻撃を受けてからの反撃する状況シーンで牽制攻撃なんて、意味がないはずですし」

 ノヴィンも呆気に取られながら不思議がる。


「っていうか今の蹴りもおかしいが、その前もなんかおかしいよな? 確かにあの野郎、少しは動き早くて意外っちゃ意外だったけども、目で見て追える・・・・・・・ようなスピードだ。けどスィルカ姫さんが簡単に後ろ取られ、なおかつ一撃貰うって…」

 リッドだけではない。

 観戦している全員が、あまりにも不可解な一連の両者の動き――――否、スィルカの動きの悪さに驚きの表情を浮かべている。その中にはあのガントでさえも含まれていた。


 …唯一、シオウだけは驚いてはいない。かわりに嫌なものを見たといった表情を浮かべている。



「あ! もしかしてまた、ジッパムっていう選手みたいに、相手の認識をずらすとか幻覚を見せるとかそういう類の魔法か何かを使っているのでは?」

(※「第6章4 ダミー・ヒュプノス」参照)


 ノヴィンの言葉に成程と思いかけるリッドとミュースィル。だがシオウは、首を横に振ってそれを否定した。


「いやノヴィン、あれはもっとヤバイものだよ。そしてスィルカにはある意味、最も最悪の相手かもな」


 ・

 ・

 ・


 ドガッ!! ズザァッ



「くううっん!! …はぁ、はぁ…、こんな何の変哲もない蹴りやのにこの威力は…?」

 それっぽく構えるでもなく、無造作に放ってきた素人丸出しのキック。


 それを防御して受け止めたスィルカは、衝撃が全身へと響く感覚と共に後方へと1mほど弾かれる。身体を支える両足が地面との摩擦で音を立て、軽く砂煙をあげた。


「ひひっ、ふひひっ、うくくくっ! …いやぁ…今、どんな気分ですかねぇスィルカ姫? ちなみにボクはサイコーの気分ですよぉ。笑いがもう止まらなくて大変で大変でぇ…、ひゃひゃひゃっあぁぁ!」

「っ! でしたらウチが止めてあげますー、その気持ち悪いんをっ!」


 ヒュッ…ゥウン………、トスッ!


「おおっとと、あぶなぁいあぶなぁい。いやぁ、すごぉい威力のキックだ、こわいなぁこわいなぁ~?」

 完全にからかっている口調が、スィルカの神経を逆なでる。

 かかと落としを受け止めたモイックの両腕は、どう見てもダメージがあるようには見えない。


「(あきませんー…これは落ち着かんと。相手ペースに乗ってしもうてる…)」


 タッ…


 床を蹴り、後方へと退くスィルカ。一度間合いを開け、この不可解な状況を冷静に見つめ直さんとする。――――が


 タン。


「!? な…んで……」

 両足が着地した場所で思わず絶句してしまう。

 確かに強く、そう強く地面を蹴ったはずだ。なのに元いた場所から後ろへと跳べた距離はわずか1mちょっと。


 彼女の脚力なら今ので4~5mは間合いを開けられる、普段であれば。


「ふひっ、ひひひっ…ムぅダぁ~ですよぉ~? このボクからは逃げられない…」

 満面の愉悦。どこまでも吊り上がる口の端は、見る者に不気味の極みを感じさせる。


 軽くメガネのズレを直し、自分の優位を楽しむモイック。その強さの謎がスィルカにはいまだ見えてこない。


「(さっきから攻撃も手応えないですし…また感覚がズラされるんいうような妙な魔法とか覚醒能力の使い手?)」

 かといって、今までそんな兆候は見受けられなかった。魔法にしろ覚醒能力にしろ、それを発動する直前にはそういった兆候があるはずだ。ただそれに気付けていなかった可能性もあると、とにかくスィルカは今までのやり取りを思い返しながら考えを巡らせる。


 一つだけ、今ハッキリとしている事。

 それは、このまま相手の謎が分からずに攻撃を仕掛けても絶対に勝てないであろうことだけは間違いなかった。



 ・


 ・


 ・


「ふむ、モイックの奴め…能力全開で仕掛けているな。スィルカ姫も災難な事だ…アレの相手をしなければいけないのは、心の底から同情するよ」

 勝利の確信と、チームメイトながらやはり気持ち悪い奴だと、仲間の応援よりも相手に同情するクドゥマ。


 その隣にいるモーロッソは、同情以上に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、苦しくも悲しそうな表情かおを浮かべていた。

 本来は内気で大人しく、戦技とは無縁な性格だ。自分が直接何か悪いわけでもないのに責任を感じて止まない。


「あの調子ならば、モイック一人で次鋒も片付けられるやもしれん…フッ、あるいはこの対戦、お前の出番はないかもしれないな? モーロッソよ」

「……そうですか」

 素っ気ない返事はいつも通り。だがその胸中では僅かに、そうなってくれたらいいのに、という願望の気持ちが起こってしまう。


 だがそれは 逃げ である。

 戦わなくて済むと、今すぐにでもこの状況から背を向けたいという弱い気持ちの表れだ。


 そしてそれは自分自身を咎める火種にもなった。責任感や正義感といったものが油となって投入され、瞬く間に激しく燃え上がり、自責の渦となってモーロッソの心を焼き焦がした。



 ・


 ・


 ・


 ガスッ! ドカッ! ゴスッ! ビリリッ!


「かはっ…、はぁ、はぁ…う、うく…ぐ…」

 殴る、蹴る、叩く、引っ張る。

 いずれもシンプルな、何の武術にも基づいていない素人の攻撃。しかし全てが効果的だ。

 もう10分近くもの間、スィルカの身を痛めつけ続けている。


「(また破けてしもうて…。終わったらすぐ直しに出さんとですねー)」

 こうも一方的にダメージを受け続けては開き直って笑うしかない。現実逃避な思考と共に口元に微笑をうかべるも、そこには勝利への自信はこれっぽっちも含まれていなかった。


「おやおや、ボロボロじゃあないですかぁ? どうしましたぁ、自慢のおみ足はもうご披露なされないのでぇ~す~かぁ~?」

 引き千切ったスィルカの装束の一部切れ端をこれ見よがしに見せ、手放して風に乗せる。まるでスィルカが自らの手のひらの上で踊っていると言わんばかりだ。


 ―――楽しまれている。それがまた腹立たしい。


 モイックは余裕綽々しゃくしゃくで、こちらを伺っている。

 構えもなく、戦闘技術らしいものは何もない。戦う術をもたない一般人の考えるような間抜けで精度の低い攻撃ばかり。


 そんなものにここまでされて、なお反撃の糸が掴めない。

 笑える。自信がなくなる。そして途方もなく悔しい―――――


「ふー、はー………ふー………。っ! んぁぁあぁぁぁぁっぁぁぁぁぁーーーーっっ!!!!」


 ヒュヒュヒュッ!! ヒュバッ! バッババッ!!!


「うほぉうっ!?? わ、ちょ、ぉおおうっ?! ま、まぁだこんなぁっにうごけ、おぼ、げぼごおっ!!」


 ボスッ、ドドッ、トスッ、ドボッ、ビシベシッ、ビシッ!


 ありったけ。



 深い呼吸で腹の底に力を溜めた後、悔しさの咆哮と共にスィルカは全てをかなぐり捨て、全てを持って猛烈に蹴りを放ちまくる。

 さすがのモイックもこれには驚き、全身を打たれまくった。


 スィルカの本気の蹴りは鎧を着た兵士でさえも吹っ飛ばす。

 1発でも当たれば、そのダメージはかなり重い――――リッド達や多くの観客、そして闘技場の周りにいる別のチームの面々も、これはモイックは大ダメージを避けられないだろうと確信し、彼女の逆襲の様を見守った。


 しかし…



「ハァ~、ハァ~、ハァ~…うぐぐ、な、なぁかなか痛かったぁ~…ゾッとしますねぇ。コレ、まともに受けたらぁ、ボクは痛すぎて死んじゃってたんじゃあないですか~?」

 ダメージは確かにあった。

 しかしモイックは平然と立ち上がり、ちょっと派手に転んだ後くらいだという感じで、自らの身体の土埃を払う――――まるで余裕だ。


「はぁ、はぁ、ぜぇ、ぜぇ…そん、な…、はぁ、はぁ…。なんなんですか…、一体どうなってはりますの……」

「ふくくくく…さぁてぇ、どうなってるんですかぁねぇ? …しかぁし、まぁだこれほどの力が出せる…ぉぉこわいこわい。ですがぁ~…そーろそろと大人しぃく悲鳴だけあげていてもらいたいんですが~ぁっ?!」


 ドバキャッ!!!


「くっあっ! …~~っぅ…!!」

 何の変哲もない蹴りが異様に効く。意識的にこらえなければならないほどの痛みが全身を駆け巡る。


 ドゴフッ!!


「うぶっ…う、う…ぐ…ぅ…」

 みぞおちに、拳ではなくダメージそのものがめり込んで浸透してくるかのような一撃。吐き気が一気に込み上げてくる。


 ドバチィッ!!


「ぁっ、ん…!! ……はーはー、ふー、ふー…っ」

 頬がヒリヒリと痛い。あまりにも屈辱的で、思わず強く睨みつけてしまう。


 ドガッドガッドガッ!!


「あぅっ、ぁっ、ああっ、ひぐっ、うぅうっ!!」

 立てずにいると、踏みつけるような蹴り込みを浴びせられた。その身に何度も何度も降り注ぐモイックの1発1発が痛い。



 ・

 ・

 ・


「ひど…、あんなのもうイジメじゃんっ」

 観客席から見ていたハルは、思わず声をあげていた。


 途中で敗退し、もう出番もないので今日はお気楽に観戦者として大会を楽しんでいたが、手にした出店の食べ物を椅子に置くと立ち上がり、たまらずブーイングを浴びせる。


「そーだそーだー、そこの嬢ちゃんの言う通りだー」

「審判何ボーっと見てんだコラーっ」

「女の子一方的に殴ってヘラヘラ笑ってんじゃねーぞクソ野郎ッ!」


 あっという間に観客席は一面、批難の色に染まった。


 一方的になり下がった試合内容――――途中で目も当てられないと、ふとハルがチーム・リッドの待機場所の方へと視線を逸らす。


 ミュースィルが見かねて闘技場にかぶりつき、ノヴィンとリッドが今にも上へと登りかねない彼女を制している。

 その隣で、シオウだけは我関せずといつもと変わらない表情と態度で、平然としたまま試合を眺めている様子が伺えた。


「? ……シオウ君、一体何考えてるんだろ?」







「………。………」

《分かったのカシラ、あのヘンな奴のカラクリ?》

「(ああ、まぁな。というかカラクリ自体はとっくに分かっていたよ)」

《あら、そーだったの。…じゃ、ナニ考えてたの?》

 守護聖獣の問いにシオウは表向きは変化なく…しかし閉ざした口の中、密かに奥歯を噛み締めた。


「(思い出してただけさ、昔の…ちょっとした時のことを)」

 古い記憶――――弱く…果てしなく弱い立場だったあの頃・・・

 今の自分の全てがもしもあの頃にあったなら、もっと出来る事も多く、最善の道を選べただろうにと、シオウは一方的に打ちのめされているスィルカの姿に、己の過去を重ね見て悔恨する。


《………》

 さすがの守護聖獣も押し黙るしかなかった。

 当時は彼があまりに幼く、宿っていた自分がまだ何もしてやれなかった、助けになれなかった時代だ。ただ内から彼の苦しむ様を眺めている事しか出来なかった。


 そのツライ幼少期の記憶に慰めをかけてやれる資格はなく、守護聖獣はらしくもなく、しんみりとしてしまった。


《…それデ? あのコ、あのまま放っておいていいの?》

「(問題ないよ、そろそろ終わる)」


 ・

 ・

 ・


 ドシュッ!! チュンッ


 不意に飛び出すカウンター。

 闘技場に伏して立ち上がる事もままならなくなった状態で放たれた、天を穿うがつような鋭いスィルカの蹴り上げは、モイックの顔を掠めるだけで終わった。


「ふひっ!?? …お、おぉぉ…おっそろしひぃ~…頬が切れるなどぉ、まるで刃物のよーだぁ~。――――…おやおやぁ? しかし、しかしですよぉ? …くふふ、どーぉ~や~らぁ~…?」

 モイックは恐る恐るその場にしゃがみ、スィルカの身体を両手で床から引っぺがすように転がす。何ら抵抗もなく闘技場の床の上で二転三転し、仰向けになって止まった。


「おやおやおやぁ~…どぉ~やらどぉやらぁですねぇコレは? くひっ、ふひひっ、うひぃ~っひっひ♪」

 彼女の胸を掴んで、ムニムニと揉む。

 ペシペシと頬を軽く叩き、手足の露出部分の肌をスリスリと撫でる。


 彼女の身体に一通り試した後、モイックは完全に確信を得てニタリと笑った。そして観客席からのヤジに戸惑っている審判に呼びかける。


「やはり彼女…気を失っておりますよぉ~審判どの? 早々に確かめて、ボクの勝利のほどをば、高らかと宣言してはくれませんかねぇ~ぇ?」





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