〇閑話:裏方執事が見る日常 ――――


 執事バトラー

 それは、単純な使用人とは一線を隔する側仕えである。

 多くの侍従たちの上に立ち、彼らを監督し、主の命を忠実に執行する者である。当然、その才覚はあらゆる点において並みの人間以上でなくてはならず、場合によっては仕える主をも超える能力を求められる、優秀である事が当然と定められし者達……



 そしてこの私、トゥーシェ もまた非才の身ではございますが、そんな執事を務めさせていただいております若輩者でございます。


「スィルカ様には塩味のきいたものを、ミュースィル様には甘味の強いものをご用意するように。……もちろん栄養価のチェックとブランドの厳選を忘れずに」

「かしこまりました、トゥーシェ様。では買い物に行って参ります」

 侍従の一人が、学園寮での姫様方のための買い物に出かけ、それを見送る…。


 学園寮における日常パターンは、スィルカ様の御入学よりひと月経った今、我らお側に仕えし下々の者の間で、完全に定着いたしました。

 これからは、私が侍従に指導する事も大幅に少なくなる事でしょう。少し肩の荷がおりた気がいたします。







「………」

 私室に戻り、私は日誌に記録を書き込みます。

 何か問題が発生した場合に備え、侍従たちの働きぶりは無論、誰がいつ、どこで何をしていたか? 詳細な情報も添えなくてはなりません。

 姫様方が学園にてご学業に励んでいらっしゃる間、我々にはしかと留守を守る義務がございます。あるじ不在といえど、気を抜くことは決して許されません。


 コンコン


『失礼いたします、トゥーシェ様。お城より遣いの者が参っております』

「わかりました。寮の・・応接室に通しておいてください」

『かしこまりました』

 たとえお城からとはいえ、その者が本当に城からの遣いであるとは限りません。姫様方に対し、不穏なる企みを抱く輩である可能性が僅かでもあると考えるは当然の警戒。

 お二方はもちろん、お仕えする我々の部屋にも安易に通すべきではないのです。


 ・

 ・

 ・


「陛下におかれましては、こちら学園での姫様の身をいつも案じておりまして」

「皇帝陛下の御心配、重々承知しております。ですがミュースィル姫様の御意向というものもございますので、警備増強の件はお持ち帰りください」

 遣いの要件は、この寮に常駐する者を増やしたい、という陛下の意向を伝えるもの。ですが、ミュースィル様はこの手のお話はすべてお断りし続けておられます。

 遣いの方も断られる事を分かっているようで、最初から諦めているようでした。それでも皇帝陛下の直命とあれば、結果が明らかであっても遂行するは当然。


 心中にてご苦労のほど、ご同情いたします。


 ・

 ・

 ・


「よろしいですか。姫様方は学園に在籍なされている間、日常生活にて束縛的となるような警護を疎まれます。かといって皇帝陛下にご心配をおかけする事が起こる事も避けなければなりません。双方の御意向に沿うため、身の回りを守護する我々に求められるのは絶対的な護衛能力を発揮できる、少数精鋭体制です」

「「ハッ! 心得ております!」」

 普段は気配を消してその存在なきが如く振る舞っている特別な守備隊を招集し、私は改めて兜の緒を締める気を引き締めるよう、通達します。


 もし彼らをしても不足の事態が起ってしまえば、姫様方の学園での生活は大変窮屈なものとなってしまう事でしょう。主の望む生活を守る事もまた、執事たる私の務めでございます。





 …少し、昔の話をいたしましょう。


 私はスィルカ様にお仕えする事になる前は、ミュースィル様の侍従メイドとしてその幼き頃よりお仕えしておりました。

 私のお仕え始めた歳…でございますか? 当時は8歳で、現在は15でございますが、それが何か?


 ともあれ、そんな若輩者である私の才覚を見出し、執事へと取り立ててくださいましたのは、他ならぬ皇帝陛下でございます。

 ミュースィル様が学園へと通う意志を陛下にお伝えする2年ほど前に、私はメイドより執事へとジョブチェンジ異動いたしました。

 正式に学園へと御入学なされる時、姫様はご自身御一人での学園生活を望まれ、供が付けられる事を拒否いたしました。

(勿論、御本人にバレぬよう、常時周囲に守備隊が張り付けられましたが)


 なので私は、その日よりスィルカ様にお仕えするようにと命じられたのです。

 今思えば皇帝陛下は、スィルカ様も学園に通う事を見越し、結果として私達がミュースィル様のお側に付く事になるよう、姫様の御入学時より図っていらっしゃったのかもしれません。

 陛下の(特に姫様に対しての)親バカぶりは有名ですので、その可能性は大いにあった事でしょう。


 皇帝陛下におかれましては、我々も姫様方も、まだまだかないませんね。







「ただいま戻りました。トゥーシェ」

「ただいまですー、何か変わった事とかありませんでしたー?」

「おかえりなさいませミュースィル様、スィルカ様。特に何もございませんでした。お二人がご無事のお戻り、何よりでございます」

 夕焼けに染まった空の下、主の御帰宅を侍従達とともに出迎えます。最近の私が一番幸福を感じる時です。

 お城にいらっしゃった頃よりも、どことなく明るくなられたミュースィル姫様。

 元々伸び伸びとした御方でしたが、より羽を大きく伸ばしておられるスィルカ様。


 お二方が、ご無事な姿と笑顔で御帰宅なされるのをお迎えする――――仕えし者にとってこれほどの幸せが他にございますでしょうか?



「御夕食の方はいかがいたしますか」

「そうですね…お食事の前に、まずはお風呂にしたいですね」

「あ、それいいですねー、ウチも先にお風呂にしますー。ミュー姉様、一緒に入りませんかー?」

「かまいませんよ、では私の部屋のお風呂にしましょうか」


「では、御夕食の方はミュースィル様のお部屋の方にお持ちするよう手配しておきます」

「よろしくですー。…フッフッフ、ミュー姉様、久しぶりに体重測ってみませんー? 学園入ってからどれだけ太ったかウチが確かめてあげますよって」

「し、シルちゃん、そんな怖いことを言わないで…だ、大丈夫、太っては、い、いないはずですからっ」

「どうですかねー? ミュー姉様、1年目は御一人で食事の用意もしてはったんでしょう毎日? …カロリー計算とか、ちゃんとやってましたー? ニヤリ」

「……っぅ。ほ、ほらシルちゃん! 先に部屋にお荷物おいて、ね?」

「あ、逃げた! 逃がしませんよーミュー姉様、覚悟してくださいー♪」


 御賑やかなお二人を見ていますと、大変幸せな気持ちになります。


「………」

 私の目からはお二方とも、標準体重であるとお見受けします。

 ただ……寮内へと走ってゆく後ろ姿を拝見いたしておりますと、もしかすると体重が増えていらっしゃる可能性がおありになるのは――――――


 ・

 ・

 ・


「~~♪ あらシルちゃん、いただかないの?」

「……くっ、だ、大丈夫…ウチはまだ成長期なだけやから……い、一キロくらい…どうって事ないはず……ブツブツブツ」

 御入浴後よりスィルカ様は、ご自分の体重が増えていた事を大変気にしていらっしゃるようです。


 ミュースィル様は大変ご発育の良い御身体をされてはおりますが、1年前の御入学前にお見掛けした時と、さほどの変化はございません。むしろ腰回りは少しお痩せになり、豊かなバストがまた少し育たれたようにすら思います。


 一方でスィルカ様ですが、今から3ヵ月前に制服をお作られる際に測られた時より、確かにこう…お尻のあたりが御成長なされたようです。体重増はその分なのでしょう、腰回りなどが太くなったようには見えません。


「トゥーシェ! どうっ? ウチ、太ったように見えますー??」

「いいえ、スィルカ様。まったくお太りしておりません。むしろ私から見てもお二方とも、もう少しお腹まわりにお肉がついても許されるスタイルの良さであると――」

 スィルカ様が前々からお尻を気にしていらっしゃる事を理解しておりますので、そこには決して触れません。

 そもそもお二人ともダイエットとは程遠いスタイルの良さをお持ちですので、健康を害される無理なダイエットに走ることなきよう、注意して御なだめし、キチンとお食事をとってもらえるように努めなくては。







―――――夜。


 静まり返った領内。私は一人、私室で1本の短刀を前にしておりました。

「………」

 静かに目を閉じ、精神を集中させ、深呼吸を一つ。それからゆっくりと短刀を手にし、鞘から引き抜きます。


 なんの変哲もないありふれた形状の片刃、刃渡り30cm程の刀身に、薄っすらと走る光があります。


 ビリッ…バチッ……ビシュ…


 ほのかな電気のスパーク音、放電現象の証。

 この短刀は電気の魔力を宿した魔導の武器なのです。




 魔導具―――――それは、はるか昔に誕生した、魔法の力を宿した道具。

 ですがその技術は、もう何百年も前から頭打ちのまま進歩しておりません。


 斬りつけると同時に電撃の効果で動きを麻痺させる事のできるこの短刀も、実のところさほど期待できるほどに効果に優れた武器ではありません。


 感電による動きの抑制効果はほんの一瞬程度でしかなく、同じ材質の短刀と比べても武器としての優位性は、ほんの僅かな差に留まります。

 ですが製造にかかる費用と労力はそのほんの僅かを得るだけで数十倍もの違いがあるとか。


 しかも同程度の魔法の力を行使できる魔法使いが珍しくない程度に存在している現実がある以上、希少性と価値の乏しい武器と言わざるを得ません。


 それでも執事となった時に下賜かしされたのは、いざという時に少しでもお仕えする方々を守れるようにという願いの表れ――――――皇帝陛下の私へのご期待、それがこの短刀に込められているのです。


「………。そろそろ行くと致しましょう、ご就寝なされていなければ良いのですが」

 なので私は、僅かでも自身に迷いが生じた時、この短刀を抜いて眺めるのです。武器としてではなく、己の心をしかと定めるために…。







――――――深夜。


 すでに日が変わっている頃でしょう。石材剥き出しの壁に空いている窓から覗いている月が下がりつつその光は、東の方からの角度をつけて差し込んできております。


「…話はわかった。だが、本当にいいのかその条件で?」

「はい、もちろん構いません。何卒宜しくお願い申し上げます」

 不思議なものです。

 こうして見ていると、自分と同年代…あるいはもっと年下の、本当に女子のように思える御容姿の殿方なのですが、今は彼の表情を見ていると、ハッキリと男性であると認識できます。


 迫力――――この学園はおろか、お城の熟達した筋骨隆々の兵士の皆さんでさえ、思わず慄いてしまうのではないかとさえ思えるほどの “ 何か ” を感じます。



「だが、この・・条件はお前だけが損を被るものだ、場合によっては今の地位を全て捨てる事にもなりかねないぞ?」

「重々承知しております。ですが私はミュースィル様方にお仕えする者。主のためとあらば、この身がどれほど傷つき、穢れる事となりましょうとも、幾ばくたりとも惜しくはございません」

 嘘をつきました。確かに主のためならばその覚悟もございます。ですが、いまだ私は手の震えが止まりません。

 人知れず彼に遭うべく侵入し、執事服の乱れを直している今もなお、この手の震えは止まらないのです。

 それは言葉ほどには私の覚悟、まだ至りきれてはいない事の証でございましょう。


「………お前の意志はわかった。いいだろう、その条件で受けるとするよ」

「ありがとうございます」

「ただし条件がある。もし~~~~~たら、真っ先に俺に伝えること。その時は俺がお前の身柄を引き受ける。どうせ元々根無し草だからな、連れが増えようが問題ないし。…もし遠慮するというなら、お前の願いは聞き届けない、いいな?」

「―――――。あり、がとう…ございます……では、取引は成立という事で今後とも何卒姫様方の事、よろしくお願い申し上げます。……またお伺い致しますので今宵はこれにて失礼致し――――」

 窓から飛び出そうとして、私は腕を掴まれ、彼に制止されました。


「ちょい待ち。……お前の名を聞いておこうか。お前自身の口から、な」

「……トゥーシェ、トゥーシェ=アイ=ステイル と申します」

 その時は本当に不思議でした。自分からフルネームを、異性の方に告げている自分に。

 彼は私の名前を既に知っております。ですが、私の口からあえて名乗りを求めたのは、私の願いを聞き届けて貰え、私という人間を信用してくれるという表明でございましょう。

 ですが、なんでしょうか? この幸福感は? 姫様方にお仕えしていた時には感じた事のない種類の違う何かが、私の胸の中で小さく鼓動を数度鳴らし、温かい気持ちがこみ上げてきます。


「そうか、んじゃ今度からトゥーシェと呼び捨てにさせてもらう。いいな?」

「は、はい……どうぞご随意に。それでは、失礼致します」

「ああ。またな、トゥーシェ」



 またな。


 それが夜空に飛び出した私の頭の中で、何度も反響します。

 さすがはミュースィル様がお目を付けられた方――――いえ、それはこの言いようのない気持ちを誤魔化そうとする、私の卑しさ。


 私が今宵、彼の元を訪れたのは、いかに我らが努力してみても学園での姫様方の警護には限界がございます。特にミュースィル様は学園に行っている間は供をお許しになりません。

 

 姫様の守りを万全にせんと、姫様と親交深くて信頼を得ており、なおかつ同年の学生でもある彼に、我らの警護の及ばない点をカバーしてもらう。そのために私は、私の持つもの全てを差し出そうとも構わないつもりでした。



 ですがその日から私は時々、彼を訪ねるようになります。それがこの日、私が提示した交換条件の一つだからです。

 そしてそれは回数を重ねるにつれ、私にとってこの上なく楽しくも幸せな時間となってゆくのですが、この時の私はそのような事を想像すらしておりませんでした。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る