第2章2 後輩たちの向く先


 貴族や金持ちの家の子が学園に通う理由――――

 それは経歴。すなわち “ 皇立学園を卒業している ” というステイタス目当てだと、俗に言われている。

 事実、彼らは自宅でより質の高い教育を受けられるはずで、しかも生活水準の良い暮らしに守られた、安全で快適な日々を送る事ができるはずで、学業のためにわざわざ学園に通うメリットは低い。

 そうした実情があるために、向学心という点においては皮肉ながら上流階級の子供達ほど低く、試験を受けて入ってきた一般人の子供の方が高い傾向にあるのが、今日の学園における生徒の現実である。



 彼―――ノヴィン=コラットンも、そんな向上心溢れる庶民の出たる新入生だった。

「……きょ、今日から僕も学園に、ここの生徒の一員っ。が、がんばるぞー」

 背はやや高めながら線は細く、肉付きが少し不足している痩せ型のフォルム。髪は頑張って整えてきたつもりでも、周囲の他生徒と比較すればお世辞にも整ってるとは言い難い。色艶の弱い金髪は、金というよりも乾いた地面か砂のような地味な色で、普段は何も手入れなどされていないのが一目でわかる。瞳は小さく、どちらかといえば少し気弱そうで頼りなさげな顔立ちだ。

 背にほどよく恵まれた以外は、地味めといわざるをえない16歳の男子。


 だが、勉学に励む意欲は見目麗しい上流階級家の生徒なんかよりも遥かに強い。

 肩から掛けているやや大き目のカバンに、さっそくとばかりに図書館で借りてきた学術関連の本をギッシリと詰めこんでいる。

 向学心を全身に満たして、最初の講義へと向かって小走りに駆けだす。


 が……


ドンッ


 最初の数歩で、いきなり他の生徒とぶつかった。


「ぁんっッ!? …ちょっと、どこ見てますの。わたくしをファンデルク家の者と知っての狼藉かしら!?」

「あ、あ、す…すみません! 急いでいたのでつい!」

 ノヴィンは慌ててお辞儀する。しかし、幾度か上下した頭が上がって、互いの顔が見えた瞬間、彼は相手の姿を見てその場で完全に静止した。


「………」

「? なんですの、馬鹿みたいな顔をなさって……ちょっと貴方あなた、私の話を聞いていましてっ!?」

「…ッは!? す、すみません、つ、つい綺麗な人だなってボーっとしてっ……あわわ、い、いえその!」

 自分でも何を口走っているのかと慌てふためくノヴィン。だが、相手の女子はそんな事を気にも留めない。フンッと鼻息一つつきながら、ロールのかかった自分の髪を軽く払う。


「何を当然の事をおっしゃってますの……ははぁん、さては貴方、庶民ですわね? それでしたならこのわたくし、エステランタ=プルー=ファンデルクの如き美しい淑女レディーを目にするも初めてでしょうし? 見とれるは仕方なき事……良くってよ、オーッホッホッホ♪」

 ノヴィンが抱いた異性への強い好意。しかしそれを肝心の相手――エステランタが感じとる事はない。なぜなら平民と貴族令嬢という身分差。彼女からすればノヴィンなど、恋愛など異性に対する感情を僅かなりとも抱くに値しない相手。

 さりとて上位者に対する憧憬の視線は大変に心地よい。数舜前までプリプリと怒っていたはずのエステランタは、今や上機嫌に高笑っていた。


「………ふむ、この本…まだ読んだ事がないやつだ。おーい、そこの人ー」

「はひっ!? あ、ぼ、僕でしょうか?」

「そーそー、この本は君の?」

 声をかけられたノヴィンが振り返ると、そこには背の低い白銀髪の女子(?)が、本を片手に持って近づいてきていた。


「あ、はい…あぁ、カバンのボタンが開いてっ、すみません拾っていただいて!」

「ん、せっかくの本だ、大事に扱わないとな。……すごい量だな。借り物か? 図書館の?」

 無気力そうな表情の中で、瞳の中だけはほんの少し輝いている。その視線は、ノヴィンのパンパンなカバンを注視して離れない。


「え、ええそうです。ちょっと借り過ぎちゃって」

「いっぱい借りたくなる気持ちはすごくわかる、うんむ」

 これほど力強い “うん” という発声を聞いたのは生れて初めてかもしれない。その様子から、相手が相当な読書好きなのだろうとノヴィンは察して、咄嗟に気をきかせる。


「ええと、よければ何冊か持っていきますか? …あ、でも借りてるものだし、それはダメか」

「とても魅力的な提案、けどまぁタイトルだけ覚えとくさ。そうすれば、また今度借りに行けるから。えーと……」

「あ、すみません! えーと、僕はノヴィン。ノヴィン=コラットンです」

「俺はシオウ。いちおー2年次生、よろしくノヴィン」

 その瞬間、ノヴィンは思わず驚愕の表情を浮かべそうになるのを、かろうじて堪えた。見た目から自分と同じ1年次生だと勝手に思い込んでしまっていたからだ。


「し、失礼しましたっ! 先輩に対して軽々しくっ!!」

「あー大丈夫、そういうんはなしで。そのうちわかると思うけど、俺には気安く話してもらって全然構わないから。そんなあらたまられる程の人間もんじゃないんで」



「……~~~ッッ! もう、ちょっといい加減になさい!! この私と口を聞いておきながら、いつまでも放っておくなんて貴方あなた、無礼にも程がありましてよっ!?」

「わぁあっ!? ご、ごめんなさいぃっ!!」

 今までは割って入るのは淑女らしからぬと思って我慢していたのが、とうとう堪えきれなくなったらしい。エステランタは憤りながら、それまで数歩離れて対峙していたノヴィンに迫り、喰ってかかる。


「(このお嬢様は構ってちゃんだな、多分)」

 おそらくエステランタ自身にその気はないし、言えば烈火の如く怒りだしそうだろうが、長身地味目なノヴィンと派手なエステランタは存外上手くハマり合いそうで、第三者視点で見ていたシオウにはお似合いな二人に思えた。


「あら? ………ふーん、そこの貴女あなた

「ん? ……」

 不意に、エステランタの視線がノヴィンの後ろにいたシオウに向く。自分の事かと、シオウは左右を見回してから指を自身に指して確認する仕草を取った。


「ええ、そう貴女ですわ。身だしなみはまるでなってない…ですが、なかなか良いものを持っているのではなくて? 磨けば光るものがありそうですし、わたくしの供回りに加えて差し上げてもよくってよ」

 そういって胸を張り、ドヤッとふんぞり返るエステランタ。彼女の感覚では、自分の誘いを断る者などこの世にはいないだろうぐらいにまで思っているかもしれない。それがどれだけ傲慢な事であるかも気付かずに。

 シオウは少し深めにため息をつくと、あえて相手を怒らせるような言葉を選んで返答する事にする。ここで気に入られるよりも、嫌われてしまう方が今後の面倒がなくなると判断したからだ。


「……断る。世間知らずなお嬢様のお遊びに付き合う理由はないしな」

「ぬなっ?!! な、なんですってぇ!??」


 ・


 ・


 ・


「やー、助かりましたー。いくらなんでもこの本の量はちょっと多くて、運ぶんはさすがに苦労するなー思うとったところやったんですー」

「いえいえ。私もまさか入学早々、まさかルクシャード皇家ゆかりの方とお知り合いになれるなんて大変光栄な事ですから。それに、このくらいなら私、へっちゃらですんで!」

 にこやかに歩く二人の女子はそれぞれ数冊の本を持っていた。

 女子の片方、スィルカは5冊ほどを、隣を歩くもう片方は8冊ほどを抱えて歩いている。


「この学園は書物の所蔵量多くてつい目移りしてしまうんですー。それでいつも気づくと、どっさりと抱えこんでしまって…」

「あはは、でも読書熱心なのは良い事ではないですか? 私は家で畑仕事ばかりしてましたから、本とはなかなか縁がなかったので、長く読み込もうとしちゃうと眠くなっちゃうんですよ。羨ましいです」

 和気あいあいと話しながら歩く二人だが、ほどなくして喧騒に気付いた。


「あら、何か騒ぎでしょうか?」

「ほんまですね。……あれ、シオウ先輩? やっほー、シオウ先輩、こんなところで何してらっしゃるんですー?」

 一緒に歩いていた友人の側から一目散に駆けだしたスィルカの行く先には、シオウと見知らぬ男子生徒に女子生徒の3人がいる。



「なんですの貴女? この方のお知り合い?」

「ええ、そうですよー。…えーと、どうかしたんですか??」

「どうもこうもありませんわ! この小娘ときらたらせっかくこのわたくしこと、エステランタ=プルー=ファンデルクみずからが、供回りに加えて差し上げると誘ってあげましたのにそれを……こともあろうに無礼にも断わりましたのよ!」

 プリプリと怒っている理由は随分と身勝手なものだが、彼女の名を聞けばなるほどと、スィルカはにわかに納得する。


 貴族家の子供はエリート意識が高い上に、身分階級意識も強い。下々の者に対する慈悲や手を差し伸べる行為は、優れた貴族の嗜みであり、それを差し向けられた下流者は、涙を流して喜ぶべきであると思い込んでいる、そんな節がある者が本当に存在する。


 確かにノブレス貴族たるオブリージュ責任の精神は、下々の者や社会に対して良き効果を産むかもしれない。

 だが、そうあるべしと深く思い込み、押し付け、それに対する謝意などのリターン見返りがあって当然だと、何か勘違いしてしまっている場合は厄介極まりない。加えて、そういった手合いはその事を説いたとしても聞き入れない。

 自分の行いが正しく、それが間違っていると認めるは恥であり、家名に泥を塗る行為だとさえ思ってすらいるからだ。実際は非を認めない方が家名を貶める事になると思い至ることもない。

 皇家の親戚筋の令嬢であるスィルカは、その厄介さを幼い頃から一部の大人に垣間見てきた。そしてこういう時のスムーズな解決方法も、一応は知っているのだが、彼女はそれがあまり好きではなく、躊躇う。


「(うーん、本当はこういう手ぇを使いたくあらへんですけども……)」

「とりあえず名前を教えてもらったんで、名乗り返さんといけませんねー」

 一瞬、エステランタはキョトンとした。自分の発言の中で、フルネームを名乗っていた事を自覚してなかったらしい。


「へ? あ…、そ、そうですわね。このわたくしに名乗る事を、許可いたしましてよ」

「ご丁寧にどうもー。ウチの名前はスィルカ、…スィルカ=エム=ルクシャードと申しますー。1年次の新人ですけども、多分そちらさんも同じでしょうか? ……よろしくお願いしますね、エステランタさん?」

 辺りが一瞬静かになった。そしてエステランタも含めて一気にざわつき始める。


「る、るる…ルクシャード??! こ、皇家の、のの…」

「そうですねぇ、ウチは直系やなくて親戚筋の方ですけども。ちなみにシオウ先輩は2年次でウチらの1個上の先輩ですし、ミュー姉…んん、ミュースィル=シン=ルクシャード皇女の御友人でらっしゃいますよー、そんな方を供回りに誘うんは、ちょっとやめといたほうがいいんと違います?」



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 ・


「…なんてことが午前にあったんですー。すみません、ミュー姉様、勝手にお名前出してしまいまして…」

「いいのよシルちゃん。ウフフ、それにしてもシオウ様、大人気ですね」

「はは、本当にな。こりゃこの1年はのんびりしてられないんじゃないか?」

 午後のひと時。5人・・は喫茶エリアのフリースペースの一角で卓を囲んでくつろいでいた。


「リッド……お前、他人事だと思って」

 卓の上に顔を乗せ、むーっとしてるシオウ。それをダシに雑談に華を咲かせている3人とは別に、シオウの隣に座っている男子はカチコチに緊張していた。


「えーと、確かノヴィン…だっけ? そんな緊張すんなって。確かにそっちの二人はいいとこのお姫さんだけどもさ。…シオウのやつを見ろよ、そのお姫さん二人を前にしても、この緊張感のなさよ」

「い、いえ! そんな、先輩方に加えて皇家の方々と御同席してるってだけで僕なんかはもう光栄すぎて…」

 ノヴィンは、自分がエステランタとひと悶着あったのが原因なので、シオウに巻き込んでしまった事をあらためて謝りたいと申し出た。

 ところがなぜかその場に、二人の高貴なるお姫様方プラス先輩1名追加で同席しているのだから、緊張するなと言われても無理だった。


「クス、致し方ありませんね。まずは一杯飲んで落ち着くと致しましょうか…あら、シルちゃん、カップが一つ多いようだけれど?」

「あ、すみませんミュー姉様。もう一人、仲良くなった友人を呼ぼうと思うて用意させてたんですー。けど講義の後、あらためて誘おうと思うてたんですけど、つかまえそこねまして…」

「あらあら、それは残念でしたね。また次の機会に紹介してくださいね」



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 ―――その友人、エイリー=スアラ(16)さん はというと…

「さぁクルエさん、アンさん、エイリーさん、次の講義にまいりますわよ! 学園トップの座は、このわたくしにこそ相応しいのです。皇家の姫なればライバルとしても相手に不足なしっ、でしてよ!」

「「はい、エステランタ様!」」

「………なんで私まで付き合わされてるんだろう??」

 なぜか、エステランタの取り巻きの一人に数えられていた。


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 ・


 5人のティーカップがおおかた空いた頃、ようやく緊張がほぐれてきたノヴィンは、気になっていた事を口にした。


「あの…一つ聞いてもいいでしょうか? そのシオウ先輩って、やっぱりあの・・シオウ先輩ですよね??」

「…? あ! もしかして知ってるのかコイツのアレを? そーそー、あの・・シオウが、何を隠そうコイツなんだぜ」

 リッドは、シオウの背後に移動するやいなや首根っこに腕を回してホールドすると、頭頂部を荒々しく撫でまわした。

 この “ 劣等生 ” が あの・・ などと言われるに思い当たる話は、この学園において現時点ではたった一つしかない。そしてそれはリッドもその場にいたのでよく知っている。


「?? “ あの ” ってなんなんですかね、ミュー姉様御存じですかー?」

 ミュースィルに訊ねようと視線を向けるスィルカだが、当のミュースィルは自分も知らないと軽く首を横に振る。


「ぁー…なんの事か、だいたいわかった…」

 一方で、シオウ自身は嫌そうな雰囲気を全身から滲ませていた。


「凄いです! 感動です!! 僕、試験の時にあの・・事を先生から聞いて、入学したらぜひシオウ先輩に会ってみたいって思ってたんですよ!!」

 それはノヴィンが学園に入学するため、受けた試験当日の事。彼は猛烈な勉強の甲斐あって、当日の試験ではその年の受験生中、一番目の合格を貰う事ができた。

 その時に試験監督の先生が、去年の一番目の通過者には遠く及ばないが、例年の平均で言えばなかなか早い方だと評してくれたのだが、だからこそその去年のトップ通過者…1年上の先輩に興味が湧いた。


「えーっと、それはなんのことなのでしょうか?? 私達にも教えていただける事でしたら、お願いしても良いですか??」

 ミュースィルの問いにスィルカも同調して頷く。

 それを受けてリッドは、許可を求めるようにシオウの方をチラ見るも予想通りちょっと嫌そうなままだった。


「……別にいいよな? もう知ってるのがここに一人いるわけだしさ」

「…………はぁ、まぁいいよ。この先も知ってる講師陣になにかの際に聞く事もあるかもしれないしな。言いふらしたり騒ぎ立てたりしないならまぁ」

「んだな、諦めろ。…でだ、お姫さん方、実はコイツシオウな、入学試験の歴代最速通過者なんだよ、しかも満点で」

「まぁ……本当に??」

 リッドの端的な説明に対して、ミュースィルは出会ってから初めてシオウに対して意外だと言わんばかりの反応を示す。が、それを超える反応を示した者がその隣にいた。


「ええええええ!!? 一般入試の問題、ウチも先生方に見せてもらいましたけど、結構難しいかったはずですよー!!?」

「そう! その難しいはずの問題を、この野郎はとんでもない早さでパスしちまったんだわ。なっ?」

「騒ぐなって言ったろ。それにもう1年も前の事だ、偶然だよ偶然」

「偶然…で、答えられるものですか? 確か入学試験の解答は全て、記入式だったと私、聞いていましたよ?」

 意地悪そうな、しかしどこか嬉しそうに訊ねてくるミュースィルの隣で、スィルカがムムムと唸りながら、納得いかないという視線をシオウに向ける。それは学業におけるライバルを見るソレそのものだった。


「すごいですよね! 僕も頑張って勉強しましたけど、キチンと理解して解けたのは良くて5割くらいで、あとは運任せでなんとかだったんですよ!」

 一方で、ノヴィンの視線は尊敬のまなざしだ。異なる二つのアイビームを二方向から受けたシオウは、テーブルに乗せた顔に居心地悪そうな表情を含めた。


「くっくっく♪ 大変だな、シオウ?」

「……リッド。お前…ホントに覚えてろ」

「あら? でもシオウ様って、去年の成績は確か…?」

 ミュースィルは思い出していた。シオウが “ 劣等生 ” と呼ばれていた事を。

 その言葉から推察できる彼の成績は、芳しいものではないはず。しかし、それだと今の話には違和感を覚えてしまう。その疑問はリッドが晴らしてくれた。


「お姫さん。コイツはわざと “ 劣等生 ” やってんですよ、何かと目立ちたくはないってね。のんびり本読んでたいって理由で入学すんの決めたくらいだし。コイツの去年の成績順位は、入学後ずーっと最下位を突っ走ってきた…ま、その辺のこと知らない奴から見りゃ、間違いなく “ 劣等生 ” にしか思わないわな」

「なるほど、当時一緒に試験を受けた方も、“ あれは単なる偶然だった ” と受け取る……というわけですね!?」


 本当はデキる人間でなければ、故意にそんな真似はできない――――

 ノヴィンの地味な瞳が、純粋な少年の煌めきを宿して輝いた。




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