第1章3 皇女様の胸の中
学園での授業は講義方式であり、受講は生徒の自主性に基づいている。講義とはいっても先生がそれぞれ自分の得意分野や研究に関して講釈たれるわけではなく、学園側で定められた科目に沿った内容だ。
そして成績は、単位や出欠等に依存せずシンプルな試験制によって付けられる。
従って、時折行われる小テストや進級試験で結果さえ出せれば極端な話、講義に一切出席しなくてもなんら問題ない。
シオウのような “ 劣等生 ” であっても進級が可能なのは、このシステムによるところが大きい。もっとも、一切講義に出なければ
――――――学園メイン校舎1階、掲示場前。
先生や学園業務の事務方、そして学園長などの部屋と、学園の主たる機能が集約されたメイン校舎。その1階|エントランスロビー。
大きな知らせ事や、試験結果などの掲示はここで行われる。なのでこの場はそれなりの生徒で常ににぎわっており、特に進級試験の結果が掲示されたとなれば、年間通して一番混雑する。
「みゅ、みゅ、みゅ……ミュー……ありました。総合で第一位、ですね……」
「さすがはミュースィル様です。これで御入学より全ての試験でトップでいらっしゃいますわ」
「さすがでございます」
「素晴らしいですわ」
周囲の同性の生徒たちが口々に彼女を褒め称える。
しかし当人―――ミュースィル=シン=ルクシャードは笑顔こそ浮かべるも、内心ではそこまで嬉しく思っていなかった。
現在、学園における科目は以下の17科目でその内、1科目100点満点の16科目1600点満点で成績が決まる。
<カテゴリー:日常基礎>
数学 ――――――――― 計算で答えを求める学術全般。
言語学 ―――――――― 古今東西様々な言語の存在や母国語の深学。
文化文明学 ―――――― 道具や生活の歴史、現在生活の一般常識。
<カテゴリー:社会秩序>
社会学 ―――――――― 人間社会の在り方や身分階級、秩序等。
歴史学 ―――――――― 国や世界の歴史。
法学 ――――――――― 法律に関する基礎。
<カテゴリー:
地理学 ―――――――― 地形や国、海や川など地形に関する学問。
天理学 ―――――――― 星や天候、太陽や月の動きに関する学問。
自然理学 ――――――― 自然物や自然環境など、自然に関する学問。
<カテゴリー:
物理学 ―――――――― 物理法則など物体に関する学問。
生物学 ―――――――― 植物、野生の獣など、生き物に関する学問。
魔物学 ―――――――― “ 魔物 ” “ 魔獣 ” に関する古学問。
<カテゴリー:魔法>
魔法学 ―――――――― “ 魔法 ” に関する学問。
魔導学 ―――――――― “ 魔導具 ” に関する学問。
魔法戦技(基礎実践)―― 魔法実践演習。
先天性に左右されるため、成績に関与しない。
<カテゴリー:戦闘技術>
基本戦技(武器術) ―― 武器(個々に選択)を用いた基本戦闘技術演習。
基本戦技(格闘術) ―― 武器を用いない基本戦闘技術演習。
この他にも美術や歌唱、馬術に工作など学問以外の科目も存在するが、それらは成績に一切関係しない。
「(1600点中、1442点……戦闘技術はやはり苦手ですね。それでも…)」
なお自分が1位である。それはミュースィルをとても複雑な気持ちにさせた。
なぜなら彼女は今回の進級試験において、得意科目を少しだけわざと手を抜いていたのだが、なおこの順位だったのだ。
ミュースィル=シン=ルクシャード、16歳(1年次進級試験当時)。
ルクシャード皇国皇帝の第四子であり長女。すなわちルクシャード皇女たる身。
当然、小さい頃から勉学や習い事は世のお姫様よろしく、一通り納めている。教養は他より頭一つ抜きん出ていても当然だ。
けれど彼女には成績なんてどうでもよかった。
幼い頃から一国の姫として生きてきて、そこには何不自由ない生活があり、勉強や習い事も辛いと思った事もない。親兄弟はとてもよくしてくれるし、本当に幸せな日々を送ってきた。
だがそれは、まるで型にはまった人生。お姫様という型にはめ込まれた一生。
その空虚感を明確に感じ始めたのは身体が成長しはじめ、女らしい凹凸が顕著になり始めた8歳くらいの頃だった。
そこからは大きくなっていく胸に比例するかのように、彼女の中で己の人生を虚しく思う気持ちが強くなっていく。
王城を出て学園に通う事を決めたのは14歳の頃。
きっかけは兄の一人で皇帝の三男、ラクサーバが学園を卒業し、学生寮から城へと戻ってきた事だ。
それまでミュースィルの中では学園というもののは、お城でするお勉強と同じ事を世の人々が行う場、という認識でしかなかった。
ところがラクサーバが語ってくれた学園での生活の様子が、ミュースィルにはとても刺激的に思えたのだ。
ただ、お姫様として何不自由なく一生を送る――――それは途方もなく幸せな事だろう。世の人々が聞けば、何を贅沢な事をのたまっているのかと思うかもしれない。
けれどミュースィルは、僅かでもいいから自分で自分の人生を作りたかった。お姫様の型の中から、1歩でも外へと踏み出したかった。
そう期待して入学した学園。だが現実は、期待にそうそう応えてはくれない。
この1年……入学してから今までの間、果たして何があっただろうか?
周囲には姫の肩書きに群がる取り巻きの女子生徒。まるでお城にいた頃の側用人たちのよう。
学びは充実しているものの、やる事はやはりお城での日々の勉学と大差ない。強いて言えば、帝王学のような科目がない事と、受講に自由が利く事くらい。
そして当然のように成績トップ常連……
競い合う対等な友人が出来たわけでもなければ、張り合おうとしてくる同輩がいるでもない。
ミュースィルの心は、王城にいた頃と変わらぬ空虚な気持ちへと戻りそうになっていた。
・
・
・
「進級試験もギリギリとか……狙って出来ることなのかよ?」
リッドは心底呆れるよと肩をすくめる。
進級試験結果の掲示を見て互いに合格ラインに達していた事を確認した後、シオウはいつものところに寝転がって本を読むというので、リッドもついてきていた。
「そんなに難しくない。確実にわかる問題は正解できるわけだから、点数を計算して答える問題を選ぶだけだ」
「それで1600点中750点か。でもなんで750点なんだ??」
学園の全校生徒は1年次~3年次まで合わせて約600人ほど。その内、平民以上のいいとこのお坊ちゃまお嬢様の出は500人前後で、残り100人くらいが一般試験入学者だ。
その中でシオウは、最底辺をひた走る成績を意識的に堅持しているワケだが、合計750点といえば1科目辺り平均46点になる。これでも確かに芳しくない成績ではあるが、最底辺というにはまだ点を取ってる方だろう。
「1年次生徒の1位の総得点……その半分を狙った。それだけ」
「はぁ?! トップが何点取るとか予想してたっていうのか??」
「ああ。今までの進級試験の合格のボーダーラインは、毎年トップの合計点数の5割―――つまり今年は721点以上が合格になる。…ちょっとギリギリだったかもな」
呆れてたところにまた重ねて呆れるリッド。
「じゃ、トップが1500点以上取ってたらヤバかったんじゃないか?」
「そうだな。けど1位はどの試験でも同じ生徒だったし、彼女の今までの試験の結果も、1300~1500点で上下してた。今回もその圏内に入ってくる確率は高かったからな。もしダメでも退学にしろ留年にしろ、死ぬわけでもなし」
「やれやれだな、オマエの
1年の半分が過ぎた頃、シオウがたまにぶつくさ独り言を言ってる事があるのが気になって、友人風吹かせて思い切って聞いた事があった。
するとなんと、シオウには守護聖獣とかいうものが宿っているらしく、それとちょくちょく会話をしているのだとか。
最初は、ちょっと
「ああ、けど諦めてる。どういう人間かはもう十分によく知ってる、ってさ」
もちろんだが、リッドにその声とやらは聞こえないし姿も見えない。
シオウによると一応見せてやる事は可能だそうだが、目立つのを嫌って“ 劣等生 ” を演じている彼だ。万が一にも他人に見られるのを考えると、できれば遠慮してほしいと言われては、リッドにしても興味本位だけで見たいとはさすがに言えない。
「(まぁ、ホントでもウソでもあまりオレには関係ない事だし、興味はあるけど迷惑かけちまうのは悪ぃしな――――)―――うぉとっとと?! な、なんだ急に止まって、どうしたんだ??」
横で伴だって歩いていたはずが、いつの間にか歩く速度が遅くなってシオウの後ろに位置していたリッド。
前を歩いていたシオウが急に止まった事で、思わずその背にぶつかる。
「……珍しいことに先客がいる。ちょっとひと悶着ありそうな雰囲気だがな」
「! アレ、どっちもオレらと同じ1年みたいだな。けど、あの野郎……」
ちょうどこれから向かっていた先、距離にしてまだ30mほど前方。遺跡の崩れた壁へと追い詰められた女子生徒が、男子生徒に迫られている。
だが、その迫り方はどう見ても清い交際をしているような男女のそれではないし、呼び出して告白なんてロマンチックなものでもなさそうだった。
「どうする? オレがひとっ走りいって野郎の頭を後ろからぶん殴って―――」
「やめとけリッド。それをしたらお前が学園にいられなくなるぞ、男の方を見ろ」
そう言ってシオウが指さした男子生徒の方を改めてよく見てみた。
「……チッ。野郎の方はエリート
見た顔だ。生れの良さを鼻にかける典型的な貴族家出身のダメボンボン。一般入試で入ってきた生徒を普段から見下していて、リッドも何度か嫌味を言われたことがある。
アイツ自身は大したことがない。貴族家の坊ちゃんにしては、成績もリッドと大差ないし、戦技系に至ってはからっきしだ。生れの良さを除けば全てにおいて勝っている自信がある。
しかし、その生まれの良さが厄介だった。親の
《――――…。――――………っっ》
「男の子の義務とかそういう風に言うのはズルイだろ。……はぁ、しゃーない。ウチの守護獣サマが小うるさいからどうにかするか。俺なら最悪、
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・
「フフフ、見た目も凄いですが、直に揉んでみるとやはりデッカイですねぇ~。これほどのモノをぶら下げていてはさぞ肩もこるでしょう、ミュースィル姫ぇ?」
ねっとりと言葉で舐るような口調。私の左胸を思いっきり掴んでいる同学年の男子は、皇女の私でも耳にした事がある名前の貴族の子息。
けれど私は、不快感をあらわにした表情を隠そうとはしない。相手の嫌な視線から目を反らさずに、毅然として睨み返し続ける。
「おお、怖い怖い。ですが、その表情もまたイイですよ~、そそられますね」
貴族家の子息とは思えないほど品のない、
左手は自由だけれど、私の左胸を掴んでいる彼の右腕が邪魔で、おそらく上手く叩けそうにない。なんとか叩けたとしても、相手を怯ませるだけの効果が出るとは思えない。
後ろは壁。加えて少し押し気味に迫られているので、左右に身をすり抜けさせようとしても、きっとすぐに掴まってしまう。
両脚は自由……けれど蹴り上げることは難しそう。私の脚の前に重ねるように、彼の脚が密着してきてる。
これでは蹴り上げようとしても彼の脚に容易く阻まれてしまうし、きっと彼はそれを理解した上でこの位置取りをしている――――とても手慣れている。
「なにを…私にどのようなご用があって、このような事を?」
「ボクは前々から狙ってたんですよぉ。ミュースィル姫、貴女をね」
そう言って、ぐぐっと顔を寄せてくる相手。人を外見で判断するのは良くない事、けれどあえて言わせていただくのなら彼は嫌。その人相に、態度に、動きに、交わす言葉に、全てにおいて邪悪な欲求が発せられているのですから。
「いかに皇帝陛下のご息女でボクでは身分差があるとはいえ――――既成事実を作ってしまえば、そんなの関係ないですよねぇ」
既成事実――――それは、この場で私を無理矢理に辱めようという意図の表れ。
「っ! そのような事をっ、…私が望むとでも思われてっ」
けれど彼はさらに顔を近づけてくる。そして私の左胸に痛みが感じられ始め、相手の握り手が私の心臓までも届かせんばかりに強く押し込んでくる。
「関係ありませんよ貴女の意志なんて。こう見えてもボク、実家では侍女たちを虜に出来るほどに夜の術を会得しているんですよ。フフフ…全てが終わった後、ミュースィル姫はボクしか愛せなくなっていること間違いなしですから、何も心配はいりません」
「いや、ですっ。そんな事…っ、誰か…っ」
「無駄無駄。大声をあげたところでこんな廃墟に来るような生徒や講師なぞ、誰一人としていやしませ――――」
「残念。それがいるんだな、っと」
ポニュンゥッ!! モッフゥ…
「んな!!? なにぃっ??」
相手の男性が、私の左胸を掴んでいた手を離した―――いえ、弾かれた?
胸が勝手に大きく弾んで……いいえ、確かに胸の下から何か衝撃が???
「っと、勢いよく頭上げ過ぎたな、少し埋もれた。やれやれ、ちょっとお邪魔しますよっと」
パチンッ! ポウ……ン…
「ふはっ???! ……な、なん…何が起こっ…??」
「え? い、今のは魔法??」
胸の向こう、ちょうど相手の男性が私から少し離れてできた空間に、それを見越していたようにタイミングよく下から伸びてきたのはか細い手。
それが男性の顔の前で指を鳴らした瞬間、そこから薄緑の淡い光の輪が広がって、相手の男性の顔前で弾けたのを、確かに私はこの目で見ました。
「うぐぐぐ、い、いったい何が起こっ……あーー! き、貴様は “劣等生” のっ!! ボクの恋路を邪魔する気かっ!?」
「邪魔も何も、
「…あ! そうですね。“ 遅いですよ、待ちくたびれてしまいました ”」
意図に気付いた私は、すぐに合わせます。
声の主はどうやら背の低い方のようで、私の胸の下(ちょっと中に入ってるような気もしますが)で頭らしきものが、喋るたび微かに
声の感じは女子…いえ、中性的な声の男子かもしれませんが、私を助けてくださるようなので素直にご厚意に甘えます。
「う、嘘をつけっ! 貴様のような “ 劣等生 ” がミュースィル姫と面識がある事自体、疑わしいぞっ!! 分かってるのか?! ボクの父上にかかればお前なんか学園にいられなくする事くらい容易い――――」
『おーい、シオウー。遅れてワリぃー、連れてきたぞー』
『あら、あそこにいらっしゃるの、ミュースィル様では?』
『本当だわ、ミュースィル様。こんなところにいらっしゃったのですね!』
遠くから近づいてくる人の気配。幾人かの声に聞き覚えがあります。すると途端に、目の前の男性が慌てだしました。
「うう、く、くそうっ、せっかくのチャンスだったのにィ!!」
そして、一目散に反対方向へと走り去ってゆきました。
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「ミュースィル様。お一人でこんなところへ…」
「私達、ミュースィル様をずっと探していたんですよ? 心配いたしました」
「申し訳ありません、どうしても一人になりたい気分でしたので……。ですが心配いりませんわ、この方が――――……?」
いつの間にか胸の下にあった、何者かの存在感が消えていました。思わず両手を胸下の空間で泳がせてその存在を探してしまうほど、いつそこからいなくなったのか?
私はまるで気づきませんでした。
「…ミュースィル様? どうかなさいましたか??」
「いえ、なんでも……。あら、そういえば貴女方と一緒でした方はどちらに?」
「あれ?! さっきまでいたはずなのに、いない??!」
「ミュースィル様がこちらにいらっしゃると私達、彼に案内していただいてこちらへとまいったのですが……一体どちらに??」
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「助けといて何も言わずにコッソリ去るとか、随分格好いい事をするな…似合わないぞシオウ、アッハッハッ」
「いいよ別に似合わなくても。相手が相手だし、ヘンに助けられた恩の云々ってなってもな」
「目立ちそうだから嫌だ、ってか。わーってるよ、だからオレだって一緒に離れてやったんだぜ」
「気遣い感謝」
既に二人は遺跡のあるエリアから抜け出る位置にいた。振り返っても彼女らの姿はかなり遠くだ。女子生徒たちは話をしていてしばらくあの場から離れそうにない。
「ハハッ、進級前祝いの穏やかな昼下がりはお預けだな、シオウ?」
「残念だ……。アイツにもっと強めのをかけてやればよかったな」
「何かしたのか?」
「性欲が有り余ってたようだから減退するように鎮静効果の精神系魔法を少々……」
延々と会話を交わしながら、二人は歩き去っていく。
寝転がるいつもの場所に生えている木が、新しい春の到来を告げるように、いつの間にやらツボミのいくつかを開いて穏やかなピンク色の花を咲かせて遠く二人を見送っていた。
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