第2話 人類自殺抑制対策課

 死んだ後に働くことになるとは、恐らく生きている時は誰も思わないだろう。この死後の世界は、生きていた者たちを死者が天界に導いたり、その他諸々のなんやかんやを管理するシステムとして成り立っていた。

 そして、春の足音が近づく某日。不慮の事故で命を落とした雪代は、数日間ふらふらと彷徨ったあとに、そのシステムによって天界に迎え入れられたのである。

 死んだ人間は、ここでそのシステムの一部として働くか、生まれ変わるかの二択らしい。そして雪代は、どういうわけか、新しく設立されたばかりの職場にスカウトされた。


 「“人類自殺抑制対策課”…ですか?」

 雪代は、天界で手にしたばかりの自分の声で晴見に問いかけた。

 「そう! “人類自殺抑制対策課”! ちなみに、ワタシはそこの課長だよ」

 晴見が社長机に腰掛ながら言う。

 ふわふわと曖昧な存在だった雪代は、晴見に手を引かれて輪郭を持ち始めた。そして、そのまま手を引かれ、いつの間にか部屋のような場所に来ていたのだった。

 部屋は、半球形のドームのような形が、真っ白の何もない空間に浮かんでいるようなイメージで構成されていた。晴見によると、これも全て雪代自身のイメージと、この空間を作った晴見自身のイメージが同調していることで、そのように認識出来るらしい。ちなみに、雪代自身の存在の輪郭が今さっき出来上がったのも、天界に入るための自身の存在を雪代自身が強くイメージしたからということらしかった。実際、今の雪代の格好は、生きていた頃の私服に近い姿だった。薄いカーディガンにジーパンと淡いブラウス。とはいえ、雪代にはこれらのことはあまりピンとこなかったが、そのようなことを考えていても仕方がないので、認識しているそのものを受け入れることにした。

 雪代は、部屋の中心に据えられたソファに座り、晴見の話を聞いている。これらも、現世の物体によく似ているが、全て晴見のイメージから成り立っており、イメージそのものに強く干渉しようとしたり、晴見自身の存在があやふやになると歪んで認識されることもあるのだという。もちろん、これも雪代にはピンとこないことで、彼女は目の前のローテーブルの上でくるくると回り続ける地球儀のオブジェクトを眺めていた。

 「具体的に、何をしていけばいいんでしょう」

 雪代は、部屋の隅で白い箱を何やら操作し続ける金髪のブレザー姿の少年を見つめながら、晴見に問う。少年は「ボクはつむじです。よろしく」と、こちらには見向きもせずに淡泊に挨拶をしたきりで、それ以降は黙々と白箱を操作しているだけだった。晴見とはかなり対照的な雰囲気だ。

 「まあ、名前の通りだよ。“人類”なんて大層な名前付けてるけどね。実際はまだ試験的に始めたばかりの試みだから、範囲は日本だけなんだ。知ってるかい? ここ数年の日本の自殺率」

 晴見は、つむじの方まで歩きながら話す。白衣がひらり、と揺れる姿は、死んだ人間に思えない飄々とした出で立ちで、どこか奇妙だ。

 「毎年変動したりしてあやふやな情報が多いけど、ここ数年は間違いなく多い。こういう天界のシステムは、もちろん世界中にあるんだけどね、日本は自殺含め生と死のバランスがすごく悪くてさ。ちょっと見てられないなーということで、試しにこういう部署を作ってみたわけ。だから、普通は死者が生者に干渉することはしちゃいけないんだけど、特別に許可貰もらって、試験的に自殺を減らす術を日々研究するわけよ。特に―」

 晴見は言葉を止めると、不意につむじの頭を、ぱんぱん、と音を立てて髪を撫でつけるように叩いた。

 「若者の自殺、をね」

 つむじは、案の定といった感じで、晴見との相性の悪さを示しながらストレスフルに叫ぶ。

 「マジでうざったいんでやめてもらえます? しかも、それだとまるでボクが自殺して死んだみたいだし!」

 つむじは怒りながらではあったが、白箱を操作する手を止めて、ようやく雪代の方を見やった。

 「…この人、いつもこんな感じだし、あんたもうざったくなったらとっとと異動願い出した方がいいですよ。やり方ならボクが教えてあげます」

 つむじは、薄い琥珀色の瞳を真っすぐに雪代に向ける。それは、まだ子どもらしさが残っている顔立ちに似合わない、賢くなり過ぎた大人のような冷静な視線だった。死者の世界で人の死因に興味は湧かないが、自殺ではないと言いながらもどこか影を持っているその雰囲気は、晴見とは全く違った独特の彩を放っていた。

 「晴見さん、本当にちゃんと合意の上でスー策に連れてきたんでしょうね? いつものわけのわからない説明で人を呼べたのが信じられないんですけど?」

 「スー策?」雪代は、不意につむじの口から滑り出てきた言葉に首を傾げた。

 「ああ、ボクらの間でのこの課の呼び名です。“人類自殺抑制対策課”っていちいち言うのは面倒だし。“スー”の部分は、恐らく英語で言うところの“自殺”である“suicideスーサイド”からきてるんだと思いますけど。こんな微妙な言い方は、当然そこの人が考えたんですけどね」

 つむじは親指で背後の晴見を指差し、「さっすがつむじクン、言わなくてもワタシの真意を受け取ってくれるのね~!」とへらへら笑う彼女を無視しながら続けた。

 「あと、ここには今はいないけど、他に二人のメンバーがスー策にはいます。二人とも女性なので、アナタとは気が合うかもしれないですね」

 「その人たちは今どこにいるんですか?」

 「一人は、現世でまさしくスー策の業務中です。もう一人は、死に先案内人と兼業しているので、そっちの仕事にあたってますね。というか、そろそろ帰ってくるかもですが」

 「そういう人もいるんですね。晴見さんが強引に引き抜いてきたんでしょうか」

 晴見は露骨に「ぎくっ」という顔をすると、苦笑いをしながら弁明をする。

 「ま、まあ、に至っては、ちょっと強引にスカウトしてしまったかな~という気はするんだよね…。ははは…」

 「そういうことも可能なんですね」

 「うん…でも、彼女に関しては、君と一緒でさ、ちょっと他の死者と違う感じがしたからね」

 「私と?」

 雪代は、死に先案内人の青年に、「生に未練はあるか」と聞かれた時のことを思い返す。確か、きっぱり正直にと言われたのでその通りに答えたら、少し驚いた顔をされたのだった。

 「その雫という方も、未練がなかったんですか」

 「そういう感じとは違うんだけどね…。ただ、死しても尚、死そのものに敏感であったら当然ここには誘えないしさ。かと言って、ニブチンなら誰でもいいってわけでもないしね」

 晴見は、今度は雪代の方へと白衣を揺らして歩いてきた。雪代が数センチ腰をずらすと、その隣に晴見が座る。人の体重でソファが軋む感触は、生きていた頃の体験そのものに近く、まだ慣れない。

 「大体の人間は、死者になると感情が希薄になってしまう。でも、君がそうであったように、極端に希薄になる“例外”もいる」

 「私はどちらかと言えばそのニブチン寄りなので、スカウトされたんでしょうか」

 「まあそれもあるけど、なんていうか、勘? 別に話さなくてもいいんだけど、なんか死生観について思うところがあったのかな~と思ってね」

 「別に普通ですよ。私は生きている頃もめちゃくちゃ凡人でしたし。小学生の頃、飼ってる金魚が家に帰ったら全滅してて、それで号泣しながら庭に埋めてお線香立てたりするような、そんな普通の子ども時代を過ごしました」

 「病気かなんか?」

 「よく分かんないですけど。水槽狭かったし、ストレスとかですかね。まあ、今更思い出すようなことでもなくなってしまいましたけど…これって冷たいですか?」

 「そんなことないですよ」つむじがいつの間にか機械をいじるのをやめて、近くに立っていた。そして、雪代の隣にしゃがみ込むと、突然指を鳴らした。すると、雪代の目線に合わせて、ノートパソコンの液晶ほどの大きさをした、ホログラムのようなウィンドウが出現する。全く意味不明な記号の羅列になっているそれは、パソコンの黒画面に出てくるような、素人には理解不能のそれとよく似ていた。

 「これはボクの仕事。でもちょっと説明するなら、今目にしてもらっている記号たちは、全部が人間の感情や思考を表しているんです」

 今は分からなくていいけど、と言いながら、つむじはローテーブル上のくるくる回る地球儀を指差す。

 「あの地球儀とかも使いながら、ボクらはターゲットを決める。今にも自殺しそうな人ってことですね。それを判別するのは、この記号たち。天界には、生者の思考と感情を記号化するシステムが組み込まれていて、ボクらにはそれを呼び出す権利がある。死に先案内人なんかも、これを使って悲しみの多い場所を突き止め、彷徨う魂を探すんです」

 つむじはウィンドウを消すと、また白箱に戻って歩いていく。今度はあまり目を合わせてくれない。

 「つまり、ボクらはプログラムみたいなもんで、人間の生と死を管理しているようなもの。生者からしてみれば、ちょっと冷たいくらいがちょうどいいです。晴見課長は色々言いましたけど、アナタみたいな死者は普通ですよ」

 そう言うと、つむじは再び、「もう話しかけないでください」というオーラを出して黙々と作業に戻った。雪代は、徐々になんとなく、この天界にいる死者の存在が分かってきた。

 つまりは、死んでしまえば、もうあれこれ考えてもどうしようもないのだ。

 それはそうだろう。人間は、古来より生き返ることはできないので、もう死んでから色々あれこれやろうとしても手遅れである。ただ、そこで作業をする彼のように冷静に、死んだあとのことをやるだけの選択肢しか残されていないのだ。

 「なんとなく分かりました」

 「お? 分かった?」晴見が目を輝かせて言う。「理解が早くて助かる! まだここも発足したばかりだからね。期待してるよルーキー!」

 晴見は、本当にこの死者らしく冷静な仕事をしなくてはならないプログラムの一部とは思えない程の明るい笑い声を放った。雪代からしてみれば、この人の方がよっぽど例外に感じるし、何故このスー策とやらの課長をやっているのかも疑問だった。

 分からないことだらけではあるが、まあやれるだけのことはやろう。そう思い、雪代は呆れるつむじの溜息を遠くに聞きながら、死んでから初めての適当な愛想笑いを浮かべたのだった。


 「晴見さん! 命令してください!」

 突如、晴見の高笑いで弛んだ空間を切り裂くよう、甲高い声が部屋に響く。

 声の正体は、ソファに座る雪代の背後に立っていた。

 白く綺麗に澄んだ雪のような肌に、亜麻色の髪が肩まで落ちている。細い切れ長の瞳は、一昔前に流行ったドラマの女優のような上品な雰囲気を思わせた。

 声の主は、酷く取り乱した、雪代と同年代くらいの女性だった。

 晴見は、一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに真剣な目つきに変わる。その変容ぶりは、先ほどまでへらへらしていた人物とは別人にしか思えない。

 そして、いつになく真剣な声で彼女にこう言った。

 「分かった。命令しよう。ただし、雫ちゃん、君じゃない」

 亜麻色の髪の女性は、「えっ」と声を上げて戸惑った。それと同時に、白箱の方からも「えっ」と声が上がる。

 晴見は、ぽかんとしている雪代を見つめてこう言った。

 「行きな、ルーキーの出番だ」

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