第24話 勇ましき者

 立ちはだかるのは、仲間の死体。

 悲鳴のような叫びを上げる六つの頭。懐かしき顔。

 だからこそ……僕は誓った。

 は必ず、僕が、殺す。 

 身構えた僕の上に、ザイルが、アリアネを振り下ろした。

 感じる風圧。

 凄まじい速度。

 すんでのところで身をかわす。

 衝撃。

 地面が揺れ、空気ごと僕を巻き込んで振動した。

 殺意に燃えたぎっていた体に、冷や汗が流れる。

 なんて……破壊力。

 立ち上る凶悪な臭気が体を強張らせる。

 叩きつけられたアリアネの体はもろく潰れ、血のりを引き、マネキンのようにひしゃげた肘から、桃色に汚れた細い骨がはみ出した。

 その顔が、機械的な動きでギギギと曲がり、こちらを向く。

「た……ずけて……」

 と、漏れ出す、彼女の声。

 這いつくばり、ゾンビのように歪んだ表情で、僕を睨む。

 アリアネ……?

『それ……キツいですよね。最後に念じた言葉がモンスターの体に残っちゃってるみたいなんです……死後硬直みたいなものですね』

 スキャナー越しの、ゴキブリの声。

 言葉を返す余裕も無く、アリアネの手のひらが、僕に向けられた

 煙が吹き上がる。

 ファイア。

 とっさのシールド。

 爆炎が視界を閉ざし、肌をむしばむ。

 熱い。

 ……痛い。

 敵から受けた、久しぶりの痛み。

 イージスを取り去った体に襲いかかる、生の、戦い。

 だけどこんなもの、みんなの痛みに比べれば……。

 突然、背中に衝撃が走った。

 吹き飛ばされ、喉に熱い血が這い上がる。

 一瞬、何が起きたのかわからず。

 回る視界の中でなんとか捉えられたのは、僕にぶつかると同時に姿を表した、キメラの左腕。

 フラー。

 その表情が、緑の瞳が、くっきりと目に焼き付く。

 ザイルの力で叩きつけられた、ステルス。

 見えない攻撃。

 防げないのはお互い様。

 防御をほとんど考慮しないまま僕に叩きつけられたフラーの体は、頭蓋がへこみ、腰が直角にへし折れていた。

 一瞬、きつく閉じた目から涙をいっぱいにこぼしながら、僕にキスした彼女の顔がフラッシュバック。

 ズルズルと地面を転がりながら、反吐の混じった血を鼻から吹き出し、なんとか態勢を立て直した僕の前で跳ねる、蹄の音。

 横を通り過ぎて。

 駆けてきたスレイプニルの首に、リアンの体が、両腕で掴まっていた。全身を不格好に引きずって、グラグラと不安定にこちらへ突っ込んで来る。

 飛び過ぎて、浮いた体。

 頭上を超えて、パラパラと小石のように肉片を撒き散らす。

 桃色の血のしずく

 視界いっぱいに広がって、右目に落ちる。

 真上に、ヤツの左足……シドが、振り上げられた。

 ぶつかる視線。

 空虚な緑。

 よどんだ赤。

「ねえちゃん……」

 と、幽かな声が、その口から漏れて。

 指先からヴェノムの霧を撒き散らしながら、一直線に落ちてきた。

 かつての仲間を見上げ、僕は歯を噛み締めながら、まっすぐに跳んで避けた。

 骨が砕ける音。

 皮膚が裂け。

 弾けた桃色の血の上に、赤い霧がモウモウと垂れ込めた。

 勇者に背を向けたまま、をつきながら吠えるザイル……。

 その左腕が、また消えている。

 風圧。上から。

 また後ろに避けた僕の前に、フラーの銀髪が叩きつけられる。

 ビシャっと血が跳ね、冷たい飛沫が顔を汚した。

 ……こいつは振り返らずとも、こちらが見えているんだ。

 スキャナーを、使えるから。

 くそ……。

 無遠慮に武器として振り回される、仲間たちの体。あまりにも凄惨なその光景を嘆く余裕すら僕にはない。

 ズキズキと、全身が痛んだ。

 イージスを手に入れてからも、僕はシールドのくせは抜かないように、あえて鍛錬を続けてきた。それはいざという時のための対策というよりも、仲間たちと同じ感覚を、戦いの息苦しさを忘れたくなかったからである。

 そのおかげで、僕はまだ戦えている。

 だけど……。

 あぁ……こんなに痛いのは、久しぶりだな……。

 最初にもらった、ステルスの一撃。シールドはギリギリで間に合っても、相手は最強の戦士、ザイルの力。単純なシールドで受け止められる相手じゃない。

 受け流しに失敗した左腕は、ただの一発であっさりとへし折れてしまった。

 ひしゃげた骨が肘から突き出して、鼓動のたびに悲鳴を上げる。

 ……致命的な傷。

 戦いとは、初手を取ったものが、勝ち。力の強いものの勝ち。

 ザイルは地上最強の男。

 イージスを封じられた僕では、ザイルには勝てない。

 そんなことは、わかっていた。

 ……それでも。

 折れた左腕を、ブラリと地に垂らす。その手のひらにまだかすかに残っている気がする、フラーのぬくもり。

 守れなかった約束に、まだ力が残っているのなら……。

 僕は、勇者だ。

 振り向きざまに向けられたアリアネの腕に、片手一本で剣を合わせる。

 仲間の体を斬ることへの逡巡を刹那に断ち切って。

 剣先が、火を吹こうとしたアリアネの手を、縦に裂く。

 肉が分かたれる生々しい感覚と、骨にぶつかる歯ぎしりのような振動と……そして、悲鳴。

 甲高いアリアネの叫び。

 想像を遥かに超えて、勇者の心をえぐった。

 ごめん……みんな……。

 血の涙を流すアリアネをさらに切り刻み、ザイルの胴体に刃を這わせる。

 力強い肉体が悲鳴を上げて、胸筋が真っ直ぐに切り開かれた。

 吹き出す桃色の血を、全身で受け止める。

 深呼吸。

 ザイルの肩の動きから把握していた、透明のフラーが叩きつけられるであろう位置へと、刃先を合わせた。

 踏ん張って。

 ブスリと、内蔵に響く重い振動。

 姿をあらわすフラーの体。

 あの時泣きながら僕にキスをした……その誰よりも美しかった顔が、人形のように不格好に垂れ下がった。

「……ころし……て……」

 消え入りそうなほど、はかない声。

 額がぶつかり、唇から、桃色の血がこぼれて……。

 ビシャリと、僕の顔に吐きかけられた。

 目に染みる。でも視界なんて、とっくに涙でかすんでる。

 足を掴まれる感触。見ないまま、フラーに突き刺さった剣を、刺さったまま下へと切り払う。

 リアンとフラーの、叫び声。

 垂れ込み始めたヴェノムの赤いガスを避けて、身を引いた僕は、朝日にまだらに照らされた仲間たちの、成れの果てを見つめる。

 機械的な動き。

 懐かしい顔。

 死んでる、みんな。

「かえせ……」

 言葉が、心から漏れ出した。

 きっとずっと思っていた、魂の叫びが、はじけ飛んだ。

「……かえせええええええっっ!!!」

 叫びながら、仲間たちのむくろに、無我夢中で斬りかかる。

 血が震え、魂が吠え、命が冴える。

 意識をパスした、ゾーンのつるぎ

 斬り刻む。

 手を合わそうとしたフラーの腕を。

 ヴェノムを僕に向けようとしたシドの肩を。

 黒煙を上げるアリアネの手を。

 僕にすがろうとするリアンの腹を。

 躍動するザイルの胸を。

 ……その、顔を。

 悲鳴を上げる、かつての仲間たち。

 痛みを嘆くように、成り果てた化け物の体で。

 化け物?

 違う!

 これは、モンスターじゃない!

 キメラじゃない!

 ゴキブリの欲しかったものじゃない!

 僕の仲間だ!

 一緒にこれまで歩いてきた、大切な友だちだ!

 お前なんかに……奪われていい命じゃなかった!

 返せ!

 返せ!

 返せ……。

 仲間たちを切り離そうと、力いっぱい、剣を振るった。

「かえせっ!!」

 金切り声で叫びながら、シールドで、叩きつけられたフラーを受け流した。

 衝撃に逆らわず、脱力し、撒かれるヴェノムから遠ざかる動きも兼ねてくるりと体を回し、アリアネの腕を切り落とし、右足のリアンにも、一閃。

 リアンの腰を刃が通り抜け、全体のバランスが崩れる。

 膝をついた、ザイル。

 その膝……リアンをさらに踏み台にして、僕は跳んだ。

 骨のはみ出たザイルの脇腹を足がかりに更に高く浮き上がった僕は、体重を乗せ、全力でザイルの首……レイアの背中に一撃を叩き込む。

 ぐにゃりと、信じられないほど嫌な感触。

 ザイルの頭蓋とレイアの背骨の間で、剣は止まる。

 レイアの表情が、苦痛にゆがむ。

「おにぃ……ちゃん……」

 レイア……。

『流石ですね、勇者さん。でも……』

 突然、僕の目の前に、動きを止めたはずのアリアネの汚れた手がかざされた。

『ごめんなさい、無駄なんですよ』

 ……え?

 黒煙。

 ファイア。

 爆炎が渦を巻き、全身を包みこむ。

 落ちていって。

「ダイト……」と、僕を呼ぶ、小さな声。

 同時にリアンの体が、僕を蹴り上げた。

 一瞬世界が白んで、受け身も取れないまま、宙を大回り。

 落下の衝撃。

 息が、苦しい。少しヴェノムを吸ってしまったか?

 立ち上がり、朝日に全身を染められた仲間たちを見つめる。

 絶望が、じわじわと足元から這い上がった。

 うそだ……。

 なんで、こんな……。

『……気がつきました?』

 僕が見つめている先で……。

 切り落としたはずのアリアネの腕が、赤い腫瘍と桃色の血を接着剤にするように、つながっていく。

 リアンの胴も、レイアの背中も。

 僕が万感の思いで斬り刻んだ全ての傷が、コポコポと音を立てて、赤く塞がっていく。

『そいつ、不死身です』

 ゴキブリのささやく声。

『マナって力の自己修復能力は、本体の体力に比例して強くなっていく……そして、モンスターに一定時間以内に与えられるダメージには、限りがある』

 見ているそばから、砕けたシドの手がパキパキと修復され、ヴェノムの毒がジワジワと、止まることなく染み出していく。

『異能者の惨殺死体6体……それが、マナの自己回復速度が最大ダメージを上回るボーダーラインです』

 ザイル……。

 仲間を引きずり、不器用に腹を波打たせながら、桃色の血にまみれた彼が、またリアンのスレイプニルを使って飛び跳ねて、僕の上から襲いかかった。

 叩きつけられる、シド。

 吹き出す毒霧。

 かわすため、転ぶように距離を離した僕の折れた腕に、衝撃。

 見えない、フラー。

 アリアネ。

 頭突きのように叩きつけられたレイアが、僕を見上げて、また呟いた。

「おにぃ……ちゃん……」

 間髪入れずに、蹴り込まれるシド。

 毒霧をかわすために崩れた姿勢に、アリアネの炎が、フラーの体が、畳み掛ける。

 逃げても、リアンのスレイプニルが逃がさない。

 レイアのスキャナーからは隠れることもできない。

 逃げれば逃げるほど……ヴェノムの霧で、退路は塞がれていく。風上を意識しても、彼の毒霧の量は容赦がない。

『……俺の勝ちです』

 猛攻の隙間に、ゴキブリの声が響く。

『これが、あなたの仲間たちの力です。とんでもないでしょ? 耐えかねてイージスを使ったら、力を奪って俺の勝ち。使わないで死んだら、あとであんたの死体をモンスターにして、盾を奪って俺の勝ち。あなたはガスマスクを被って透明になってる俺を、毒霧がここを満たすまでに見つけて殺せれば勝ちなんですが……』

 逃げようとした先に、ヴェノムの赤。

 一瞬立ち止まった地点に、アリアネの火球が飛んできた。

 シールドで防御。

 だが、熱は防げない。

 高熱に全身が硬直し、一歩たりとも、動けない。

 襲い来る、波状攻撃。

 振り回されるザイルの怪力、その一発一発に、体が悲鳴を上げる。

 止まらない。

『……そんなことさせてくれるほど、あなたの仲間は弱くない』

 脳裏に響いた声と同時に、ガクッと、僕は片膝から崩れ落ちた。

 それは蓄積された疲労。

 骨のきしみ。

 体を支えるための左腕も、動かせない。

 当たり前の……結果。

 見上げた先に、朝日に照らされた、レイアのシルエット。

 馬頭の悪魔のように、崇高で、恐ろしく。

 振り下ろされて。

「……ごめん」

 ぼそりと、ザイルが呟く。

 風を切って。

 最後の頭突きが、僕に直撃した。

 シールドは張った……だけど、受け流せない。

 まっすぐ正面からぶつかったザイルの怪力マナ。ダンプカーのような衝撃が全身を襲い、ゾワゾワが、つま先から頭皮にまで這い上がる。

 内臓が揺れる音。

 鉄塊を飲み込んだみたいに、喉が潰れる。

 膝の骨が割れ、あばらがひしゃげ、体が押し潰されていく。

 ありえない破壊力。

 全身がスポンジになってしまったみたいに、ザラザラと、心もとない。

 絶対に負けないという意志と、仲間への思いが、たった一撃で全部砕かれた。

 これが……マナ。

 ザイルの、本気。

 なんて……。

 声も、出ない。

 意識を失いかけ、あらがすべなく倒れていく僕の背中を、誰かが、支える。

 何かが突き刺さる鋭い痛み。

 息が、止まる。

「……生きてる間に、最低一回はこのナイフで相手を突き刺さなきゃ、モンスター化はできない。これが最後のネックだった」

 ゴキブリの肉声が、背筋を撫でた。

「今、その条件を揃えました……終わりです」

 僕は、ゴキブリに掴みかかろうとした。

 意志のすべてを懸けて斬りかかろうと……力が抜けそうな指先に必死で思いを繋いで、剣を振り上げた。

 ぱきっと、硬い音。

 マナを受け止めて、折れたはがね

 ゆっくりと、落ちていく。

 ピチャ……と、折れた剣先が、僕が取りこぼしたつかごと、桃色と赤の血の中に沈んでいった。

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