第10話 ビル街

+フラー・ヴィジョン+



 空に打ち上った狼煙の炎……天井についた焦げ目を頼りに、フラーは不気味なダンジョンを進み続けていた。

 幸運にも、彼女の立っていた地点はアリアネが狼煙を上げた場所からそう遠くはなかった。目の前のガラスだらけの建物は迂回しなければいけないだろうけど、もうじきに集合地点までたどり着くだろう。

 震える喉で深呼吸して、あたりを見回す。

 見慣れない背の高い建築物がひしめき合う、異世界の光景。だけどこの場所が、本来は人の住む街であったことはわかる。それだけに、あまりにもガランとしたこの人気ひとけの無さは不気味だった。ざらつく地面は石畳ではなく、平らな一枚岩のように境目がなく信じがたいほど丁寧に舗装されている。壁という壁も、表面にダンジョン特有の灰色の文字が這っているとはいえ、人目を引くための看板や用途のわからない施設が色とりどりに配置されていたはずの、賑やかな表通り。

 それなのに、ここには誰もいない。人っ子一人、ネズミ一匹息づいていない。試しにお店に見える建物の戸に手をかけてみたが、溶接されたみたいに微動だにしなかったし、ガラスから透けて見える中には何もないところも多かった。

 見た目だけの、ハリボテの街。

 フラーが歩んでいる道……というか、この街の基本的な道の構造は、馬車道と歩道に別れている、王都のような先進都市の構造に似ている。二つの道の中間にやせた土がところどころ虚しく盛られているのはきっと、本当はそこに木が植わっていたからだろう。

 ここはいったい、何?

 ダイトは確か、ここが自分たちの世界の景色だと言っていた。つまりはこれが異世界の都市の風景なのだろうか。確かに彼が話していたビル街だとか、ネオンだとかの話と景色は一致している。フラーの想像していたものとはだいぶ形が違うけど、本当は彼はこういう風景を説明したかったのだろうか。

 なんだかとても威圧的な風景だと、彼女は感じた。

 ふと、耳の奥にビリっとくる咆哮を聞く。

 ……モンスターだ。

 もちろん、モンスターが襲撃してくることは予想していた。あの男、ゴキブリは明らかにタイミングを合わせてモンスターを召喚している。それは恐らくこの図書館の力だろう。最初にここに来たときに、謎の青い玉が説明した言葉を思い出す。

 ダンジョンの生成、モンスターの召喚、そして、知識あるものの呼び出し……それが、”図書館”の機能。

 前半の二つは、今まさに見せられているこの事象そのものだ。あの男はきっと最初にあの球体が話していた手引き書とやらを持っていて、それを使ってこちらを襲撃しているに違いない。

 それに、知識あるものの呼び出しっていうのも……もしかして、自分が知っているものを呼び寄せられるってこと?

 あいつが持っているという謎の武器や乗り物、それにもしかしたら、この街だってその力を利用して召喚しているのかもしれない。

 そこまで考えて、ゾクッとする。

 ……街一つを召喚なんて、そんなことが、可能なのだろうか?

 震える体を抱きしめて、殺されたレイアのことを想う。考えてはいけないとわかっていても、その身に降り掛かったあまりにも残酷な死を、嘆かずにはいられなかった。

 レイアちゃん……。

 ダイトだけじゃなく、みんなにとっても妹のように思われていたレイア。あの子が心を開いてくれてたのは、ダイト以外にはフラーしかいなかった。女同士であることも手伝って、それこそ、ダイト以上に長い時間を、二人で過ごしたと思う。

 だからきっと、彼女が一番よくわかっていた、レイアちゃんの無邪気さ。お兄ちゃんと結婚するなんて、大真面目に叫んでいたあの子の声も、もう、聞くことができないなんて。

 それに、ザイル。

 きっと彼はもう……。

 空をモンスターの影が覆う。隠れて歩いているフラーは素通りして、どうやらアリアネが示してくれた集合地点へと集まっているらしい。

 当たり前か。だって、分断された自分たちがそこに集合するのがわかっているのだから。

 ……当たり前。

 そうだ、当たり前だ。

 あいつは、当たり前のことをしている。

 つまり?

 この時、フラーにはふと、気にかかったことがあった。だがそれを考えるより先に、今まで聞いたことのない轟音が背後から迫りつつあるのを聞いて、彼女は思考を停止させる。

 近くはない。だが、ものすごい速度で近づいてくる。

 とっさに裏路地らしき場所に身をひそめた。

 ブロロロロ……と、空気が震えてるみたいな音。

 叫びのように、大きくなっていく。

(まさか……私が狙われてる?)

 心音がとてつもないほど早鐘を打っているのを自覚しながら、それでも手を合わせて息を止め、フラーは表の様子をじっとうかがった。

 ガラン……ガランと、何かが地面をこすり暴れているやかましい音がする。なんの音だろう。

 そろそろ、来るか?

 そう思った矢先に視界を駆け抜けていったものに、フラーは驚いた。

 あれは、スレイプニル?

(リアン!)

 一瞬、嬉しさで体が跳ねかけた。

だが……。

(……リアン?)

 スレイプニルは最速の異能……狭い路地に隠れていた彼女の視界に入ったのはほんの一瞬であったために、上に誰かが乗っていたかどうかさえわからなかった。でも、何かを引きずっていたのは確実だと思う。

 直後、ウオオーー……オォ……ンンと派手な音を響かせて、黒い何かが走り抜けていった。

 こちらには誰かが乗っているのがはっきりとわかった。

 ……ゴキブリ、だと思う。フラーとシドは彼を一度も見ていないので確証は持てないが、多分、間違いない。

 ゴキブリはフラーの隠れている路地には目もくれず、全速力で走り去っていった。

 ……やっぱり。

 あの男……。

 勇気を振り絞って、フラーは路地に飛び出した。

 もう、あいつは見えない。アリアネのところへ走って向かってるんだ。

 急がなきゃいけない。

 フラーは、無我夢中で駆け出した。

(お願い、アリアネ……私が行くまで、あいつと戦わないで……)

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