第6話 ゴキブリ
僕らはこの白いダンジョンを切り進んだ。敵を蹴散らし、立ち止まらず、レイアを探して走り回った。
その間一度たりとも、レイアの悲鳴は途絶えなかった。悍ましい痛みに震えながら、必死の思いでレイアは、僕らに声を伝え続けていた。
痛い。
助けて。
おにいちゃん……。
胸が引き裂かれるような、心臓が鷲掴みにされるような凄惨な声で、彼女は泣き続けていた。
『クソおおおおお!!!』
ザイルかシドが、吠えている。もしかしたら僕だったかも。
このダンジョンを遠くまで探索してしまっていた僕とリアンは、アリアネやザイルと比べたらレイアから距離がある。だが、リアンは早い。モンスターも数は多いが、一体一体は大した強さじゃない。
僕らは無我夢中で突っ走った。
スレイプニルに乗ったまま、障害となるモンスターたちだけを切り払って。
レイア。
レイア……っ。
『おにい……ちゃん……』
というか細い声を最後に、彼女の悲鳴が、ブツリと途絶えた。
心臓が止まりそうになる。
まさか……。
「……レイア?」
…………。
ウソだ。
ウソだウソだウソだ。
「ウソだっ!!」僕は叫んだ。
不意に、スキャナーの信号が戻ってくる。
よかった、レイア……。
『まず……一人』
ゾワゾワっと、背筋の毛が逆立った。
聞き覚えのない、恐ろしくくぐもった、男の声。
誰かの声。
薄ら寒い予感を感じながら、借り物のスキャナーの力に集中する。
……近い。
もうすぐそこだ。
僕はそれを感じた。あらかじめ方向を伝えていたアリアネは僕らより先に着いているだろう。ザイルもそう遅れまい。彼には、マナの筋力強化による
空に、影。
巨大なサソリが天井を這って、僕らに尻尾を伸ばていた。
「邪魔だあああぁぁぁーっ!!!!」
死にそうなほどの不安の気持ちを、怒りの渦を、全部叫びに変えるような気持ちで、僕は剣を振るった。
切り裂かれ、血があたり一面を染め上げた。
反動で馬から振り落とされたが、すぐに体を起こし、落下したサソリを前に据える。
一度通信を切って、戦いに集中。
待ってろ、待ってろレイア……っ!!
必ず、助けるから!
黒いハサミをかいくぐり、顔を蹴って飛び上がる。
絶対に……僕が……。
サソリの素っ首を、叩き切る。
……あぁ、ちくしょう。
ごめん、レイア……僕が油断していたばっかりに……。
切り落とされたという腕と、えぐられた瞳を思う。
どれだけ、痛かったろう。
きっとまた、人見知りの克服はやり直しだろうな……せっかく、アリアネとは少しずつ友だちになってきたのに。フラーと二人で、買い出しにだって行けたのに。
僕はダメな兄だ。
だけど……それでも……。
僕らはもう、かなりの敵を切り倒してきたはず。だが、不思議と疲れは感じない。それくらいに頭が燃え立っているのだろう。
目の前の階段を、リアンと二人で駆け上がる。
この先に、いる。
レイアと、レイアをさらった、誰かが。
怒りに頭髪を逆立てて、部屋へと飛び込んだ僕らの視界に最初に入ったのは、手をかざして臨戦態勢を取っている、アリアネの桃色の髪。
ついで見えたのは、サイドカー付きのモーターバイク。
そして……。
座席に腰掛け、ザイルに足をかけたまま、アリアネにハンドガンを向けている一人の男。
黒い、ガスマスク。
悪寒が襲う。
こいつが……。
怒りに
ザイルが、まるで人質のようにひれ伏している。
あの、ザイルが?
それに、あの男が手に持つ銃とバイクも……なんで、向こうの世界の道具が、こんなところに?
そしてそれ以上に、その男の余りにも異質な存在感にも足元が
こいつは……なんだ?
何者だ?
……が。
その男に目を奪われていたのはほんの一瞬のこと。
すぐにそいつが腕に抱える金色の髪に視線が吸い寄せられて……。
それを見た僕の全身に、鳥肌が噛み付いた。
ぎゅるりと、胃の中身が逆流。
何かに脳みそを掴まれ、視界が、暗くなった。
立ち尽くす僕の隣で、リアンが崩れ落ちる。
「うそ……」
キイーイイィイー……ィイイ……ーンン……と、耳の奥で音がした。
ガスマスクの男が、フラフラと僕に向けて手を振る。
その手の下でぐるぐると、両目も耳もないレイアの頭が、回っていた。
「レイア……?」
サイドカーに載せられたレイアの胴体には、腕も足もない。
命も、ない。
「ちくしょう、殺してやるっ……殺してやるっ!!」
ザイルが泣きながら怒り狂う声。
「なんで動けねえんだっ!? くそおおぉっ!!!」
アリアネの目にも、大粒の涙が光っている。
「許さない……あんた、レイアを……レイアを……っ!!」
僕は、動けない。
だけど、何かが胸の奥で爆発しようとしてるのはわかっていた。
それでも、僕は動けない。
まだ、動けない。
「お前は……」
カラカラの喉から、意思を離れた言葉が溢れ出す。
「お前は、誰だ?」
レイアの生首を持った黒い男。このダンジョン”図書館”と同じように世界に馴染まない漆黒のガスマスク。そのレンズが、昆虫の眼のように鈍く光って、僕を見た。
「……ゴキブリ」
男は、そう名乗った。
「はなしやがれ! くそが、お前はぜってえ俺が殺すっ!!」
ゴキブリの足元に伏したままのザイルの、咆哮。
ゴキブリはその額に銃口を押し付ける。
「次は、お前」
沼のように低い声。
頭皮が、逆立つ。
ザイルの呼吸が、一瞬、たしかに止まった。
「何言って……」
ゴキブリのマスクが、また僕を見た。
黒い光。
何も、映らない。
ただ見つめ合う。
「お前は最後だ……お兄ちゃん」
胸の奥底で、何かが壊れる音がした。
何も考えず、一声さえも発さずに、まっすぐに斬りかかる。
瞬間。
目の前に、大量の触手を持つ巨大な植物型モンスターが、赤い閃光とともに出現した。
これは……プラントウォール?
最悪だ。
僕は、叫んでいた。
発狂しそうなくらいに、怒りが爆発していた。
バイクのエンジン音。
無我夢中で、目前の赤いツタを切り刻む。
だが、進めない。
切っても切っても、触手はまるで減らない。イージスで攻撃を弾いても、こいつらの武器は物量。跳ね返らずに、ただその場に留まって、道をさえぎる。
「ダイト、下がって!」
探検家アリアネが、叫んだ。
気がついて身を引いた僕の前で、彼女の異能”パイロキネシス”が発動した。
ツタに引火し、業火が部屋を埋め尽くす。
僕は口を押さえながら、イージスの盾にまかせて火の中に飛び込んで、奴を追おうとした。
だが、燃えながらでも、触手は僕のゆく道に立ちはだかる。
プラントウォールのツタは、一本一本が死んでも消えることなく、ただ降り積もる。触手を全滅させる最後の最後まで、探索者の行く手を塞ぎ続けるのだ。近づくものを感知し、中央にあるものを触手で守る、死ぬほど厄介なダンジョンの守り屋。ボスモンスターに次ぐ、冒険者にとっての厄介な
それを、こんなに恨めしく思ったことはない。
あまりにも暴力的なもどかしさに、僕は焦熱も忘れて、吼えたけっていた。
だが……。
触手がすべて焼け落ちて、ようやく桃色の血ごとその体が蒸発した頃には、ゴキブリとバイク……それに、ザイルの姿は影も形もなかった。
お前は最後だと嘲笑った、悪意の言葉だけをハッキリと耳に引き残して……。
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