絶望譚

第1話 図書館

 国王から特別に貸し出された巨鳥ロック三羽に分乗して、僕らは空に浮かぶ巨大な白い建造物へ向かって雲の間を飛んでいた。

「近くで見るとでっかいなぁ」ザイルが低い声で感想を漏らす。「どうやってこんなのが浮いてるんだ?」

「魔法の反応がないってことは、うーん、別次元が重なって現れたとか……」僕の背中に抱きついているレイアの声。

「行ってみないことには仮説も立たないよね」今度はアリアネ。「だからわざわざ飛んできたんだしさ」

 魔王を打倒してから、はや半年。魔王を倒す前までは反逆のとして追われていた僕らは、今ではすっかり救国の英雄として世界に持てはやされていた。モンスターには容赦なくとも、人間に対しては徹底的に不殺を貫いた僕らへの民衆の支持は、現状、どんな国の国王よりも高い。

 だけど、僕らはまだ、この世界に残っているモンスターを討伐する義勇軍として剣を振り続けている。魔王の残した爪痕はそう簡単に消し去れるものじゃない。僕らの旅は、終わっていない。

 後始末のように世界の歪みを是正する僕らの上に、この巨大な白い箱は、ある日なんの前触れもなく出現した。

 眼前に広がる空飛ぶ巨大な構造物は、大小様々な白い箱を無作為に重ね合わせたみたいに不安的な形状で、周囲に時々、黒いノイズを走らせている。あまりにも飾り気のない真っ白な箱たちは現実味が希薄で、なんとなく、電脳空間を思わせるような不思議な雰囲気だった。

 しばらく周囲を飛ぶうちに、小さな入口らしき部分を発見して、僕らはその前に降り立った。

 風の音。下は海。

「こっわー」と言いながら、レイアがまたぎゅっと背中に抱きついてくる。「お兄ちゃん、下見た? すっごい高いよ」

「うん、わかったから……ほら、歩きにくいって」

「いいじゃんいいじゃん。お兄ちゃんも寒いでしょ?」笑顔で見上げてくるレイアを見て、僕はそれ以上のことをしゃべるのをやめた。

 こっちの世界出身の”レイア”は、当然僕の妹ではない。彼女が勝手に僕をお兄ちゃん呼んでるだけだ。もう十五になるのに、彼女は色々と子どもっぽい。でも、それも仕方がない。彼女は、悪質な異能開発施設の中で、偽りの兄にいいように利用され続けた不幸な子だ。最初に出会ったときは、今にも死んでしまいそうなくらいにはかなげな顔をしていたのを覚えている。僕を兄として扱うことが少しでも彼女にとってプラスになるなら、それに越したことはないだろう。

 ただ……。

 年の割に発達した胸を押し付けてくるのだけは、なんとかして欲しいかな。もしかして、わざと? 片脚がまるまる露出した、ボディライン丸わかりのピタッとした黄色い服を愛用してるのも、そういうことか。それは自惚うぬぼれすぎか。

「なーんか質素な入り口だね」アリアネが、コツコツとドアを叩いた。「全然見た目が合ってないじゃん。センスを感じない」

 ”アリアネ”は、こちらの世界に僕が転生してきた森の迷宮の中で最初に出会ったトレジャーハンターだ。少数民族の出自を示す桃色の髪はショートに切り揃えられていて、服装もパンツスタイルにコートジャケットっぽい青の魔導着と男らしいけど、顔は結構おっとりとしている。口調はサバサバしてるけど、泣いてる人を励ますのは誰よりも上手。勇者と持てはやされたり悪魔と嫌われたりした僕の本当の悩み……ホームシックを最初に理解してくれたのも、彼女だった。好きなのか? って言われるとなんか違うのかなって思うけど、多分、深いところでは僕が一番信用している、そんな人。

 アリアネは、目の前の木製らしきドアに手をかけて、ガチャガチャと力を入れる。「ダメだわ、開かない。ザイル、交代」

「はいはい、どいたどいた」巨漢の”ザイル”がアリアネとバトンタッチして、ドアの前に。赤い髪に浅黒い肌をした彼は、一見すると歳が三十近くに見えるが、実際は僕よりも年下だ。強靭な肉体を惜しげもなくさらすタンクトップも含めて、初見の人にはかなり威圧的な人格に映るだろう。

 彼との出会いは、僕がこちらの世界で最初に泊まった宿屋だった。街に突然現れたモンスターの群れをアリアネと僕とザイルの三人で追い払ったのが、僕らの物語の始まり。それから成り行きで今までついてきてくれた、義理堅い青年である。

 ザイルの太い手が、ドアノブに。彼の異能”マナ”は、僕らの中でも最もシンプル。ずばり、怪力。魔法の力を持つ僕らは元々、魔力を込めることで一般人よりもはるかに高い力を発揮できるが、彼の筋力は特にずば抜けている。

 派手な音。

 変形したドアが、僕らの足元に転がってきた。

 警戒はおこたらず、最初にザイル、次いで僕と、一人ずつ入場していく。

 中は一面、角すら見えにくいほど真っ白な四角い部屋だった。だだっ広くて、四方に別の部屋へと続くドアがある、それだけの場所だ。

「つまり、これが何部屋もあるってことなの?」リアンが愚痴をこぼす。「探索し切るのは相当大変ね」

 ”リアン”は、祖国を裏切ってまで僕らに協力してくれた、元エリート騎士の女戦士だ。金髪とフワッフワのポニーテールがチャームポイントの、キレイでかっこいいお姉さん。武器は槍。戦う人間としては不利になる大きな胸がコンプレックスらしい。

「レイアちゃん、階層把握できる?」 

「ううん……ちょっと、広すぎて……」ボソボソと、レイアは答える。彼女は僕以外の人とはまだうまく話せないのだ。「でも……モンスターはいないよ?」

「どうする? 一丸で進むか、手分けして探検してみるか」桃色の髪のアリアネが振り返って、肩をすくめた。「モンスターがいないなら、みんなで固まらなくてもいいんじゃない?」

「だけど、何があるかわからないからなぁ」考えながら、僕は答える。「もう少しみんなで進んで、何もなかったらチーム分けして散開、だね」

「まあ、それが妥当か……」

 なんて、のんきな話をしていた僕らの目の前に、突然、青い球体が出現した。

 飾りでしかない黒い目と黒い口が描かれた、空飛ぶ球体。

 驚いて剣を抜く。


「ようコそ、図書館へ」


 そいつの内側から、ラジオ音声のようにひずんだ声が響きだした。

「なんだこりゃ?」ザイルが背後で驚く声が聞こえる。レイアは僕の後ろに隠れて、こっそり顔を覗かせている。

「スキャナーに反応は?」

 レイアは首を横に振った。

 ノイズ混じりの声は続く。


「図書館デは、ダンジョンの作成、モンスターの作成・召喚、おヨビ知識あるモノの呼ビ出しが可能デす。詳細は、エントランス中央の手引き書カラご確認くだサい。不明ナ点がありましたら、手引き書冒頭に記サれたコードを入力しテ、目ノ前のブルーボールを召喚しテいたダケれバ、可能ナ限りご質問にオ答えシマス」


 それだけ喋って青いボールは、空気中に光のように溶け込んで、跡形もなく消失してしまった。

 振り返り、みんなと顔を見合わせる。

「……そいつ今、相当やばいこと言わなかった?」アリアネが冷静につぶやく。「ダンジョンの作成、モンスターの召喚、それと……知識あるものの呼び出し?」

「つまりここは、ダンジョン工場なのか?」今度は、ザイル。「それに、エントランスってこの部屋だよな? 中央の手引き書って、なんの話だよ?」

 青い玉が消えた場所の足元を見る。ちょうど辞書くらいのサイズの本が丸々一冊くらい入りそうなくぼみがあるが、肝心の手引き書らしきものは見当たらない。

「まだ何もわからないよ」僕は答えた。「とにかく、今は進んでみるしかないんじゃないかな」



 次の部屋は、入り口とは少し様相が違った。さっきの部屋よりも広くて、文字のような黒い模様がユラユラと壁を這い回っている。後ろ以外の出入り口はドアもなく、前と右でサイズが違うようだった。

 なんか、空気が裏ダンジョンっぽいなぁと、僕は向こうにいた頃に好きだったテレビゲームの記憶に思いを馳せていた。

「なんだこりゃ」シドが、さやの先で壁をつつく。波紋が広がり、黒い模様が直線のような形を描き出した。

「あんまり余計なことしない方が……」フラーが、こっそりと提案した。

「何もしなけりゃ何もわからねえよ」シドは鼻で笑って、何かを描くように不規則に壁をなぞり続ける。

 僕と同い年の”シド”は、こんな感じに無謀なところが多々ある。銀髪に、首を覆う白いファー、白い服、白い肌、刀と、何かとそっち系な雰囲気がただよう彼だが、戦士としての実力は本物だ。

 ”フラー”はそんなシドの姉である。シドと同じ色の銀髪ストレートヘアと同じ色の緑の瞳を持つ、ちょっとビックリするくらいキレイな女の人だ。性格も弟と違って優しくて、パーティの中でもサポートに回ることが多い人だ。短めのドレスの下にレギンスを履いたような戦闘服だが、異能の性質もあって、そもそも彼女が戦うことはあまりない。当然、魔力による基礎的な筋力強化と、防御魔法の”シールド”が使える以上、普通の人間やレイアのような特例とは比べ物にならないくらいの戦闘能力は備えているのだが、そもそも戦闘という行為自体に彼女はまったく積極的ではないのだ。この旅に同行しているのも、無茶しがちな弟が心配だったからである。

 でも、彼女がいなかったら僕らは空中分解していてもおかしくなかった。大事なタイミングでは誰よりもまともなことを言える人なのだ。レイアも、フラーとは仲が良い。それに、彼女は必ずしも戦闘に不向きなわけではないというのが、僕の見立てだ。

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