第25話 最後の殺人

 家を出た由真はとにかく街中を進む。

 夕暮れの中にたった一人。

 どこに行く宛ても無い。

 ただ、逃げるようにして、少しでも遠くへと向かっている。

 犯人はきっと、この姿を追い掛けている。

 どのようにして、動きを察知しているか。それは解らない。

 だけど、相手は必ず、こちらの動きを察知している。

 由真は周囲を警戒しながら、ただ、歩き続けた。

 時刻は午後9時を過ぎようとしている。

 知らない公園のベンチに座った。

 公園の防犯灯がパカパカと点滅している。

 逃げる・・・だけでは意味が無い。

 相手の手が届かない場所まで逃げたとして・・・それで犯人が自首するとも、犯行を止めるとも思えない。

 ここで止めないと・・・

 由真は覚悟を決めていた。

 この人気の無い公園。相手がここで自分を殺害するかどうかは解らない。

 かなり用心深い相手だ。きっと、殺害するにしても周囲の状況などを確認して、自らの犯行だと悟られない細工を施してからじゃないと仕掛けて来ないだろう。

 由真の中に緊張が湧き上がる。

 ポケットの中にある物を握り締める。戦うとなれば、これしか武器が無い。だが、勝てるだろうか?相手は連続殺人鬼だ。人を殺す事を躊躇わないような相手にどう立ち向かえば良い?

 由真はただ、考えるしかなかった。

 10時を過ぎた。このまま、朝まで待ち続けるしかないのか?確かに襲うなら、眠気が襲う夜明け前が良いだろう。だが、遅くなれば、両親が気付いて、警察に通報する可能性もある。

 仕掛けるなら、早い段階じゃないか?

 由真は腕時計を見た。

 その時、足音がした。

 それはゆっくりと近付いて来る。

 由真は音の方を凝視する。暗がりの中に人影が見えた。それは防犯灯に照らされた。見えたのは黒いビジネスシューズ。


 留置所の中で遠縁坂は疲れたように天井を見つめていた。

 彼に出来る事は全てをした。そう思っている。

 もう何も出来ない。

 諦めに近い感じだった。

 夜の留置所に足音が響く。

 いつもの警察官による巡回だろう。もう、何かを頼む事も諦めた。彼等は留置所に入っている者の声を聞かない。

 「おい、ぼうず・・・起きているか?」

 声を掛けられ、遠縁坂は慌てて、声の主を見た。

 「痛ててぇ。くそっ、傷が開きそうだ」

 警察官を連れた老刑事がやってきた。

 「警部・・・無理は・・・」

 警察官は痛みを訴える老刑事を心配そうにする。

 「俺は良い・・・こいつを釈放してやれ」

 「えっ?それは無理ですよ」

 老刑事の言葉に警察官が驚く。

 「こいつは犯人じゃない。誤認逮捕だよ。俺らは一杯食わされた。これはあのお嬢ちゃんを一人にするための罠だったんだ」

 「け、刑事さん」

 遠縁坂が驚く。

 「お前・・・解っているんだろ?早く、あのお嬢ちゃんの所へ行け。俺も彼方此方に手を回して、何とかする。だが、間に合わないかもしれない。そうなれば、お前しかいない。頼むぞ」

 老刑事の頼みに警察官は牢屋の扉を開いた。遠縁坂は慌てて、外に出る。

 「あ、ありがとうございます!」

 遠縁坂は老刑事に頭を下げて、駆け出した。

 

 「あなたは?」

 防犯灯に微かに照らされる人影に由真は声を掛けた。

 だが、人影は無言だった。

 「あなたが・・・犯人ですか?」

 由真は勇気を出して尋ねる。

 それでも無言だった。

 「私を殺す気ですか?」

 由真はポケットに入れた右手に力を入れる。

 ガサリ

 人影が一歩、前に出る。

 レインコートのような物を羽織っている。そして、露わになる顔には覆面がされていた。顔を覆う覆面は紙袋に穴を開けた程度の粗雑な物だったが、顔の輪郭も目さえも見えない。

 「殺せるものなら・・・殺してみると良いわ」

 由真はベンチから立ち上がる。ポケットに入れていた手を抜いた。そして、突如として、その手を力一杯、振り上げる。その手からは何かが放たれた。

 覆面の相手も突然の事に腕で顔を覆う程度にしか出来なかった。その身体に何かが当たる。酷い異臭が放たれる。

 「それは生ごみを細かく砕いた物よ。少なからず、あなたの身体には臭いが付いたはず・・・これで、逃がさないわ」

 由真は相手を睨み付けながら、そう告げた。

 「そう・・・」

 覆面は女の声を発する。そして、紙袋の覆面を鷲掴みにして、引き裂くように破り捨てた。

 「武器で抵抗するのかと思ったけど・・・臭いを付けるなんてね」

 露わになった顔は担任の小酒井芳子だった。

 「先生・・・」

 由真は微かながらも可能性があった事から、この場に小酒井の姿が現れても特に狼狽はしなかった。

 「いつから・・・私が犯人だと?」

 「いえ、誰が犯人かまでは今まで、はっきりしませんでした」

 「そう・・・まぁ、最後だから、ご褒美みたいなもんよ」

 小酒井は笑みを浮かべながら一歩、一歩と由真に近付く。

 「先生は何が目的なんですか?最初の事件からどう考えても理由が解らないんです。あなたが人を殺す理由が・・・」

 由真は迫る小酒井を睨み付けながら尋ねる。

 「なるほど・・・そこから解らないなんて・・・私の予想を遥かに下回るわね。先生はとても残念よ。あなたぐらい、優秀なら、すでにこの段階で全てが解き明かされているんだと思ったわ」

 「こんなデタラメな事件で解るわけないじゃないですか・・・」

 「デタラメ?・・・まぁ、途中からはそう思われても仕方が無かったけど。最初の事件は違うわ」

 「最初・・・」

 由真は思い出す。

 二階堂由美

 確かに彼女の生活態度などは決して褒められたものじゃない。担任である小酒井が不満を持つのは解るが。それは決して殺す程では無いと思う。

 「二階堂さんを殺した事に理由があるんですか?」

 「そうよ。彼女を殺して、あなたに罪を擦り付ける」

 小酒井の言葉に由真は驚く。

 「私に罪を擦り付ける・・・どういうことですか?」

 「あなたは・・・優秀なのにも関わらず、目立たないように敢えて、その実力をひた隠しながら生きている。あなたはそうやって、上手くやっているつもりなんでしょうけど・・・私はそれが気に入らないのよ」

 「気に入らない・・・それと殺人が繋がるように思えないのですが・・・」

 「殺人は所詮、切っ掛けに過ぎないは。あなたと言う人間が最悪の状況に追い込まれた時にどのように自分を曝け出すか。それが私の興味なのよ」

 小酒井は上着の懐からナイロン紐を取り出した。

 「それで・・・私が殺せますか?」

 由真は逃げ出すタイミングを計りながら、小酒井に話し掛ける。

 「私から逃げ切れると?」

 小酒井は余裕の表情だった。多分、小酒井は由真の身体能力が自らよりも劣っている事を悟っている。だからこその余裕だろう。

 「私だって・・・本気になれば・・・」

 由真は一気に駆け出した。だが、それを逃す程、甘くは無い。僅か5メートルのアドバンテージは無意味に等しかった。小酒井に背中を見せた由真のその襟首を小酒井の手が掴む。引き裂かれる上着。その勢いで由真は地面に転がった。

 軽い悲鳴を上げながら転ぶ由真の身体の上に小酒井が乗り掛かる。

 「諦めなさい。私、こう見えても、学生時代はレスリングをやっていたのよ」

 小酒井の指が掴んだ由真の右腕に食い込む。あまりの痛みに由真の顔が歪む。

 「せ、先生・・・あなたは必ず捕まりますよ。ここで私を殺したとしても」

 「解っているわ・・・。だから、あなたを殺すのよ。これで全てを終わらせる。私が抱いた物語もこれで終わるわ。残念なことは、主役のあなたが力不足だった事かしら・・・とても、ガッカリしたわ。この段階に至るまで、私が犯人だと暴けなかったなんて・・・」

 小酒井は紐を由真の首に掛ける。

 「このまま、締め上げると、明らかに他人に締め上げられた事になるの。だからこうするのよ」

 小酒井は掴んだ手を由真の頭の上に持って行く。そして、紐を持つ手とは反対の手で彼女の頭を掴む。その手を一気に手前に引いた。頭は前に出て、紐は後ろに引っ張られる。

 「あぐぅうううう」

 首に紐が食い込み、由真は苦しむ。その光景に小酒井の顔も笑うように歪む。

 「止めろ!」

 突然、小酒井の背後から何者かに体当たりをされた。

 由真の身体の上から小酒井が転がり落ちる。

 「誰?」

 慌てて小酒井は体勢を取り直して、構える。

 「小酒井先生・・・あなたが犯人だったんですね」

 そこに現れたのは遠縁坂だった。

 「あら・・・遠縁坂君じゃない。あなたも私が犯人だと気付かなかったの?」

 「いえ・・・かなりの確率では怪しんでいました。ただ、確証が無かっただけです。確証が無いのでは・・・安易に犯人だとは言えないから」

 「なるほど・・・だけど、その慎重が事件を拡大させた。そう思わない?」

 小酒井の言葉に遠縁坂は眉間に皺を寄せる。

 「何が言いたい?」

 「あなたが・・・不確実なまでも私を犯人だと確定していたら、事件の半分は無かったかもしれないわ」

 小酒井は笑いながら告げた。

 「そうかも知れない。だが、そうであれば、事件は中途半端な形で終わり、下手をすれば、それまでの事件も含めて未解決事件になったかも知れない。それが狙いだったのですか?」

 「かもね」

 小酒井は遠縁坂に狙いを定めたような目をしている。

 「僕も殺しますか?」

 遠縁坂はニヤリと笑いながら尋ねる。

 「余裕ね・・・本当は白田さんの自殺で終わらせるつもりだったけど・・・」

 小酒井はポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。

 「野蛮ですね。これまでのあなたの殺人とは違う」

 「そうね。これは本当の殺人かも知れないわ。ただ、殺したいだけだもん」

 小酒井は遠縁坂に飛び掛ろうとした時、サイレンが鳴り響き、ライトが小酒井を照らした。

 「おおい!大丈夫か?」

 声を掛けて来たのは警察官達だった。彼等を見て、遠縁坂は安堵する。

 「僕が一人で来るわけないでしょ?」

 遠縁坂にそう言われて、小酒井は星空を見て、大きく口を開く。そして、高らかに笑った。手からはナイフが落ちる。

 「そうよね。ドラマじゃないんだから、警察と一緒に来るわよね。ははは」

 笑い続ける小酒井を警察官達が取り囲み、手錠を掛けて確保する。小酒井はパトカーに乗せられるまで、笑い続けていた。

 「大丈夫?」

 遠縁坂は倒れたままの由真に手を差し伸べる。その手を掴み、由真は立ち上がった。

 「どうしてここが?」

 由真は適当にこの場所に来た。スマホも家に置いてあるから、場所が解るはずが無かった。

 「人間ってのは闇雲に移動すればするほど、一定の法則に従って行動するもんさ。君が徒歩で移動したとすれば、犯人をおびき出す為に人気の無い場所を選ぶ。そうなると候補地は限られるから、後はタクシーでグルグルと回るだけ。そして、僕がすぐに戻らなかったら、タクシーの運転手さんに警察を呼んで貰うように頼んであっただけだよ」

 「そ、そうなんだ・・・」

 あまりに呆気無い答えに由真は茫然とする。

 「でも、無茶をするなぁ」

 「だって、このままだったら、私の家が襲われていたかもしれないから」

 「多分、そのつもりだっただろうね。だから、君が家から飛び出した時、相手は相当に慌ててみたい。だから、こんな場所で君を襲うしか無かった。その点においては君は勝ったわけだね」

 「あまり嬉しくない」

 由真がそう呟くと遠縁坂は軽く笑った。その笑顔に安心したのか、由真も釣られて笑ってしまう。

 赤色灯の灯りが闇を引き裂く中、二人の笑い声だけが闇に消えていく。

 

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殺人観察 三八式物書機 @Mpochi

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