Avalon

卯月

普通、ホットドッグは落ちていない。

「うあっちぃー……」


 辺り一面、赤茶けた土と、岩や石がゴロゴロ転がっている荒野である。強い陽射しをさえぎってくれるものは、何ひとつない。


「どっかに水はねぇのか、水は」


 言ってはみるものの、とてもじゃないが期待できそうな光景ではない。


「腹減った……」


 とにかくだだっ広い荒野である。彼の後方には、数日前にあとにしたごつごつした岩山。前方には、はるか遠く、地平線の向こうから空を目指して伸びる、白い線が見える。それはまっすぐに天を貫いているはずなのだが、大気のいたずらのせいでたなびく煙のようにゆらゆらと揺れていた。


「どっかにホットドッグでも落ちてねぇかな……」


 普通そんなものは落ちてない。


「くっそー、ありゃあ計算外だったよな……」


 ぶちぶちと文句を言いながら歩く彼の視線が、だだっ広い荒野の一点でひたと静止した。

 車が、一台停まっている。

 かなり大型で車高の高い、箱のような車だ。一応、茶系の布か何かで全体を覆って偽装してはあったが、彼の距離からではそれが岩やらではないことは容易に識別できた。


「おっ、これぞ神の助け! これとゆーのも俺の日頃の行いがいいからだな、うん。最寄りの街まで乗せてってもらうか、せめて水と食糧くらい……」


 わけてもらおうとそちらに近づいた彼に、


 ずだだだだだんっ


 いきなり銃口が火を噴いた。日頃の行いが悪かったらしい。


「手をあげて! ちょっとでも怪しい動きをしたら容赦なく当てるわよ!」

「何もいきなり発砲するこたねぇだろ! こちとら餓死寸前なんだぞ!」

「そんなんこっちの知ったこっちゃないわよ。あんたが持ってる武器を全部地面にてなさい!」


 車の中にいるのは、どうやら若い女のようだ。


「そんなにつんけんしてるとモテねぇぞ」

「――」


 がちゃがちゃがちゃっ


 車のいたるところから無数の銃口が顔を出し、一斉に彼のほうを向いた。何つーか、移動要塞のような重装備の車である。


「――何か言った?」

「い、いえっ失礼致しました。俺の間違いです。忘れてください」


 がちゃがちゃがちゃっ


 あっという間にほとんどの銃口が車の中へと引っ込んだ。が、最初に彼をおどかした銃口だけは、彼に狙いを定めたままである。


「わかったら大人しく武器を棄てる」

「はいっ棄てさせて頂きます!」


 と言っても、彼が持っている武器というのはそれほどなかったりする。せいぜいナイフが数本と、あとは……。


「……何よ、それまさか日本刀?」

「お、ねーちゃんお目が高いねー! カタナってわかってくれたのはあんたが初めてだぜ」

「つーか、あんた何考えてんのよ?」


 女の声は、心底あきれたといった感じだ。


「このご時世で、銃のひとつも持たずにこれまでどーやって生きてきたのよ?」

「もちろん、この俺の愛刀キクイチモンジで」

「ばぁか。菊一文字なんて、そこらへんに出回ってるわけないでしょうが。ホンモノだったら超のつく古刀だっての」

「そーなのか?」


 きょとんと訊き返す彼。


「そもそも」


 車の中だというのに、びしっとこちらを指さしている気配が伝わってきた。


「何で日本刀なのよ? あんた日本人ですらないでしょ!?」

「おう! 俺の名はヴォルフガング・ラッセンだ。ヴォルフィと呼んでくれ」


 金髪碧眼で日本刀を持ったその男は、ぐっと胸を張った。


「……」


 しばしの沈黙のあと、がちゃっと最後の銃口が収納された。


「おっ? 信用してもらえたのか?」

「……バカの相手してるのが疲れただけよ」

 冷たい声で女は言うと、「餓死寸前なんでしょ。水と食糧恵んでやるからとっととどっか行って」

「ありがてぇ! いやぁ世の中いい人ってのはいるもんだなあ!」


 バカ呼ばわりされたことも意に介さず、ヴォルフガングはノーテンキに喜んだ。

 かちゃっ、という、先程より幾分軽い音がすると、車のドアが開いた。が、真っ先に顔を出したのは今度はピストルの銃口。やっぱり信用されてないらしい。

 その後ろから姿を見せたのは、モスグリーンでポケットがいっぱいついた〝実用一点張り〟といった感じのシャツを着た、黒髪の女だった。縁なし眼鏡の下から、『バカはキライ』と言わんばかりの冷ややかな視線で彼を見据えている。


「……ったく、こちとら同乗者が車酔いで忙しいってのに」

「まぁねーちゃん、そんなジト目で見てっと目つきが悪くなるぜ。ただでさえ老眼……」


 ぱぱんっ


 足元の地面に弾丸がめり込み、ヴォルフガングは慌てて飛び退すさった。


「これは遮光用! 十九で老眼になってたまるかってのよ」

「はいっ、すみません!」


 謝る。


「だいたい、ロクな糧食の準備もなしにこの平原を渡ろうってぇのが大間違いなのよ。迷惑な」

「いやあ、これでもブラッドリーの村を出るときゃ、それなりの準備はしてたんだぜ。ただ途中で予定が狂っちまってなぁ」

「どーせ道にでも迷って食べ尽くしたんでしょ。行き先はどこ? デイヴィスまでだったら、歩きでもあと三日分もありゃ足りるわよね」

「いんや」


 彼は、前方に見えるうっすらとした白い線を指さした。「あそこまで行こうと思ってる」

「――はぁ?」

 女は素頓狂な声を上げた。


「あんた、あそこが何だか知ってんの!?」

「知ってるさ。キドウトウ、つーんだろ」

「名前だけ知ってりゃいいってもんじゃないわよ……」


 女はやれやれとため息をついた。銃口を彼に向けたまま、車の乗車口に腰を下ろす。


「何だって軌道塔に行こうなんて思ったわけ? ――言っとくけど、いい加減な答えしたらヒトカケラも食糧あげないわよ」

「うげ。んな殺生な」

「人に話せないほど複雑な理由があるわけでもないでしょ。あんたみたいなヤツに」


 ひどい言われようである。


「なんつーかなぁ……ホットドッグが食いたいんだよな」

「――はぁ? ホットドッグ?」


 意味不明の返答に女がまた声を上げたが、ヴォルフガングはぼーっと喋り続ける。


「小せぇ頃、伯父貴がホットドッグ食わしてくれたんだよな……俺にとっちゃそりゃ一世一代のご馳走だったんだが、伯父貴が言うんだよ。自分がガキの頃はこんなもんしょっちゅう食えた、しかも今よりももっと美味かったってな。こんな代用肉に代用パンじゃなくて、ホンモノのホットドッグだったって」

「……」


 女はそれ以上口を挟まなかった。黙って彼の話に耳を傾ける。


「伯父貴に言わせると、それはキドウトウが停まっちまったからだ、つーんだよな。食糧生産プラントやら機械生産プラントやらが全部ウチュウに上がって、科学者やら技術者やらもほとんどそっちへ移っちまって……しばらくは、上と地上との間でちゃんと物資が行き来してたらしいんだが、何十年前かにどういうわけかキドウトウが停まっちまった……おかげで、今じゃ世の中このザマだ。地上じゃほとんど何にも作れなくなっちまってるもんな」


 そう言って、周囲を見回す。からからに乾いた大地。かつて天にも届く塔を建てた文明とは思えないほど世界は荒廃し、人々は前時代の銃器で身を守りながら、細々と生きている。


「――つーのはまあ、全部伯父貴の受け売りなワケだが」


と肩をすくめると、


「んで、死ぬ前にいっぺんでもホンモノのホットドッグ食ってみろ、美味ぇぞってのがその伯父貴の遺言でな。となりゃあ、キドウトウに行くのが一番食えそうだろ」


 ノーテンキに言う。


「……あんたって、つくづくバカね」

 女は、これ以上ないというくらい実感のこもった声で言った。「世界最強の、ホンモノのバカ」

「うーん、そうしみじみと言われてもなあ……」

「軌道塔に行ったからって、ホンモノのホットドッグの材料があるわけじゃないわよ。マトモな文明の恩恵は、上にしかないんだから」

「もしかしたら、キドウトウが直るかもしれねぇじゃねぇか。そしたらそのときは」

「……それがバカだって言ってんの」


 女はじっと彼を見つめた。


「いい? 軌道塔はね、『停まった』んじゃなくて、『停められた』の。上の連中にね」

「どういうこった?」

「上の連中は――政治家や、科学者や技術者や、とにかくそういう一握りの人間は、〝その他大勢〟の人間を見捨てたの。宇宙進出の夢を唱えて軌道塔や宇宙プラントを建設して、世界に必要な物は全部持って上がって、自分たちだけの楽園が完成したところで入口をシャットアウトしてしまった。地面にへばりついてる奴等なんか、どうなろうと構わないってね……」

「マジ……か?」


 ヴォルフガングが訊き返した。「伯父貴は一言もそんなこと……」

「当然よ。普通の人は知らないもの、こんなこと。軌道塔が『停まった』ときに上から一方的に流れてきた放送、原因不明の事故って発表を今でもみんな信じてるんでしょ」

「じゃ何でお前は知ってるんだよ?」

「――あたしのおじいちゃんがね」


 いつの間にか、女は銃を下ろしていた。


「軌道塔の設計に関わった、科学者だったのよ。塔をシャットアウトする直前に、偉いさんたちの計画に気づいた。それで、わざと下りてきたの。そんなことは許されない、下からこじ開ける人間が必要だから、ってね――」

「だったら何で、こんな何十年も……」

「準備が、必要だったから」


 きっぱりと女は言った。


「軌道塔はエレベータが停められてるだけで、他の警備装置は生きてるのよ。人間が塔の周囲、何キロメートル以内とかに入っただけで跡形もなく吹っ飛ばせるような光粒子砲なんかね。あんた、何も知らずに行ってたら即、死んでたわよ」

「げ」


 ヴォルフガングの顔色が青くなる。


「そういうのをかいくぐって塔まで辿り着ける装備を、おじいちゃんはずっと準備してたの。大変だったわよ、目ぼしい資源は全部上に持ってかれちゃってるんだから。でも、ま、やっとこれで『やれる!』って目鼻が立ってさ、今向かう途中ってわけ」

「……じゃ、車酔いしてるのってそのじーちゃんか?」

「違うわよ」


 素っ気なく女は言った。


「おじいちゃんは去年死んだわ。これはあたしが引き継いだ――

 喋りすぎたわね。ちょっと忠告してやるだけのつもりだったのに」


 女は立ち上がった。


「まあとにかく、食糧はわけてあげるから、軌道塔へ行くのは諦めなさい。死ぬだけよ」

「お前は大丈夫なのか? この車なら?」

「――さあ、どうでしょうね。百パーセント大丈夫、とは言えないかもね」

「俺も乗せてってくんねぇかな」

「――はぁ?」


 女は何度目かのあきれ声を上げた。


「あんたね、あたしの話聴いてた? 遊びに行くんじゃないのよ」

「塔をこじ開けに行くんだろ。そしたらホットドッグが食えるじゃねぇか」

「あのねぇ……」


 つきあってられないという感じで言う。


「死ぬかもしれないのよ。あんたみたいな意味不明な格好したヤツと心中するだなんて、あたしはまっぴらごめんなの!」


 女はびしっと彼を指さした。


「まず日本刀! それから、大昔の南国リゾートみたいなトロピカルなシャツ! なのにズボンは迷彩服で極めつけは3メートルはあろうかというピンクなハチマキ! ナニじんよあんた!」

「5メートルだ。デコに刺繍もついてるぞ」

「いばるな!」

「目立つだろ?」

「目立ちすぎ! 一度会ったら二度と忘れないわよその格好!」

「ん、ああ。俺がいつどこで死んでも、俺のことは覚えててもらえるだろ?」

「……!」


 一瞬、女は言葉に詰まった。


「伯父貴ってのがこれがまた地味だったんだ。死んだあとも伯父貴のこと覚えてるヤツぁ、俺しかいねえ。俺には他に親戚残ってねぇしなー」


 ノーテンキに言う。


「……hotdogね。本当に」

「何だ?」

「〝目立ちたがり〟って意味もあるのよ。俗語だけどね」

「へぇー、知らんかった」

 女は諦めたように言った。「この荒野を抜けるまで乗せてってあげる。その代わり、デイヴィスに着いたら即刻降ろすからね」

「塔まで乗っけてってくれよ」

「甘い!」


 そして、くるっと背を向けて車内に入っていく。


「あたしの名前は、リョウコ・アンダーソン。言っとくけど、車の中ごちゃごちゃ触るんじゃないわよ。あんたなんかにゃ理解できない装置でいっぱいなんだからね」

「ほぉー」

「言ってるそばから触るんじゃない!」

「いでっ」


 車内なので発砲こそされなかったが、思いっきし銃で殴られる。


「……ったくもう」

 リョウコがため息をつく。「昨日も一匹拾ったばっかだってのに……」

「一匹?」


 ――無数の計器が赤や緑の光を放つ狭苦しい車内に、子犬が一匹丸くなって眠っていた。


「……れ、コイツ……」

「昨日、あの」

とリョウコは後方を指さしながら説明する。「岩山のとこで見つけたのよ。何でまたあんなところにいたんだか。まあ、数日前に誰かが食べ物置いてったみたいで、それほど弱ってはいなかったけど……」


 言いかけて、思い当たったようにはっとする。

 寝ていた子犬が二人の気配で目を覚まし、ヴォルフガングに気づいて喜んだようにしっぽを振った。


「――もしかしてあの食べ物、あんた?」

「俺にゃ、連れてくのは無理だったんでな」


 子犬をなでながら、ヴォルフガングは答える。


「いやぁ、でも拾ってもらえてよかったなぁキクイチモンジ」

「――何よそれ」

「こいつの名前」

「却下」


 一言の元にリョウコは切り捨てた。


「じゃあヨウトウムラマサ」

「却下! この子にはもう、キング・アーサーって名前をつけたのよ!」

「えっらそーな……」

「おじいちゃんの名前がアーサーなの。それにさ」


 車のフロントガラスの向こう、地平線の果てにそびえる軌道塔をはるかに見やる。


「あの塔の上にある世界の名前、〝Avalon〟って言うのよね……」

「アヴァロン? 何だそりゃ」

「――バカには説明してやらない」


 言い切ると、問答無用でリョウコは車を発進させた。


「行くわよ!」


 そして、二人と一匹を乗せた車は、天空へと続く塔に向かって走り出した。



End.

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Avalon 卯月 @auduki

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