第7話 現代 至嶋時積
香沙音の曽祖父葉狩創輝が、戦時中七三一部隊にいて、瘧狼病ウィルスを研究していた。人体実験を行ってまで治療法を探したのに、結局開発出来ず、妻の希世を救うことは出来なかった。重苦しい気分になった。
このノートは、研究資料ではなく、ただの手記だった。瘧狼病治療法に関するものは、また別にあるのだろうか。
そして、何故鎧塚と思われる遺体が、葉狩創輝の手記を持っていたのかも謎だ。譲り受けたとは考え辛い。盗んだものだろうか。
そして、手記の中で一つ気になることがあった。創輝の娘楓の友達の一人永劫のことだ。僕の祖父
勒賢が穴から出てきて、「まだみつからない」と言って、葉狩創輝の手記を読み始めた。
希由美を勒賢のそばに残し、もう一度怪人のねぐらに戻った。
拒口の表情から、収穫がないのがわかった。死体が乗っているベッドの下も調べたようだ。死体の位置が、少し変わっていた。
僕も探してみたが、みつかったのは、怪人が作成したと思われる銀座近辺の地下の地図だけだった。
「なんだよ。期待させやがって。孤独死がお似合いだ怪人」
拒口が小さくつぶやいた。優男に見えるこの男の内面を垣間見た気がした。
怪人が残した地図を何気なく見つめてみる。怪人の残した地図は、何層にも分かれていて、判読が難しかった。怪人はこの平面図から、立体的な空間を思い描くことが出来たのだろうが、僕には難しかった。しかし、この僕でも明らかに不自然な造りだとわかる部分が多い。
「怪人が勝手に地下空間を広げたのは、ここ以外にもあるみたいだぞ。この地図には、不自然な部分が多い。怪人が勝手に拡張したどこかに、瘧狼病の治療法が隠されているのではないか?」
拒口が地図をのぞき込んできた。
「その可能性はあるかもな…」
そこへ手記を読み終わった勒賢が割り込んできた。
「この手記を書いたのは、香沙音さんの曾祖父さんにあたる人だ。香沙音さんに訊けば、何かわかるのではないか?」
それを聞いて、拒口が驚いた顔をした。
「これを書いた人と知り合いなのか?」
「まあ…。遠い親戚だな」
詮索したそうな顔だったが、拒口はそれ以上何も言わなかった。
香沙音に電話してみたが、やはりつながらない。結局またメールでやり取りすることになった。
曽祖父の葉狩創輝について尋ねてみたが、香沙音が生まれる前に死んでいるし、ほとんど話題に上ったことがない、との返信が来た。
僕も曾祖父が何をしていたのかなんてわからないから仕方がないが、この現状を打破するには、何か情報が欲しい。
香沙音から、情報を得る為、世田谷に住む父方の祖父母の家に行ってみるとメールが来た。
外出するのは控えて欲しかったが、香沙音は止めても行動に移すだろう。くれぐれも注意するように伝えた。
香沙音に会いたかった。声を聞きたかった。電子信号による、文字の送受信では物足りなかった。希由美は、僕以上に香沙音を欲しているだろう。
「お母さんは、俺達を助ける為に頑張ってくれている。俺達も頑張ろう」
希由美は、「世界を救うんだよね」と言ってうなずいた。
スマートフォンを見ていた勒賢が、声を上げた。
「革世黎源教本部に、強制捜査が入ったみたいだ」
銀座周辺の騒乱を起こした咎で、強制捜査が入ったとの報道だ。信じ切れていなかったが、拒口が言っていることは本当のようだ。
「今更遅いんだよ」
拒口が小さく悪態をついた。続けて、強制捜査の無用性を説く。
「教団本部を捜査しても、瘧狼病の治療薬はみつからない。そこには、存在していないのだからな。治療薬の製造法は、ここの近くに眠っているのだ。それを発見されない為にも、このあたりを瘧狼病の発生源にしたのだ」
残念ながら、警察の活躍を待っていても、事態は収束しそうにない。
「しかし、怪人が残した地図を見る限り、このあたりの地下空間は、かなり広いぞ。闇雲に調べている余裕はない。こうしている間にも、感染は広まっていく」
「僕が得た情報だと、ここに治療薬の製造法が眠っているはずだったのだが…」
気詰まりな空気が少し流れた後、拒口が口を開いた。
「この銀座の街に、革世黎源教が運営している会社のオフィスがある。教団内外の出版物を作ったり、ネット関係のデザインをしたりする会社だ。宗教が運営していることは、前面に出していないがな。そこにいけば、何か情報があるかもしれない。ただ、危険は危険だろうな」
ビルの一室を借りて、仕事をしているそうだ。普通に考えれば、ウィルス拡散に、一役買っている可能性が高い場所だ。感染の起点かもしれない。
意見を聞きたいと、勒賢の顔を見てみた。
「ネットの情報だと、教団本部では、教主
口ではおどけたことを言っているが、目は真剣だった。厳しい状況にあることはわかっているのだ。
ネットの情報頼りだが、包囲網が張られている位置を確認した。北は永大通り付近。南は晴海通り付近。東は中央通り付近。西は内堀通り付近。この範囲を越えようとすれば、射殺される可能性がある。それを踏まえて動かねばならない。
地図を見て、経路を決めた。道が通れないことも考慮し、何通りか経路を想定しておく。
緊張で忘れていたが、食事も摂らねばならない。
息を大きく吸って、再び希由美を背負った。
「パパ。頑張って」
希由美の呑気な声を聞くと、少しだけ気分が和んだ。
勒賢が扉を開け、銀座の地下街へと駆け出した。僕と拒口も後へと続く。
少し走ると、感染者が現れた。
問答無用で、勒賢が棒で殴り倒す。
僕らは、地下街に入っているコンビニエンスストアに入った。中にいた感染者を外に叩き出して、店内を占拠した。品物は散乱していたが、食べられるものはたくさんあった。
ガラス張りの店舗は、外の様子も丸見えだった。感染者がうろつく姿が見えると、食欲が失せたが、無理矢理腹に詰め込んだ。
「怖くて、食べれない…」
と言いつつ、希由美はお菓子を頬張っていた。子供は、意外と図太い生物なのだ。
「あまり食べ過ぎると、お父さん背負うの辛いぞ」
その後、トイレを済ませ、出発することにした。軽めの食事にしたのに、動きたくなくなった。しかし、今動かなければ、更に事態は悪化してしまう。
今回も勒賢が先陣を切った。感染者を蹴散らし、道を開いてくれた後は、援護に回ってくれた。希由美を背負った僕をしっかり助けてくれる。ありがたい。
地下街を走り抜け、地上への階段を駆け上がった。まだ日は沈んでいない。
僕達が乗ってきた自転車のまわりに、感染者が集まっていた。
棒で払い、突き、どうにか打ち倒し、自転車に再び乗ることが出来た。目指すのは、教団が運営している会社だ。包囲網からは離れているはずだが、ネットで拾った情報なので、信憑性はあてにならない。感染者と間違えれ射殺されてはかなわない。
感染者を避けて自転車をこいだ。
銀座の街は、先程より悪化していた。感染者の数は増え、路上には血を流して動かない人が多数いた。車道は動かない車がふさいでいて、救急車など来ようがない。助けたいが、今はどうしようもない。僕の手の届く範囲は、ほんの少しだけだ。
拒口の指示で、裏道に入った。表通りとは違って、すすけたビルが目立ち始めた。
「ここだ」
自転車を乗り捨て、ビルを見上げた。古ぼけた雑居ビルだった。銀座とはいえ、全てが洒落た新しいビルではないのだ。オートロックの扉などもない。感染者も容易に入り込むことは可能だ。
一階のエントランスには、何の気配も感じない。エレベーターは、一階に止まっている。誰も中にはいない。希由美を背負って階段は疲れるので、エレベーターホールで上がることにした。九階建てのビルの六階だ。
エレベーターが昇り始める。狭いかごの中に、僕らの荒い呼吸が響いていた。
六階に感染者がいても戦う心づもりは出来ていたが、感染者の姿はなかった。
オフィスのドアの前に立った。ドア自体は古いものだが、頑丈そうな錠に警報装置、監視カメラも付いていた。
鍵は開けれそうにないので、ドア自体を破壊することにした。金属製のドアだったが、棒で叩いたり、足で蹴ったりしたら、蝶番の部分から壊れた。警備会社の警報装置が鳴っていることだろうが、今更関係ない。
古いビルの外装とは違い、内装は新しかった。事務机や、パソコンも備えられていたが、人はおらず、物が散らかっていた。
部屋には少量ながら血痕が残っていた。
パソコンの画面には、
「終わりの風は、ここから吹き始めた」
と映し出されていた。キーボードを叩いても何も反応せず、ただその文字を映し続けるだけだった。
この部屋の雰囲気から、ここが瘧狼病拡散の起源となった部屋のようだ。熱狂的な信者が、自ら瘧狼病に感染し、外へと飛び出したのだろうか。
ドアを隔てたもう一つの部屋へ入ってみた。資料室として使われていたようだ。黎源教の教えが書かれた本。教団の広報誌。教祖の書いた啓発本。様々な書籍が、きれいに並べられていた。オカルト的な本はたくさんあるが、医学的、生物学的な本はないようだ。瘧狼病などを研究していた場所とは、切り離されていたのだ。
「ボスキャラも、感染者もいないな」
安全を確認し、希由美を背中から降ろした。
壊した入り口のドアをはめ直し、机を押し当て開けられないようにした。
瘧狼病の治療法を探していると、棚の端に、他の本とは少し違うものをみつけた。白い飾りのない表紙に、黒字で書いた人の名前が書かれていた。
僕は鷺澤賢吾の手記を開いた。
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