第3話 現代 至嶋時積
旧仮名使いだし、わからない部分もあったが、大体は理解出来た。
呪いの解き方が間違えていたのか、呪いではなく病気だったのか。ともかく香沙音の先祖は助からなかった。
香沙音は、珠江の子孫なのだから、同じ症状で死ぬということなのか。
お祖父さんとお祖母さんに余計な衝撃を与えたくはないが、僕は口を開いた。
「失礼とは思いつつも、香沙音さんのパソコンの中身を見てしまいました。ネットの検索履歴に、「自殺」を調べた跡がありました」
僕の言葉に、お祖母さんが両手で口をおさえた。そして、程なく嗚咽を漏らし始めた。その背中に、お祖父さんが優しく手をそえる。
「あの子は、母親の変わり果てた姿を見てしまいました。自分で死を選ぶのも仕方ないかもしれません。でも、でも…」
その続きは言葉にならなかった。そんなお祖母さんの言葉を、お祖父さんが引き継いだ。
「病気でも、呪われていても、香沙音は、私達のかけがえのないない孫なのです」
お祖父さんも、言い終えると、歯を食いしばって涙を堪えていた。
お祖父さんとお祖母さんの前では口に出せなかったが、香沙音は妊娠している。呪われた遺伝子を引き継ぎ、呪われた遺伝子を次世代に引き継ごうとしている。僕の前から消えた理由も、何となくわかった。香沙音のパソコンに残された「自殺」の検索履歴が、僕の心に重くのしかかってきた。
勒賢も石走錬造の手記を読み終え、僕の横顔をみつめてきた。僕も横目で勒賢を見て、浅くうなずいた。そして、お祖父さん達に質問した。
「香沙音さんの血筋に伝わる病気について、他に情報はないのでしょうか」
涙声になるのを抑えつつ、お祖父さんは答えた。
「陰織家は、私達の息子の嫁の家で、親族は皆途絶えてしまいました。香沙音が最後の生き残りなのです。残された土地や財産などは我々が管理していますが、散逸してしまったものも多いようです」
「そうですか」
「ただ、大正時代に、香沙音の先祖が残した記録は、京橋にある国立近代美術館に寄贈しました。大正時代の映像機器などもあって、私達では管理出来なかったもので。何かの参考になるかもしれません。良かったら行ってみて下さい」
お祖父さんが聞いた話では、昭和時代の記録もあったようだが、手元にはないとのことだった。
香沙音の居所がわかったら連絡すると約束し、家を後にすることにした。
去り際にお祖母さんが僕らを見送りながら言った。
「もし、あの子の病気を受け入れられないのなら、香沙音を探さないで下さい」
家を出て、とぼとぼと歩いた。胸には様々な感情が渦巻いていた。
「明治時代に陰織珠江が住んでいたところは、葉羽村というところだろう。俺達の地元の笹架市葉羽と同じ場所なのかな?」
陰織なんて名字の人は聞いたことない。香沙音が葉羽に住んでいたと口にしたことはなかった。妖怪になる女の話も知らない。
「わからない…」
そこ後、しばらく会話が途切れ、沈黙したまま二人歩いた。
僕の横で歩く勒賢が、気まずそうに口を開いた。これから、良くない知らせが出てくるのだろう。
「香沙音さんの家系は、何らかの病気の可能性が高い。バチカンで公認エクソシストと交流を持った時に学んだ。悪魔憑きと呼ばれる人の九十七パーセントは、何らかの疾患と考えられている。。悪魔祓いも、医療従事者と相談しながら進めていくのが現在のやり方だ。映画エクソシストのモデルとなった少年も、抗NMDA受容体脳炎を患っていた可能性が高いと言われている。陰織家の症状が、呪いの可能性は低い」
石走錬造が、がき塚で儀式を行っても、珠江は発症した。呪いではなかったのだ。僕も最初から呪いなんて信じてはいない。むしろ悪魔憑きと認定される人が三パーセントもいるのが驚きだ。ただ、治療法のない病気より、呪いの方まだましなのだ。
「神主だろ。もっと神秘的なことを言え」
病気のことなんて知らなかった。言ったら僕が離れていくと思っていたのか。
香沙音は、経口避妊薬を服用し、避妊に関しては気を付けていた。僕はそれに甘んじて、気が抜けていた。自分が父親になることも、ましてや香沙音の病気のことなんか、まるで考えていなかった。思い返してみると、香沙音が胃腸炎になり、嘔吐したりしていた。経口避妊薬までもどしてしまったのかもしれない。それが妊娠につながったのだ。
香沙音は、今どこで何を考えているのか。産んで育てようとしているのか。堕胎を考えているのか。それとも、お腹の子供と一緒に自殺しようとしているのか。
僕は、香沙音を捜し出してどうしようというのか。香沙音のことは好きだ。外見も、性格も、肌の温もりも。しかし、それら全てを失ってしまう病気を抱えている香沙音を受け入れることが出来るのだろうか。そして、その病気を受け継ぐ子供を受け止めることが出来るのだろうか。
思い悩みながら歩いていると、勒賢に肩を叩かれ、話しかけられた。
「イザナギとイザナミの話を知っているか?」
日本創生の神話だ。知らないわけではない。イザナギとイザナミが日本に降り立ち、神々を産んでいく話だったはずだ。何番目かの子供、火の神カグツチを産んだ時、イザナミは陰部が焼け爛れて死んでしまう。イザナミのことが忘れられないイザナギは、黄泉の国までイザナミを追いかけていき、地上へと連れ戻そうとする。その時、イザナミはこう言う「地上に着くまで、振り返って私の姿を見てはいけません」。しかし、イザナギは、振り返ってイザナミの姿を見てしまう。そこにいたのは、肉は腐り、骨が浮き出た、変わり果てた妻の姿だった。それを見たイザナギは、イザナミを置いて地上に帰ってしまう。そんな話だったはずだ。
勒賢は、病気で姿が変わってしまうであろう香沙音を、受け入れることが出来るか訊いているのだ。
「もし、あの子の病気を受け入れられないなら、香沙音を捜さないで下さい」
香沙音のお祖母さんの言葉が甦り、胸に刺さった。
「捜さない方が良いのかな」
弱音が口からこぼれ出た。飲み込もうとしたが、もう、戻すことは出来なかった。
横目で勒賢の顔を盗み見る。無表情だった。悲しみも、蔑みも読み取れなかった。
香沙音は、僕に捜して欲しいはずだ。もう少ししたら発症してしまう病気を背負い、お腹にはまだ見ぬ子供を抱えている。そんな中、呪われた遺伝子を自分の代で絶つべきか、生きて命をつなげるべきか、一人で煩悶しているのだ。捜して欲しいはずだ。誰かにそばにいて欲しいはずだ。
「捜すよ。捜し出してみせる。香沙音が離れろと言っても、離れない」
「その意気だ。ストーカー防止条例に引っかかったら、良い弁護士紹介してやるよ」
「青い鳥探索以来のだな。頼むぜ相棒」
「青い鳥…? なんだそりゃ」
「忘れたのか勒賢。まあ、随分昔のことだからな」
僕らは電車に乗って東京駅に向かった。そのまま京橋に出ても良かったが、少し寄り道して、石走錬造が戦ったという、三菱一号館美術館に行ってみた。
現在の三菱一号館は、近年復元されたもので、当時のままのものではない。銃弾の跡などは見当たらない。修復されたのだろうか。近代的オフィスビルが建ち並ぶ中に、赤煉瓦造りの外装が、不思議と溶け込んでいた。一面の野原の中に、この建物がぽつんとたたずんでいる姿は、想像すら難しい。現在は美術館としても使われており、今日は浮世絵展が開催されていた。
三菱一号館と皇居の馬場先門は、かなりの距離があった。石走錬造の手記に、どれだけの信憑性があるかわからないが、刀を何本も背負って走り、珠江を守る為に戦ったのだ。本当だったら大したものだ。
「その頃に半蔵門事件と呼ばれる騒乱があったのは本当だが、文書の内容は、どうなのだろうな」
勒賢も同じことを考えていたようだ。
僕の祖父は、武術の道場を開いていて、僕はそこで剣術を教わった。竹刀や木刀での練習が主だったが、真剣を握らせてもらったこともあった。
「俺達くらいの鍛え方では、援軍が来るまで持ち堪えられなかったな」
その道場に通ってきていて知り合ったのが戦木勒賢だった。高校で別の学校に進むまで一緒に鍛錬した仲間だった。道場主の孫の僕よりも腕は上で、少し辛い思いもしたが、友達関係は続いた。
至嶋道場で教えていたのは、スポーツ化されたものとは違う、古流武術だった。物心つく前から、僕は道場に出入りし、遊び半分で練習をしていた。小学校に入るくらいから、少し本格的な稽古になったが、体を動かすのは好きだったので、苦にはならなかった。武術の稽古が、日常生活の中に混ざっていた。突きや蹴りの当て身技、投げ技、絞め技、関節技、色々と習ったが、喧嘩に使うことは、厳しく諫められていた為、道場外で力を発揮することはなかった。
剣術も稽古の内容に含まれるのだが、中学で剣道部に入った時、剣術と剣道の誤差に戸惑った。それでも、祖父の指導を活かし、剣道でもそれなりの実力を得ることが出来た。
道場には、警察官や自衛官もきていて、激しい稽古を積んでいた。今思えば、祖父には色々な人脈があったようだ。
「時積のおじいちゃんは、昔はとても怖かったのだぞ」
父は、祖父のことをそう語っていた。それなりに厳しく育てられたようだ。
至嶋家歴代最強と言われた父だったが、道場は継がず、別の道に進んだ。おかげで僕も道場を継がずに済み、内心安堵していた。
道場の指導は祖父が続けていたが、晩年は弟子に任せ、静かに息を引き取った。
高校を出て就職した後は、時たま道場に顔を出し、体がなまらない程に稽古するのみだ。
三菱一号館を後にし、香沙音の大正時代の先祖
建物の前に立ってみる。大きなビルだ。昔はこの場所に映画会社大正活動写真社の社屋が建っていたが、今は会社自体がなくなり、跡地は国が運営する資料館になっているのだ。
自動ドアを通り、受付の女性に今日来た旨を告げると、職員の男性が現れた。
「連絡を下さった至嶋さんですね。お待ちしておりました」
人の好さそうな初老の男性は、
咲田さんに案内され、僕と勒賢は地下の資料室へと進んだ。
「昔寄贈された、貫井真治さんが遺されたものを見たいということでしたね」
先に連絡を入れておいたので、先祖の遺物は用意されていた。古びた映像用のカメラ、フィルム、映写機、そして、何冊もの書物があった。
「大正時代の代物ですから、かなりがたがきていますが、動くことは動きます。映像もまだ観られますよ」
僕達は咲田さんに頼んで、映像を観させてもらうことにした。
映写室の照明が落とされ、程なくして、映写機が回る音がし始める。僕らの前のスクリーンに、粗い白黒映像が映し出された。
映画というよりは、現在でいうニュースだった。テレビの無い時代、新聞と共に情報の発信源として活躍していたのだろう。音声は入っていない。映像の横で、弁士が解説していたのだ。画面に字が出てきて映像の説明をするところもあったが、音声がないと、何を伝えようとしているのか、良くわからなかった。
画面が切り替わり、どこかの広い会場が映し出された。天井から下げられた横断幕には、千里眼実験と書かれている。演壇の上に着物を着た女性と軍服を着た男性が机をはさんで座っている。机の上には封筒らしきものが置かれていた。女性は、封筒を手に取り、目を閉じる。何かを念じている様に見えた。
おもむろに女性が立ち上がった。映像は粗いし、音声も入っていない。何が起きているのか良くわからないが、とにかく様子がおかしい。
女性はふらふらとこちらに向かって歩いてきて、手を差し出す。手に覆われ、画面は何も見えなくなった。
部屋は暗闇に包まれ、得も言われぬ圧迫感に胸を潰されそうになった。
手がゆっくりカメラから離れ、画面いっぱいに女性の顔が広がった。
そこからは映像が乱れた。会場が混乱しているようだ。
そして、何の説明もなく、映像は終わった。
勒賢が画面に目を向けたままつぶやいた。
「これは有名な千里眼実験だろう。封筒の中を透視するという超能力の公開実験を行ったが、結局失敗に終わり、この超能力者は、偽物の烙印を押されたはずだ」
僕も聞いたことがある。粗い白黒の映像ということもあるが、何とも不気味な印象が残った。
咲田さんは、別のフィルムを映写してくれた。
画面に女の人が映し出された。先程の人とは、別の女性だ。一目見てわかった。香沙音の先祖だ。白黒のはずなのに、僕には淡い色がついているように感じられた。洋服を着て、穏やかに微笑んでいた。カメラを持っている人と何か話しているようだが、何を言っているのかわからない。ただ、撮影者と良好な関係にあるのは見て取れた。画像が切り替わり、女性が子供を抱いていた。抱かれた女の子は、あどけない笑顔を浮かべている。映像からでも、子供に対する愛情が伝わってきた。幸せがにじみ出しているようだった。
映像が再び切り替わり、女性が一人で映っていた。穏やかな微笑みは変わらないが、どこか寂しげな空気をまとっていた。女性が瞳を閉じた。映像が止まってしまったかと思う程、女性は目を開けなかった。ゆっくりと見開かれたその目は、人間のものではなくなっていた。
そこで映像が終わった。
部屋の照明が入れられ、気まずい沈黙が流れた。
「あれが、陰織家に伝わる病気なのか?」
勒賢のつぶやきに、何も返せなかった。香沙音もああなってしまうのか。イザナギの気持ちに傾いた。
「貫井さんは、映像フィルムの他にも、シナリオや日記も残しています。良かったら読んでみて下さい。私は一旦離れますが、呼んでくれたら戻ってきます」
咲田さんは、部屋を出ていった。
この中に、香沙音の行方の手がかりはあるのだろうか。
僕は無言のまま、貫井真治が残した原稿用紙の束を手に取り、読み始めた。
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