二、犬神憑きの章④
「うん、そうそう。なんか制服の上からジャージを着た人が、サッカー部の部室から出てきたのを見たけどさ、顔まではわかんなかったよねー。黒いキャップ被ってたし、そもそも背中しか見えなかったもんね。すぐどっかいったし、あたしらもそんなによくは見てなかったからなー。あ、でも身長はきみぐらい高かったから、きっと男子だと思うよ。髪も長くなかったし」
女子バレー部の部員から一通り話を聞き終えると、新太はお礼を言って体育館から出た。
「サッカー部大変だろうけど、頑張ってね」
何気ない言葉に、背中がむず痒くなったが、「うっす」と答えて新太はそのまま職員室に向かう。
「ああ。サッカー部の件か。確か、昨日職員室に入ろうとしたら、中から急いで出てくる生徒がいてな、危なかったから覚えているんだよ。確か、黒いキャップを被っていて……そうそう、おまえと同じぐらい身長が高かったな。制服の上からジャージを着ていたし、運動部の生徒だろうかと思ったけどさ、よくよく考えるとおかしな話だよな。なんで制服の上からジャージ着てたんだ? しかも今朝、サッカー部の部室が荒らされていたんだって? 後片付け大変だろうから、手伝えることがあればいえよ。力になれるかもしれないからさ」
爽やかな笑顔を浮かべる先生から話を聞き終えて職員室を出ると、そこでバッタリと生活指導の先生と合った。
頭を下げると、生活指導の先生は無言で新太を見つめた後、そのまま職員室の中に入って行ってしまった。
新太はつららとともに、下駄箱に向かう。
「うーん。真犯人の顔見ていないのに、どうして、あっちゃんが疑われているのかな」
「さあ、な」
それは目撃者に話を聞いて、ますますわからなくなった。
釈然としない。どうして、自分が疑われたのかがわからない。
部長が言うには、自分が言ったと思われる言葉が原因らしいが、それで新太を犯人だと断定する要素はない。
しいて言うなら身長だろうけれど、サッカー部には新太と同じぐらいの身長の高い部員は多かった。部長だってそうだし、静人もそうだ。今年の一年生には小柄な生徒もいるものの、ほとんど平均か、それより上の男子が多い。
身長だけで新太が犯人だと、決めつけることはできないだろう。
「なにか、他にもあるのか?」
背格好や、自分が口にしたと思われている発言以外に、新太が犯人だと思われる要素が、まだあるのかもしれない。
考え事しながら歩いていたからだろう。
「あれ。瀬田さん、まだいたの?」
下駄箱の近くにある階段を降りてきた生徒がつららに声を掛けた。
細い目が特徴的な、驚くほど顔立ちの整っている男子――化野九十九。
彼はつららに対して親しげに話しかける。つららはつららで、にへらとだらしなく笑いながら、九十九に手を振った。
「九十九くんもいま帰り? 掃除に時間がかかったの?」
「いや、掃除はすぐ終わらせたけど、気になることがあったから、ちょっと調べていたんだ」
「へー。大変だね。あ、それってもしかしてよう」
「瀬田さーん?」
なにやら口走りそうになったつららに対して、九十九が軽く声を荒げる。
「どうしたんだ?」
わけのわからないやり取りに、なにやら胸がモヤっとしたが、新太は表情に出さずに訊ねる。
「あはは、なんでもないよー」
つららは嘘をつくのが下手だ。彼女は何か隠し事をしている。
九十九はコホンと咳をすると、新太たちの前を通り過ぎて、下駄箱に向かって行った。その跡に、新太たちも続く。
先にシューズから外履きに履き替えた九十九が、「じゃあね」と言って昇降口から外に出て行く。
新太たちも靴に履き替えて外に出ると、そこで思いがけない人物と鉢合わせしてしまった。
「おまえ、まだいたのか?」
サッカー部部長の相崎俊馬と、副部長。
ちょうどいいと、新太は部長に近づいた。
「部長、ひとつ訊きたいことがあるんすけど」
「お前と話すことなんてなんにもない」
相崎は、憤りを隠すことなく、厳しい眼差しを新太に向ける。
「まあまあ、まだ新太が犯人だって断定できてないんだし、そうカッカすんなよ」
「新太が犯人だろ」
「それでもさ、話しぐらい聞こうぜ」
副部長に宥められて、いやいやながらも相崎はくいっとあごを上げて、「ん」と新太に話すよう催促してきた。
「あの、部長言っていましたよね? 俺がスタメンになっていたら全国大会の予選に勝っていって。そう聞いたって。部長に伝えたのは誰ですか?」
ずっと気になっていた。新太が微塵も口にしていなかったことを、部長に言ったと嘘をついた人物は誰なのか。
そういえば、部長は一年から聞いたと言っていた。いまのサッカー部に一年生は十人いる。その中の誰なんだ?
「……静人だ」
低く告げられた名前に、サッと血の気が引いていく。
「アイツはこうも言っていたぞ。昨日新太と帰っている途中に、おまえが忘れ物をしたといって学校に戻っていたって」
一度引いて行った血液が、頭に昇っていくように、カッと頭の奥が、煮え滾るように熱く、熱くなる。
「おまえが部室を荒らしたんだろ? 悪足掻きしてねぇで、とっとと白状したらどうだ?」
◆◆◆
それが何をきっかけとして起こったのかは、新太にも、ほとんど無関係だった女子たちにもわからないことだった。
中学一年生のある日。クラスの数人の男子が、ひとりの男子を無視するようになった。
もともと気が弱く、人と話す時にすぐに顔を赤らめる癖のあった少年は、それから徐々に誰とも話さなくなり、いつしかひとりで行動をしているのがクラスの中でも目立つようになっていた。
クラスに静人以外の友人がいなかった新太は、最初の一か月ぐらいはその状態に全く気づいていなかった。ハブられていた男子ともほとんど会話をしたことがなく、高校生になったいまでは、フルネームもうろ覚えの状態。
けれど、少しずつ陰りを見せていくクラス内の光景に、新太は次第に違和感を覚えて、二カ月ほど経ってから気づいた。
集団生活というものは不思議なもので、クラスの中の一部の生徒間で起こっていたことがほんの少しずつ電波していき、そのころにはもうクラスメイトのほとんどが、ひとりの男子を自然に無視していた。
自然に、彼は孤立していた。
物を隠したり、教科書に落書きをしたり、暴力をふるったりという、目に見える行為はなかったためわかりにくいものの、それは明確に「いじめ」と呼ばれるものだと、新太は思った。
気配を消し去られ、存在を殺される。そんな精神的な苦痛に苛まれていたひとりの男子生徒は、ある日、本当にある日、唐突に暴走した。
毎日毎日登校してきているのに、いないものにように、自分の存在を否定され続けていて、耐えきれるはずがなかったのだろう。
ハブられていた男子は、カバンに潜ませていたカッターナイフを取り出して、叫び声を上げながら男子の輪の中に突入していった。ちょうど昼時で、給食を食べている時間だった。新太はその騒動の中心となる、七人ぐらいの男子と机を囲って給食を食べていた。静人がいたからだ。そして、向かってきた男子生徒のカッターナイフは、なぜが新太に向いていた。
その時に、新太はやっと気づいた。
違和感の正体を。
どうして、彼がカッターナイフを取り出すに至ったのか。フラッシュバックのように、記憶が瞬いて、この二か月間孤立していた彼の様子がよみがえる。
新太は反射的に避けると、男子の足を払った。彼は虚しくも顔面を殴打して鼻血を垂らしてしまった。
血だらけの顔を歪ませて、彼はうめくように、「くそう、くそう」と繰り返している。
その男子に向かって、ひとりの男子が、ぼやくように口にした。
「なにこいつ、きもちわる」
その言葉がきっかけになったのかはわからない。
言葉を聞いた瞬間、新太の頭が煮えたぎるように熱くなった。考えるよりも早く体は動いており、血だらけの男子を笑ったその男子に向かって、新太はこぶしを振るっていた。
そのあとは、幼いころからたびたび起こるように、新太は我を忘れて暴れてしまった。
必要にひとりの男子を何度も殴り、重傷を負わせてしまった。もし途中でつららが止めに入ってくれなければ、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
命に別状はなかったものの、殴った男子は一カ月ほど入院をする重傷となってしまった。
罪悪感のあるクラスメイト数人の言葉により、カッターを持ち出した男子がハブられていたことが判明したため新太は厳重注意を受けただけで済んだものの、その夏を境に、ただでさえ怖がられていた新太は、さらにクラスの中で浮いてしまった。新太自身も、自然に周囲と距離を置くようになった。
(あれからだ)
あれから、新太は自分の気持ちをコントロールできるようにするために、頭が煮えたぎるのを我慢するようになった。そのおかげで、中一の夏以降、我を忘れて暴走することはなくなっていたというのに。
――いま、新太の中に、いまにも爆発しそうなほど熱い塊が、全身を駆け巡っている。それはきっかけがあれば簡単に爆発しそうなほど、危うい均衡を保ちながらそこにあった。
◇◆◇
昨日、帰り際の新太の表情を思い出すと、胸に不安が駆け上がってくる。うつらうつらと瞳の輝きがいつもよりも増していて、まるで獣のようあらぶった光が、彼の眼の中にあった。
つららは足早に校門を通り抜けると、昇降口に向かった。
ローファーからシューズに履き替えて、つららは急いで階段を上っていく。途中何度か躓きそうになったものの、幸運なことに階段を踏み外すことはなく教室に辿り着いた。
「いない」
教室の中は、登校してきたばかりのクラスメイトで騒々しいが、その中に新太の姿はない。
「まだ、きてないのかな」
心配に思いながらも、いったん自分の席に着く。なんとなしに窓側の席を見てみると、いつものように化野九十九が頬杖をつきながら眠っていた。朝の暖かい日差しに照らされて、その寝姿はまるで映画のワンシーンのように美しかった。
逸っていた心が落ち着いていく。つららは、ほうっとため息をつくと、カバンの中の教科書類を、机の中に押し入れる。
「おはよー、つらら」
予鈴の五分前に、愛海も教室に入ってきた。
「おはよ、愛海ちゃん」
「今日バイトないからさ、放課後あんたの家に行ってもいい?」
「もちろんだよー。おいでおいで」
「ありがと」
短い会話を交わして、愛海は自分の席に着く。
ついでに、つららは首だけで後ろを向いて、新太の席を確認した。
まだ新太は登校してきていない。寝坊するのは珍しいので、朝練で遅れているのかもしれない。――そう、つららが安心しきっていたとき。
騒々しい空気を打ち破るような女子の悲鳴が廊下から響いた。
反射的に立ち上がったつららは、今朝から続いている不安に突き動かされるように教室から飛び出す。
「あ、あっちゃん!」
そこでは幼馴染の新田新太が、ひとりの男子生徒の胸倉を掴んで壁に押し付けていた。
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