二、犬神憑きの章②


 昼休み。新太はさっそく行動に移すことにした。

 母御手製の弁当をさっさと食べ終えると教室から出る。その直前、腕を引っ張られた新太は少しよろけた。

「あっちゃん!」

 うるさいのがきたな、と新太は思った。

 無遠慮に腕を掴んたのは、小柄の女子――幼馴染みの瀬田つらら。そもそも「あっちゃん」と呼ぶのはつらら以外いないのですぐにわかる。

「どうした?」

 新太を呼びとめたつららはその理由を言うことなく、じいぃぃぃと新太の目を見つめてきた。

 その真っ直ぐな瞳に、思わずたじろぐ新太。

(……なんだ?)

 他人の目をじぃっと見つめるのは、つららの癖でもあった。幼い頃からつららは、周りの視線を憚ることなく露骨に人の目をじぃっと見つめることがある。それはまるで何かを見極めようとしているかのようで、新太はそんなつららの行動が少し苦手だった。

 怖いと思う。いや、つらら自体が怖いのではない。つららのその行動で、自分の心を読まれるのが、怖い。土足で心に踏み込まれるのは、拒絶審が勝って、誰だって怖ろしく感じるはずだ。

「あっちゃん。何かあったの?」

「……別に」

「私はあっちゃんの幼馴染なんだよー。隠したって、何かあったんじゃないかってことぐらいすぐにわかるよ。いつもよりも、眉間にしわが寄って、極悪面になってるし」

「極悪面とかいうな」

 無理やり眉を寄せて変顔をするつららに返しながら、さすがにそれはないよな、と新太は眉間を指で揉みほぐす。うん。大丈夫だろう。

「用はそれだけか? 俺は用事があるからもう行くぞ」

 まずは、目撃者にでも話しを訊こうと思っている。バレー部の部員がサッカー部の部室から出てくる黒いキャップを被った人物を見ていたというので、その詳細を詳しく知りたい。

「用事って、なあに? サッカーの練習?」

「違う」

 つららは関係ない。だから言う必要はないと、新太は歩きだす。

「待って!」

 後ろから今度は服を引っ張られた。

 首だけで振り返ると、つららがその真っ直ぐな瞳で、新太を見上げていた。

 新太の身長は男子の中でも高い方で、対してつららの身長は女子の中では低い方だ。だから身長差は大きく、必然的に新太がつららを見下ろす格好となる。そのはずなのに。

 なぜか、こういう時のつららは、その小柄な体躯をものともしないほどの迫力を醸し出している。

 気圧されるように、新太はつららの視線から逃れるように、視線を逸らそうとして……できなかった。

 逸らした視線の先に回り込まれたからだ。

(ちょこちょこと)

 新太はもう半ば観念していた。幼馴染のつららとは、親友やサッカー仲間よりも長い付き合いなのだ。だから、新太はもうこれ以上つららから逃れられないことを悟ってしまった。

 こうなったつららは、意地でも相手のことを聞きだそうとする。それはもうある意味性質たちの悪いわがままな行動。

「あっちゃん、話してよ!」

「……ったよ」

 ため息を吐くと、いつまでも教室の出入り口のひとつを占領するわけにはいかないので、つららを廊下の隅に連れて行ってから話すことにした。



    ◆



「あっちゃんは何もやってないんだよね? なのになんであっちゃんが疑われてるの? おかしいじゃん!」

「んなこと俺だってわかってるんだよ。だからとりあえず声のトーン落とせ」

 周囲を見渡しながら、鼻息荒く叫び出したつららを新太は宥める。通り過ぎて行く生徒がチラチラ見てくるが、新太がにらむと怯えたように大人しく去って行った。

 まだ不満を抱えているのか、「うぅ」と唸りながらも、つららは静かに疑問に思ったことを訊ねてきた。

「でも、どうしてサッカー部の部室が荒らされたんだろ」

「少なくとも部長は、俺がむしゃくしゃしてやったんだと思ってるんだろうな」

「でもでも、あっちゃんはやってないんでしょ? それなら、その……真犯人? は、どうして部室を荒らしたのかな?」

「さあ、な」

 そればかりは新太にもわからない。自分なりに理由を考えると、部員の場合サッカー部に対して不満があるからの可能性が高いだろう。部員ではなかった場合も同意で、サッカー部に対して不満があるから部室を荒らした。別の理由としては、愉快犯の可能性もあるけれど、それでも学校内に楽しんで部室を荒らす人間がいるとは思えない。もしいるのだとすれば、サッカー部以外の部室なり教室なりが荒らされていてもおかしくはないが、そんな話はいままで聞いたことがない。これから起こる可能性もあるだろうけれど、少なくともまだ真犯人の目的はわからずじまいだ。

 わからないことだらけだと、新太は思う。

 どうして部室が荒らされていたのか。

 真犯人の目的は?

 なぜ新太が疑われなければいけないのか。

 それと、新太が陰口を叩いていたと、部長に告げ口した部員は一体誰なのか。

 そう考えると、真犯人として一番怪しいのは、部長にあたかも新太が陰口を叩いていたかのように告げ口をした、部員のだれかだろうか。

(もしかしたら、俺は貶められようとしているのかもしれない)

 まさか、な。

 新太は一度考えるのをやめることにする。

 つららから訊かれたことは話したし、これ以上つららに言うこともないだろう。

 昼休みが終わるまでまだ少しあるけれど、決してこの時間は長いわけではない。なるべく早く、真犯人の手掛かりが欲しかった。

「じゃあな」

 歩きだそうとした新太だったが、またもやつららに背後から腕を引っ張られてしまった。なんだか今日はよくつららに引っ張られる日だ。

 新太の足止めに成功したつららが、新太の前に回り込んでくると、ずいっとその身長の低い体を駆使して、顔を近づけてきた。実際には大分距離が開いているが。

「あっちゃん! 真犯人を探してるんでしょ?」

「あ、ああ。そうだけど」

 くっつくな、と口にしたいことを押し留める。

「なら、私にも手伝わせて! 真犯人探し!」

「――はぁ?」

 露骨に嫌そうな顔をしてしまっただろうか。

 新太は咳をしていつもの憮然とした表情(仏頂面ともいう)に戻ると、首を振った。

「駄目だ」

「なんで?」

「お前には関係ないだろ」

「あるよ!」

「はぁ?」

「だって、あっちゃんのことだよ! あっちゃんは、私の大切な大切な幼馴染だし、それに前にトウジ兄ちゃんが失踪したときも、私を助けてくれたじゃん!」

 ああ、そんなこともあったな、と新太は思い出す。

 先日、つららの従兄のトウジが、置き手紙だけ残していきなり失踪した。つららに泣きつかれたから探すのを手伝ったけれど、でもそれは今回の件とは無関係。

「別に」

 これは俺の問題だ、と口にする前に、つららが新太の服を引っ張った。

 うっとなって、新太はよろめき、屈みこむ。

 さっきよりももっと近い、すぐそこにつららの顔があった。

「だから、今度は私が手伝う番だよ! あっちゃんが困ってるなら、助けるのが幼馴染である私の役目でしょ!」

 真っ直ぐな瞳と、目が合った。

「……言っていることが無茶苦茶だぞ、おまえ」

 ため息を吐くと、新太は今度こそ観念した。

 本当は巻き込みたくないけれど、それでも言い出したら聞かないのが、新太の幼馴染の瀬田つららである。相手が折れるまで、こいつはなんべんでも同じことを口にする。それが煩わしいから、新太はもうどうとでもなれと頷くことにした。

「いいけど、足引っ張るなよ」

「引っ張らないよ! 私ドジだけど、そんなにドジじゃないもん!」

「どっちだよ……」

「じゃあ、まずは何をするの?」

「まずは目撃者に話を……ああ、もう時間ねぇじゃねーか」

「もうすぐ予鈴が鳴るねー」

「ああ、そうだな――って」

 そこまで会話をして、新太ははっと、いまの自分の状況がおかしいことに気が付いた。

「いいからくっつくな!」

 いつのまにか腕に抱き着いてきていたつららを、無理やり引っ剥がす。

 「おっとと」とつららはよろめき、不満そうに新太にジト目を向けてきた。

「あっちゃん、乱暴はよくないよ」

「腕に抱き着くおまえが悪い」

 そもそも付き合ってもいない高校生男女がそんな行動をすれば、よからぬ噂が流れてしまうだろう。いくら幼馴染だとしても、生徒からも先生からもあまり良い印象を持たれていない新太と、そういう関係だと勘繰られるのはつららがかわいそうだ。

「昔はよく抱き着いてたじゃん!」

「はあ? 昔って、いつの話だよ!」

「うーんと、小学校上がる前?」

「そんな時と同じにすんな! 俺らはもう高校生だ!」

「えー、でもー」

 まだ不満そうなつらら。

 いろいろ言いたいことは溜まっているけれど、新太はため息を吐くと、全てを飲み込む。

 「あ」とまたつららが声を上げた。

 なんだと胡乱気な目で見ると、つららは周囲を見渡して、「えへへ」と困ったように笑った。

「ごめんね、あっちゃん。私のせいで、注目を浴びているみたい」

「え?」

 いくら廊下の隅といっても、ここは一年生のクラスが並ぶ階である。周囲を見渡すと、顔だけ知っているクラスメイトや、顔も名前も知らない他クラスの生徒が、結構な数こちらをガン見していた。

 サッカー部で鍛えられている分、声量も大きい新太が叫んでしまったからだろうか。隅の方で内緒話をしていたつもりが、注目を集めてしまったらしい。

(しまったな)

 新太は、つららから距離をとる。

 ただでさえつららは最近、クラスの中で一番目立つ存在の男子と噂されているのだ。その上新太とまで関係があると勘繰られてしまうのは、避けたかった。彼女にはなるべく迷惑をかけたくない。

「つららー。そこにいたんだねー。ご飯の途中にどこ行ってんだか」

 集団の中から、親しげにつららを呼ぶ女子の声。

「愛海ちゃん!」

 美浜愛海。中学時代、彼女とは一年生の時だけ同じクラスだった。あの時の事件も知っているはずなのに、恐れることなく新太に気さくに話しかけてくれる、数少ないクラスメイト。

 つららが愛海に寄って行ったので、新太は彼女たちから距離をとりながら教室に戻ることにする。

 ――ふと、もうひとつ知っている視線と目が合った。

 集団の後方にいる、男子生徒だ。

 新太と同じぐらいに身長が高く、腕は細いため一見すると柔く見えるが、それでも日々サッカーで鍛えている新太からすると、程よく筋肉の付いた健康そうな腕。細いだけではないしっかりとした体格。体育でたびたび目にするが、部活動に所属していないのが惜しいほどの運動神経の良さ。それに交えて、顔立ちは驚くほど整っており、いつも柔和に微笑んでいる少年。

 細く目を眇めていた彼――化野九十九と視線が合うと、先にあちらから視線を逸らされてしまった。

(なんだったんだ?)

 疑問に思いつつも、予鈴が鳴ったので教室に戻っていく生徒たちに続いて新太も教室に入る。

 ただ目が合っただけなのだろう。そう思うことにした。


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