一、座敷童の章⑦結


「ついたよ」

 化野九十九の言葉に、つららは顔を上げる。

 思わず、「え」と九十九の目を見てしまった。

 九十九はいつもの柔らかな笑みを消した、感情を窺わせない冷たい目でその建物をにらみつけていた。

 ――瀬田つららの家を。

「本当に、トウジ兄ちゃん、ここにいるの? 隅々まで探したけど、いなかったよ」

 だから町中を探していたのだ。無謀だとわかっていても、この町のどこかにトウジがいることを信じて。

 九十九は薄く笑った。

「さっきも言っただろ。君の従兄――トウジさんは人間じゃない。ヒトとは別のモノだ。座敷童はね、妖力を使わないと、子供じゃないヒトに自分の姿を見せられないんだよ」

 座敷童。

 ここに連れてこられる前に、九十九から伝えられた従兄の正体。トウジは、人間ではないモノ――妖怪の一種である座敷童なんだという。

「それに座敷童は、この家に宿っている妖怪だ。家から出て行くということは、ほとんど考えられないし、もし出て行ったとしたら、この家に住んでいる人間――君に、不幸が訪れていなければおかしい」

 何を言っているのだろうか、彼は。トウジがいなくなったこと自体、つららにとって不幸に当たる出来事だというのに。

 トウジがいなくなった以上の不幸なんて……。

 そこまで考えて、つららはハッとした。たしかにトウジが姿を消したことは悲しい。けれど、同時に新太や愛海のやさしさを感じ取ることができていた。自分たちを手伝ってくれる彼らの気持ちは、自分にとって全然不幸なんかじゃない。

 九十九が見つめている扉に向かい、つららは歩き出した。

 コンコンと、自分の家なのにも関わらず、つららは玄関の扉をノックした。

「トウジ兄ちゃん、いる?」

 返答はない。誰の気配も感じられない。

 家の鍵を取り出すと、つららは玄関の鍵を開けた。首だけで振り返ると、ただ黙って見つめてくる九十九の細い目と合う。

「トウジ兄ちゃんと、話してくる」

 たとえトウジが座敷童と呼ばれる妖怪なのだとしても、彼がいなくなった理由はわからずじまいだ。

 トウジに逢えると信じて、つららは家の中に入り、玄関の扉を音をたてて閉じた。



    ◆



 トウジの心臓は、激しく脈打っていた。

 つららが帰ってきた。しかも、玄関でトウジの名前を呼んでいる。

「……つらら」

 逢いたい。逢って、ごめんねと伝えたい。

 そういう気持ちを押し殺し、トウジは唇を噛み締めると、部屋の隅で体育座りをしていた身体を、更に縮めるように壁にもたれかからせた。

 我慢だ。我慢をするんだ。と自分に言い聞かせる。

 これ以上つららと一緒に暮らすわけにはいかない。彼女が自分のことを忘れるまで、気配と存在を押し殺して、この家で暮らしていく。そう決めたのだ。妖力を使わなければ高校生になったつららには見えないはずなのだから、無理して妖力を使う必要はない。我慢をすれば、トウジになら成し遂げられるはずだった。

 足音が、徐々に近づいてくる。トウジのいる部屋に向かって。

 部屋の襖がスーッと開く音がした。六畳間の和室の畳が、ギィと音をたてる。

 姿を消せ。姿を消せ。

 トウジは、妖力を使わないように気をつけて、息を押し殺す。

「トウジ兄ちゃん」

 自分を呼ぶ声に、切なさを感じた。トウジの全身が震える。胸がキリキリとねじれるような痛みが。

「トウジ兄ちゃん。いるんでしょ。出てきて」

 口を開くな。息をするな。気配を殺せ。

 トウジは自分に言い聞かせながら、ギュッと目を瞑る。つららの姿を見たら駄目だ。トウジは、ジッと身動きをとることなく、息を押し殺していた。

 足音が、部屋の中心までやってくる。

 そして彼女は、致命的なことを口にした。

「座敷童」

 胸が張り裂けるかと思った。落ちてきた稲光が頭の先から足の先まで駆け抜けるような衝撃で、トウジはガバッと顔を上げた。

 いまつららは、なんて言った?

 すぐにあの少年の顔が脳裏に浮かぶ。

 化野九十九。ヒトではないモノの香りを匂わせる、ヒトの少年。

 もし彼がつららに自分の正体を明かしたのだとしたら、トウジは彼を恨まずにはいられない。

 一瞬、焦がすように胸に湧き上がった怒りは、けれど次のつららの言葉により霧散する。

「座敷童でもいいよ。トウジ兄ちゃんはトウジ兄ちゃんだもん。ね、お願いだから出てきて」

 泣きそうなほど擦れたつららの声。

 その声を聞くと、トウジまで悲しくなってくる。いますぐ彼女の前に姿を現して、彼女を抱きしめなければ気がすまなくなってくる。

 でも駄目だ。それはできない。それをしてしまえば、つららはこれからもっと悲しむことになるかもしれない。トウジがいなくなる悲しみは、今回だけでいいのだ。

 思えば三年も、トウジはつららと一緒に暮らしている。何百年と存在している座敷童であるトウジにとっての三年は短いものだけれど、まだ十五歳であるつららにとっての三年は大きなものだろう。その三年間をトウジはつららから奪ってしまった。従兄だと偽って、彼女を騙してきた。その償いはきっともうできなくなってしまうけれど、これ以上彼女の時間を奪うわけにはいかない。信仰心が失われている影響により、妖力を失ってしまった座敷童は消える運命なのだ。

 これ以上彼女の傍にいるわけにはいかない。彼女に、姿を見せてはいけない。

 我慢、我慢しなければいけないのに。

 顔を上げた影響で、トウジはつららの姿を見てしまった。

 こちらのことなど見えているはずがないのに、つららはまっすぐにトウジがいるところを見つめている。その顔は悲しげに歪み、人懐っこい丸い瞳からは涙が溢れていた。

 つららが泣いている。

 引っ張られるようにトウジは立ち上がると、彼女を抱きしめるために腕を広げた。



    ◇



「ごめん。つらら、ごめんね。ごめんなさい」

「う、うぐっ。トウジ、にいちゃぁあああん!」

 昨日に引き続き、つららはまたしても泣いてしまっていた。あとからあとから涙が溢れてきて、頬から顎にしたたり落ちていく。

「ごめんね、つらら」

 いつもよりも随分と低い視線から、トウジがいつもよりも高い幼子のような声で語りかけてくる。その姿は、いつもよりも随分と小さくって、小学校低学年ぐらいの背丈しかなかった。

 その小柄な体躯を、つららも抱きしめ返す。

「トウジ兄ちゃん、どこにもいかないで」

 もうこれ以上家族が突然姿を消すのは嫌なのだと。いきなりこの世を去ってしまった両親のように、トウジまでいなくなってしまったら、つららは立ち直れなくなってしまう。

 つららの頬を伝った涙が、トウジの頬に落ちる。トウジはただひたすらに、「ごめんなさい」と叱られた子供のように繰り返し囁いていた。

「ボクはもうどこにもいないよ。これからも、ずっと、つららの傍にいるから。だから、泣かないで、つらら。つららが泣くと、ボクまで悲しくなってくる」

「トウジにいちゃああん!」

 これ以上ないというほど声を張り上げて、つららはしばらく泣き続けた。



 数分後。ようやく落ち着いたつららは赤く腫れた目で、目の前の座布団に正座しているいつもよりも随分と小柄になったトウジを見つめる。トウジに倣ってつららも正座をしていたのだけれど、すぐにつらくなり足を崩した。

 ふふ、とそんなつららの行動を見て、トウジが面白そうに笑う。

 むっと、つららは不貞腐れた面でトウジを見返した。

「いや、こうしてまたつららと話せるとは思っていなかったから、うれしくって笑っていたんだ」

 あくまで馬鹿にはしていないと、トウジは弁解する。つららはそれをすぐに信じた。

「トウジ兄ちゃん、約束して。これからいきなり私の前から姿を消したりしないって」

 つららの真っ直ぐな瞳を受けて、トウジが視線を畳に落とした。

「でも」

「でもじゃなぁあああい! トウジ兄ちゃんの妖力っていうの? 妖怪の力が弱まっていること、九十九くんから聞いたから知っているよ。でもそれって、座敷童に対する家主の信仰心が弱まっているからでしょ? なら私、毎日トウジ兄ちゃんにお供えものするから、そう簡単に妖力がなくなって消えたりしなくてもいいようにするから……だから、今回みたいに、突然姿を眩ますのは禁止!」

 つららは、握りしめていた右手の小指だけ立てるとトウジに向けた。

 瞬きをして、トウジはその指を見つめる。

 ふっと強張っていた顔を和らげると、トウジもつららに倣って小指を差し出してきた。

「ボクが、間違っていたんだね。もう、いきなり逃げたりしない。約束だ」

 小指を絡ませる。

「じゃあ、そろそろ他のみんなにも挨拶をしなくちゃね」

 つららはずっとトウジから目を話していなかったのにも関わらず、立ち上がった瞬間にトウジの姿は変わっていた。小学校低学年ほどの小ささから、いつも見ていた小柄な高校生男子の身長まで伸びると、トウジはぐっと背伸びをした。

 トウジの腕を引っ張りながら、つららは玄関に向かう。靴に履き替えて玄関から顔を出すと、そこには九十九だけではなく、愛海や新太の姿もあった。

「お待たせ」

「随分と待たせてくれたわね」

 愛海が大げさにため息を吐く。

「トウジさん」

 新太が真剣な顔でトウジを見つめたが、すぐに「いや」と口を濁して視線を地面に下ろした。

「――そう、そっちの選択をしたんだね……」

 九十九は誰にも聞こえないように小声でつぶやくと、いつものように端正な顔立ちに柔和な笑みを浮かべた。

「瀬田さん、トウジさんが戻ってきてくれてよかったね。オレも安心したよ」

 それは見事な笑みだった。先刻のひんやりと冷たい瞳が嘘だったかのような。

 つららはその細い眼をじぃと見つめて、けれどなにも口にすることなく、泣き腫らした自身の顔に笑みを浮かべた。

「みんなのおかげだよ。ありがとう」

「どういたしまして。ところでトウジさん」

 愛海が玄関の中で棒立ちをしているトウジに近づいてくる。

「ま、何があったのかは知らないけどさ。もし、またいきなり姿を消して、つららを傷つけたりしたら、あたしトウジさんといえども許さないからね」

「……ごめん。美浜さん。ありがと」

 愛海と入れ替わりに新太も歩きだそうとしたが、すぐに足を止めた。ぼそりと囁く。

「今度いなくなるなら、つら……瀬田に直接言ってからにしろ」

「そうだね、新太くん。ごめんね、ありがとう」

 さて、と口にして、真っ先に九十九がその輪から離れるように、歩きだす。

「オレはこの後バイトがあるから、先に帰るよ」

「忙しいのに手伝ってくれてありがとね、九十九くん」

 その背中に声を掛けると、九十九は軽く右手を上げて応えた。その背中が遠ざかっていく。

 空は、もうすっかりぼんやりと薄暗い夕闇に包まれている。

 愛海や新太と軽く言葉を交わして別れると、つららとトウジはリビングに向かった。

 リビングに向かう途中、すっかり小学校低学年の姿になったトウジを見て、つららのなかにいたずら心が湧いてきた。

「トウジ兄ちゃんはトウジ兄ちゃんだけど、いまはどちらかというと私のほうがお姉ちゃんのような感じだねっ」

 つららの言葉を受けて、トウジがわざとらしくため息を吐く。

「いや、ボクのほうが年上なのは間違いないよ。なんて言ったって、何百年も生きているんだからね」

「うそっ! そんなにおじいちゃんだったの!?」

「おじいちゃんって言わないでっ」

 トウジが苦虫を噛み潰したような顔になったものだから、つららは思わず声を上げて笑った。心の底からあふれてくる笑みを、流した涙の分だけ。

 この家には、昨日の夜「孤独」が滲んでいた。

 けれどいまは、「孤独」とはかけ離れた、「明るい笑い声で」満ちている。

 それがうれしくて、つららは飽きるまで笑い続けた。



    ◇◆◇



「――さて」

 集団から離れると、九十九は夕焼け空で陰って暗い路地裏に、視線を向ける。

「そろそろ出てきたらどうだ」

 九十九の声に、応答する者はいなかった。

 気配を探るが、路地裏に誰かがいる気配を感じない。

 九十九は緊張した面持ちから一転、軽くため息を吐く。

 何者かが自分たちを見ているような気がしたのだが、気のせいだったみたいだ。座敷童といえども妖怪で、妖怪と顔を合わせていたため気を張っていたせいだろう。過度な警戒をしてしまったみたいだ。妖怪相手だと、自然に殺意を込めてしまう自分を落ち着けるのに必死だった。落ち度だな、と九十九は再びため息を吐くことにより、緊張を緩和させる。

(それにしても驚いたね。まさか、彼女が妖怪と一緒に暮らすことを選ぶだなんて)

 ヒトならざるものが、人間と共に暮らせるわけがない。その考えは揺るがないものの、つららの選択は九十九からすると意外なことだった。

 瀬田つららは、九十九が思っているよりも、さらに真っ直ぐな少女みたいだ。

(三年も一緒に暮らしていたから、信頼しきっているのかもしれないね。……けれどね、瀬田さん)

 九十九は知っている。いくら相手を信頼していたところで、妖怪は容易くその信頼を裏切る生き物なのだということを。

 九十九の父がそうだった。父を信頼していた母を裏切って、自分だけ逃げだして、いまもなお「裏側の世界」の奥に隠れ住んでいる。

(ひとまずは落ちついたみたいだけど、座敷童といえども妖怪だからね)

 これから彼女と座敷童の動向を監視することは必要だろう。妖怪が裏切ることがあるならば、九十九がそれを断ち斬るまでだ。

(瀬田さんには悪いけれど、仕方ないよね)

 妖怪は、斬る。特に人を裏切る、悪い妖怪ならばなおさらだ。

 いまの九十九は、【妖怪退治屋紅坂支部】に所属している一介の退治士で、上司の妙齢の女性からの命令でしか妖怪を斬れない環境にいる。けれど、いざとなれば、命令なんかなくとも妖怪を斬る覚悟ができていた。たとえば、妖怪である実の父と相まみえたのならば、なおさらだろう。

 九十九は細い目をさらに細めると、今夜もまた仕事をするために「裏側の世界」に向かった。


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