一、座敷童の章⑤
いつ以来だろう。この家にひとり取り残されて、どうしようもない寂しさを感じるのは。
つららの部屋も使っていない部屋も、家中を隅々まで探した。
だというのに、従兄の姿はどこにもなかった。
一階の奥にある六畳間の和室は、トウジの使っている部屋だ。部屋の隅に布団が畳まれて置いてあるだけの室内は、あまりにも質素で生活感が感じられなかった。
その部屋の中央に、つららはへたり込んで、握りしめていたトウジからの手紙のしわを伸ばし、再びその文面に視線を落とす。
筆ペンで書かれた、丸っこい幼い子供みたいな字。
『つららへ。ボクは家を出て行くよ。ごめんね』
簡潔に書かれた手紙には、どうしてトウジが家を出て行くことにしたのか、まったく書かれていない。理由もわからず、三年間一緒に暮らしていた従兄が、いきなり家を出て行くと言う。しかももう家の中にはいない。隅々まで探したのだ。従兄は、こんな簡単な書置きだけ残して、勝手に家を出て行ってしまった。
せめても理由が知りたい。何も0わからずに、ひとり取り残されるのは嫌だった。
――久しぶりに、この家がやけに広く感じる。
「探さなきゃ」
そう、探そう。
もうこの家にはいない。それなら外を探そう。
町中を走り回って、トウジを探そう。いまの時代、あの歳の男子でおかっぱ頭なのは珍しいだろう。きっと誰かがトウジを見掛けているはずだ。片っ端から近所の人に聞き込みをして、探しだそう。
まだ、つららはトウジにお別れを伝えられていない。
突然つららの前から姿を消した両親のように、トウジまでいきなり消えてしまうのなんて、そんなこと許せない。探しだして、どうして家から出て行くのかを問いたださなければ。
心に決めると、つららは手紙をポケットに突っ込み、上着を羽織ることなく家から飛び出した。
家から出たつららが真っ先に向かったのは、すぐ近くの家――幼馴染の、新田新太の住んでいる一軒家だった。
インターホンを押すと、しばらくして新太の母が顔を見せる。
「あら、つららちゃん。どうしたの」
「あ、あっちゃんはいませんか!?」
その剣幕に驚きつつも、新太の母親は「ちょっと待ってね」と家の中に消えて行く。
入れ替わりに、新太が出てきた。
「なんだ。どうし――ッ!」
つららは彼の言葉が終わる前に、新太の体にしがみついた。
「どうしよう、あっちゃん! トウジ兄ちゃんがいなくなっちゃった!」
「落ちついたか?」
「……うん。ありがと、あっちゃん」
新太が差し出してきたカップを受け取ると、つららは赤くなった目でせいいっぱい微笑んだ。カップの中には、ミルクたっぷりのコーヒーが淹れてある。一口飲んでみると、つらら好みの甘さだった。
なんだかやさしい味がする。
――あのあと、幼馴染の新太の顔を見た瞬間、それまでせき止められていたものが全て溢れかえって、つららは新太の体にしがみついたまま泣いてしまった。つららの顔とぐっしょりと濡れた自分の服を見て驚いた新太が、「玄関先でなんだから」と部屋まで上げてくれて、いまに至る。
新太は相変わらずの仏頂面だけど、めんどくさがることなくつららの面倒を見てくれる。愛海ちゃんに似て、面倒見があるやさしいところもつららは好きだった。
あの事件があった中学一年生の夏から、互いの家を行き来して遊ぶことはなくなってしまったけれど、それでも新太はやはりつららにとって頼りになる存在であることに変わりない。
つららに笑顔が戻ったので安心したのか、新太が軽くため息を吐く。それから、ずっと気になっていたのだろう、つららが泣きだしてしまった理由、従兄のトウジのことを訊ねてきた。
「トウジさんが、どこに行ったのか心当たりはないのか?」
「……ない。トウジ兄ちゃん、体弱いから、出掛けるところほとんど見たことないし」
「置き手紙があったんだよな。見せてみろ」
ポケットから皺だらけの手紙を取り出すと、新太に渡す。
新太は文面に目を落として、すぐに眉をしかめた。
「なんだこれは。三年も一緒に暮らしていて、これだけしか残していかなかったのか? おかしいだろ」
怒ったように声を荒げる。
「あっちゃん。トウジ兄ちゃん、見かけてないよね」
「悪いが、もう二年近くトウジさんの顔は見てないな。これから探すにしても遅い時間だし。お前は家に……あー」
「いまからでも、探せるだけ探してみるよ」
「やめとけ。外はもう暗いだろ。お前が迷子になって終わりだ。ちょうど明日土曜日だしな。俺は……明日はちょうど部活の練習ないから、一緒に探してやるよ」
「ほんと?」
「ああ。だから今日は、家に帰って早く寝ろ。ひとりが寂しかったら、母さんに頼んで客間空けてもらうけど、どうすんだ?」
少し迷ってから、つららは首を振った。
「帰る。もしかしたら、トウジ兄ちゃん帰ってくるかもしれないし」
「そうか。なら明日、おまえの家に迎えに行くから、それまで絶対に家から出るんじゃねぇぞ」
「……うん、ありがと、あっちゃん」
「あっちゃん言うなっ」
相変わらずの仏頂面の新太に対し、余裕が戻ってきたつららはにへらと笑いかけた。
「あっちゃんも、昔のように、私のことつららちゃんって呼んでくれてもいいんだよ?」
「誰が呼ぶか。とっとと帰れ」
◇◆◇
翌朝。つららはうとうとした頭を抱えながら、ぼんやりと寝間着から制服に着替える。スマホで時計を確認すると、朝の八時だった。
ピンポーンと、インターホンの音が家の中に響いた。
つららは慌てて階段を駆け下りて、危うくこけそうになったのを寸前で押し止まり、玄関から顔を出す。扉の外には私服姿の新太がいた。
「おはよ、あっちゃん」
「……おまえ、なんで制服なんだ?」
「え?」
自分の服を見下ろす。
「あ」
そういえば今日は土曜日だ。いつもの癖で制服に着替えてしまったらしい。
「すぐに着替えてこい。休みの日に制服姿だと目立つだろうが」
「そうだねー」
「ゆっくりでいいぞ」
「ありがと、あっちゃん」
つららは急いで階段を駆け上がって自分の部屋に戻る。いままでも休みの日に平日の癖で制服に着替えてしまうことは多々あった。けれどその度に、トウジが指摘してくれていたので気づくことができていた。
(そうだ。昨日、なかなか寝付けなかったんだ)
昨日、三年ぶりにつららは家の中にひとりになった。いままでトウジがいてくれたから毎日ぐっすり眠ることができていたのに、昨夜はそのトウジがいなかった。
だからなかなか寝付くことができず、つららは自然と溢れてきた欠伸を噛み殺す。
確か、あの時も。つららの両親が亡くなって、トウジと暮らしはじめてからの約一カ月間。
両親ともう会えないという寂しさで、つららは夜ぐっすり眠ることができないでいた。そんなつららを見かねたトウジが、毎日のようにつららを寝かせつけるために子守唄を歌ってくれてたっけ。
最近はもう耳にしていないトウジのつたない歌声が懐かしく想い出される。
家を出る前に、一度トウジの部屋を確認することにした。
――やっぱり、いない。
(トウジ兄ちゃん。どこに行ってしまったの?)
一夜も時が経っている。トウジはもう紅坂町の周辺にはいないのかもしれない。
(でも、探さなくちゃ)
トウジが家を出て行った理由だけでも知りたい。なにもわからないまま、「孤独」を味わうのは納得できない。
私服に着替えたつららが家から出ると、そこには新太だけではなく、昨日の夜に連絡を入れた愛海と、それから九十九もいた。
「なんでおまえがいるんだ?」
心底不思議そうに新太が九十九に問いかける。
「昨日の夜、瀬田さんから連絡をもらってね。トウジさんに会ったことはないけれど、彼は瀬田さんにとって唯一の家族みたいなものだろ? いきなりいなくなったのなら、探してあげたいと思ってね。ひとりは寂しいだろうし」
細い目をさらに細めて九十九が言う。
「ま、あたしも化野がいるのは気になっていたけど、理由は妥当かな」
「愛海ちゃんも、九十九くんも、おはよー」
「はいはい、おはよう。って、あんたちょっとこっち来なさい」
つららの顔を見た瞬間、愛海は眉を潜めてつららの腕を引っ張ると、そのままついさっき出てきた家の中に押し込むように連行していく。勝手しったるといった様子で、愛海はつららの腕を引っ張りながら、洗面所に入ると、鏡につららを突き出した。
「あんた、顔洗ってないでしょ。髪もボサボサじゃない。いますぐ整えなさい」
鏡を見ると、酷い顔がそこにあった。
顔を洗っていない影響で目やになどそのままだし、寝癖も直していないから、肩の下ほどまである髪の毛があっち行ったりこっち行ったりとたいへん混雑している。しかも寝不足で目の下に隈までできている。
こんな姿を新太と九十九に見られていたのかと思うと、途端に気恥ずかしさが湧き上がってきた。つららは蛇口をひねると、ばっしゃばっしゃと顔を洗う。ヘアーアイロンで髪もしっかり伸ばして身だしなみを整えると、愛海の許しを貰い、今度こそつららは家の外に出た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。