一、座敷童の章④


 中学生になる前のことだ。

 小学校を卒業して、小学校の頃にはなかった制服を毎日のように試着しながら入学する自分を思い浮かべては、楽しみにしていた春の季節。

 瀬田つららの両親が亡くなった。

 不運な事故だったのだと、親戚のおばさんから聞いた。

 その日はたまたま天候が悪くて、前方からきていた対向車が車線を見誤って、つららの両親の乗っている車にぶつかった。

 その日、つららは友だちの家に遊びに行っていた。すぐ近くの家に住んでいる新田新太の家に。新太とは家が近いことから自然に仲良くなり、中学に入学する前まではよく遊んでいた、いわゆる幼馴染である。雨が降っているからと、新太の家でゲームをして遊んでいたつららは、新太の母親につららの両親が事故で病院に運ばれたということを聞かされた。そのまま新太の母親の車でつららたちは病院に向かったのだが、つららたちが着く前に、両親は息を引き取っていた。

 その日は、つららの誕生日だった。両親は、娘のケーキを引き取るために出掛けていたのだという。



 突然のことで葬儀は慌ただしく親戚により執り行われた。

 両親の死を実感できないまま葬儀が終わり、親戚が集まって話している傍の壁にもたれてやっと、つららは両親が亡くなってしまったのだと遅れて実感した。心細くなり、体育座りをした足の間に顔を埋める。

 嗚咽を上げて泣くつららを余所に、傍で親戚は誰がつららを引き取るかを話し合っていた。ただ、もともと両親ともども地元を遠く離れて紅坂町で暮らしており、近くに住んでいる親戚がいなかったので話は難航していた。

 けれど、少なくとも転校することが決まっていることを知ってしまい、つららはますます悲しくなった。

 小学校からの友人が通っている中学校に通えないのが悲しい。幼馴染のあっちゃんと遊べなくなるのが悲しい。なによりも、幼いころから暮らしている自分の居場所が無くなってしまうのが一番悲しかった。つららはずっとこの町で暮らしてきたのだ。どこかに引越しをするだなんて、そんなの易々と考えられるわけがなかった。

 この時、つららは初めて「孤独」というものを味わった。

 もう逢うことが叶わない両親。

 自分を物のように擦り付け合う親戚たち。

 私は、これからひとりで生きていかなければいけないのだろうか。

 ――そう、もどかしい悲しみに押し潰されそうになっていたときのことだった。

 突然、その男は現れた。

「もしよろしければ、ボクに面倒を見させてくれませんか?」

 つららはもちろん、親戚一同も驚いた。無理もない、その男は本当に突然、姿を現したのだから。ずっと気配を押し殺していたのだろう。男が声を発するまで、男がそこにいることに気づいた者はいなかった。

 男――と呼ぶにはあまりにも若々しく、まだ二十代にもなっていないだろう容姿の若者は、自分はつららの父の遠い親戚だと名乗った。

 「親戚?」と、訝しんだのがつららの父方の親戚だった。そんな親戚など聞いたことがないと男を怪しんだ。けれど話し合いの結果、つららは父の遠い親戚だというその男に引き取られることになった。つらら自身は引越しをする必要はなく、この家でそのまま暮らせるそうだ。つららはとても喜んだ。

 海外出張が長いらしく、唯一の息子をひとりで放っておくのも心配だったため、つららが幼い頃から暮らしているこの家で一緒に暮らしてくれるのなら心強いと、その男は言った。

 だから、つららはいまでもこの家で暮らすことができている。

 叔父さんには、感謝をしてもしきれないくらいの恩があった。




    ◇◆◇



「で?」

「いきなりどうしたの、美浜さん」

 昼休みになって教室から出たところで、九十九はいきなり美浜愛海に腕を掴まれた。

 愛海は、腕を引いて人気のないところまで九十九を連れて行くと、真剣な瞳で九十九をにらみつけるように見つめてくる。

「いや、どんな魂胆があって、あんたがつららの誘いを受けたのかって、ずっと気になっているんだよね。ほら、あの子お人好しで、基本人を疑うことをしらないから。あと考えたら即行動の猪突猛進タイプだったりするし」

 確かに、と九十九は細い目をさらに細めて笑った。

 瀬田つららの真っ直ぐさは、なかなか貴重だ。

 そんな彼女が折れずにあそこまで天真爛漫に日々を過ごせているのも、きっと彼女の従兄や友人などに支えられているからなのだろう。

「安心して。オレは瀬田さんをどうこうするつもりはないから。ご飯に釣られただけだよ」

「ふぅん、そう。ま、つららに何もしてないみたいだからこれ以上咎めるつもりはないけど」

「それも大丈夫。オレは瀬田さんを傷つけたりなんかしない」

「ほんとうに?」

「ああ。約束する」

 まだ疑わしそうな顔をしていたが、一応は納得してもらえたようだ。

 愛海は「それならいいけど」と呟くと、やっと九十九の腕を解放してくれた。

「でも、あの子に何かしたら、あたし黙っちゃいないからね」

「心得とくよ」

 内心ひやひやと、こわいこわいと思いながらも九十九は笑顔で対応した。これも鬼畜な仕事を片っ端から押し付けてくるあの妙齢の女により鍛えられているおかげだろう。

 教室に戻っていく愛海の背中から視線を逸らし、九十九は軽くため息を吐いた。

(ごめんね、美浜さん。ご飯に釣られたっていうのだけは、嘘なんだよね)

 そのあと、九十九は体調不良を理由に早退した。



 体調不良というのは嘘だった。

 九十九は昨日から――いや、はじめて瀬田つららに出会った日、ぶつかった拍子に彼女と近づいたその時に、彼女からとある匂いを感じとっていた。

 昔から九十九の周囲にまとわりつき離れることを許さない、この世のものではない匂い。

 ヒトではない、モノの匂いだ。

 昨日、つららの家でご飯をご馳走になり、九十九は確信を持つことができた。

 つららの傍に、ヒトではないモノ――妖怪の存在があることに。

 妖怪は、普段はヒトと交わることのない「裏側の世界」に住んでいる。そこに巣くう妖怪は、ほとんどが人間を嫌っていた。理由はさまざまあるが、一番の理由は「人間が妖怪を嫌ったから」だろう。

 遥か昔、妖怪と人間は共存していたという。けれど長い年月の末、人間はヒトとは異なる奇妙な姿の妖怪を、疎み、恐れ、拒絶するようになった。

 いつしか人間は妖怪が存在していたことすら忘れ、闇が蔓延る裏側の世界に追いやった妖怪とは異なる、光ある表側の世界を我が物顔で生きている。

 妖怪が、光を憎むのも必然といえるだろう。

 ――けれど、と九十九は薄い笑みを浮かべる。

 妖怪が人間から嫌われたのは、その異様な外見だけではないはずだ。妖怪は人間とは異なる風習を持っている。人間世界でさえ、風習は各地によってさまざまで、世界のどこかには受け入れがたい風習を持っている人々だっているだろう。

 元からすべての人がすべての人を受け入れて生きていくことなんてできはしない。どちらかが、またはどちらともなにかしら我慢して、生きているのが現状だ。

 きっと、それは「やさしさ」と呼ばれるものなのだろう。

 だが、それは一度こじれてしまうと、関係の修復など困難になり、取り返しがつかなくなる場合がある。

 例えば、人間と妖怪の関係に修復できないほどの深い溝があるように。もう、表と裏が、光と闇が、決して交わりはしないように。

 妖怪は、ヒトと共に生きていくことなど、できはしない。

 平気で人間を騙し、唆す妖怪がいるだろう。

 平気で人間を食べる妖怪も、たくさんいる。

 人間は、ただそんな妖怪が我慢ならなかっただけなのだ。

 人間が妖怪を疎み、恐れ、拒絶するようになったのも、また必然といえた。



 九十九は自分の家の方角ではなく、別のところに向かっていた。

 まだ昼過ぎ。この時間、学生は学業に勤しんでいるはずで、制服姿の九十九はよく目立つだろう。だが、特に誰かに咎められることはなく、九十九は目的の家に辿りつくことができた。

 周りに立ち並ぶ家となんの遜色もない、紅坂町に馴染む二階建ての一般的な一軒家。

 その建物をしばらく眺めてから、九十九は軽く深呼吸をして、チャイムを押す。

 ピンポーン。

 響く音に、近づいてくる小さな足音。

 扉越しに、息を呑むような声も聞こえた気がした。

 気配があるはずなのに応答のない玄関の扉に向かって、九十九は声を掛ける。

「ねぇ、ここを開けてくれないかな。話をしたいんだ」

 扉越しの主は応答しない。

「わかった。なら、このままでもいいから、オレの話を訊いてくれないかい?」

 返答はない。けれど気配が扉から離れることはなかった。

 九十九は玄関の扉に向かって語りだす。正確には、その扉の先にいるはずのモノに対して。



   ◇◆◇



 そういえば、トウジはおじさんによく似ている。家族だから当然だとは思うけれど、歳の割に若々しい顔立ちやそれに妙にマッチした大人っぽさは、きっと父親譲りなのだろう。

 紅坂高校から十分もしない我が家への帰路を歩いていると、昨日と同じようにたまたま家から出てきた田部のおばあちゃんが、つららを見て声を掛けてくれる。

「お帰りつららちゃん。今日は彼氏いないんだねぇ」

「田部のおばあちゃん、ただいま! だから彼氏じゃないってばー」

 笑顔で受け答えをすると、田部のおばあちゃんは、穏やかな笑顔でしみじみと昔を思い出すような顔つきになった。

「もう、あれから三年も経つんだねぇ。つららちゃんも元気にすくすくと育ってくれて……。これも、つららちゃんの従兄さんのおかげかねぇ。一度、その従兄のお兄ちゃんにも会いたいんだけど、昼間つららちゃんの家に行っても誰もいないみたいだから、なかなかタイミングが合わなくて会えないんだけどねぇ」

「え? トウジ兄ちゃんは体が弱いから、昼間はほとんど家にいるよ?」

 不思議そうな顔になるつらら。

「それなら、きっとわたしが訪問したタイミングで寝ていたんだろうねぇ」

 田部のおばあちゃんは特に気にした素振りもなく、朗らかな笑顔だった。

 それから五分ほど他愛のない話をしてから、つららは自分の家に辿り着いた。

 開錠して、玄関の扉を開くと、つららは元気いっぱいの声で「ただいま!」と大きな声を上げる。

「……」

 返答はなかった。

 いつもだったらリビングから顔を出したトウジが、うれしそうにつららを出迎えてくれるのだけれど。たまに体調が悪くて寝入っているときがあるものの、二日間続けてトウジが顔を出さないのは珍しかった。

 胸に何かが上ってくる感覚がする。遅れて、それは寂しさなのだと気づいた。

 つららは脱ぎ捨てた靴を揃えることなく、リビングに直行した。

 そして、ダイニングテーブルの上に、トウジお気に入りの筆ペンと共に置いてある書置きを見つけた。

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