一、座敷童の章③


 一時間ぐらい他愛無い雑談で時間を浪費していても、従兄が帰ってくる気配はなかった。

 時計はとっくに十八時を回っている。

「おかしいなー。いつもこの時間はトウジ兄ちゃんと机を挟んでご飯を食べているんだけど」

「仕事で遅れているのかもしれないね」

「それはないよー。トウジ兄ちゃんは病弱で、ほとんど引きこもり状態だから。あ、もしかしたら部屋で寝てるのかな。それだと起こすのは悪いよね。先に、ご飯食べたほうがいいのかな」

 つららは立ち上がると、キッチンのスペースにある冷蔵庫を開ける。

 なにか食べられるものあるかなー、と冷蔵庫の中を物色するが、つららの料理の腕ですぐに食べられそうなものはなかった。というかつららは料理ができない。

 ふと、コンロに鍋があることに気づいた。近づいて中身を確認しようとすると、その蓋の上に正方形の付箋が貼ってある。小さな字で何かが書かれている。

「『つららへ。ボクは少し体調が悪いから先に寝ているね。友だちと、肉じゃかを食べてください。トウジより』」

 従兄が好んで使っている筆ペンで書かれた文字を、つららは声に出して読む。

「トウジ兄ちゃん大丈夫かなぁ」

 一度、トウジの部屋に顔を出そうかとも考えたが、その前につららのお腹が正直な音を上げる。

「まずは腹ごしらえだ!」

 付箋を剥がしてポケットに入れると、つららは鍋の置いてあるコンロの火をつけた。

 その間に茶碗を二つ用意する。肉じゃがの入れる器を何にするか迷い、いつも使っている深めの皿をふたつ用意する。それからお客様用の箸と、つらら愛用のうさぎ柄のかわいい箸も取り出して、机に並べ始めた。

「九十九くん。トウジ兄ちゃんが用意してくれていた肉じゃがすぐに温めるから、もうちょっと待ってね。ご飯はどれぐらい食べる? 大盛り?」

「ご飯は、並みでいいよ」

「わかった!」

 鍋がぐつぐつしだしたのに気づくと、つららはコンロの火を止める。じゃがいもが多めの肉じゃがを危なげな動作でお皿に盛りつけると、落とさないように一皿ずつ机に移動させた。それからご飯を盛り付けると、つららは再び九十九を呼んだ。

「ご飯だよー」

「うん、いま行く」

 なんだか家族みたいだなっとつららはにやけて思い、おっとっとと落としそうになった茶碗を慌てて机の上に置くと、椅子に座った。

 九十九も向かい側に座り、互いに「いただきます」をすると、夕食タイムが始まった。



    ◇◆◇



「ごちそうさま。おいしかったって、トウジさんに伝えておいて」

「うん。伝えとくね。トウジ兄ちゃん喜ぶよー」

 自分が一番喜んだ顔をしながら、つららがうれしそうに笑う。

 九十九は細い瞳をさらに細めて、そんなつららの眩しい笑顔から視線を逸らすと、玄関に向かった。

 玄関で靴を履き終えてから九十九は首だけで振り返る。

「また明日学校でね」

「またねー。おやすみー」

「おやすみ」

 挨拶を交わすと、九十九はそのまま玄関から外に出た。外はもうすっかり暗くなっており、昼間には明るすぎて見えない月が闇夜に輝いている。

 その月から視線を逸らし、九十九は改めていま出てきたばかりの一軒家を見上げた。

「さて」

 笑みを消して、細い瞳をさらに細めてその一軒家を見上げる。築何年かはわからないが、つららが幼いころから暮らしているとするのならばもう十年以上は経っているのだろう。いや、九十九の予想が正しければ、もっと古い建物なのかもしれない。確かによく見てみると屋根や壁の一部が剥がれていて、古さが目立つところがある。

「なるほど、ね」

 ――確かに、気配は感じた。

 けれど姿は見えなかった。だからまだ九十九の予想ではあるのだけれど、この屋敷にはなにかが住んでいる。瀬田つららとはまた別の、人間ではない異質な存在が。

「表の世界に住んでいるモノというと、限られてくるね」

 九十九は踵を返すと、今度こそつららの家を跡にして、少し遅い時間になってしまったが、夜の討伐タイムに入ることにした。近くの公園に向かって行く。

「……にしても、あのババアも、またなんでこんな大量に仕事を持ってくるかね。あー、やだやだ」

 ぼやき声は、誰もいない夜の道に静かに消える。



    ◇◆◇



 つららは目を覚ますと、寝ぼけ眼で学校の制服に着替える。パジャマを畳むことなくベッドの上にまき散らしたまま、つららは寝起きのフラフラとした足取りでリビングに降りて行く。

 リビングの扉を開けると、穏やかな声がつららを迎えた。

「つらら、おはよう」

「トウジ兄ちゃん! もう起きていて平気なの? 体は?」

 朝食の用意をしているのだろう。キッチンで動く背中を目で追いながら問いかけると、「うんっ」という明るい返事があった。

「おかげさまで昨日の夜早く眠れたからね。今日はいつもより気分が良いんだ」

「よかったー」

 心の底から安堵の吐息をもらす。病弱な従兄は、その体の弱さをつららに隠す癖がある。中学生になる前から一緒に暮らしはじめたのだけれど、風邪で寝込んでいるときなど、つららがいくら看病したくても部屋に招き入れてくれないのだ。

「つらら、すぐ朝食の用意をするから、座って待っていてね」

「うん!」

 椅子に座ると、つららはふともう一度トウジの背中を見た。なにか違和感があるような気がしたのだ。けれど、きっと気のせいだろう。トウジはつららの二個上の従兄だ。身長は小柄なつららと同じぐらい低いけれど、そのしっかりとした性格と態度はつららに年上だと思わせるには十分な貫録を持っている。というかそんなに歳は変わらないはずなのに、トウジは出会った頃から年の割にはしっかりとしていて、案外博識だった。この三年間、そんなトウジに助けられながらつららは過ごしてきた。

 だから、きっと気のせいだろう。

 中学生のころから一緒に暮らしている従兄の身長が、少し低くなっている気がするだなんて。



 学校に登校すると、タイミングがいいことに下駄箱で九十九と遭遇した。

「九十九くん、おはよー」

「ああ、おはよう、瀬田さん。そういえば、トウジさんの体調は大丈夫だった?」

 細い目をさらに細める九十九は、朝から眠そうな面になっている。

「うん。昨日早く寝たから、今日はいつもより気分が良いんだって」

「そう。よかったね」

 朝にトウジ自身から聞いた言葉をそのまま伝えると、九十九は眠くて仕方がないのか欠伸を噛み殺すように言った。

 教室に向かう九十九の背中を追いかけていると、突然後ろから腕を掴まれた。首だけで振り返ると、つららの大親友の愛海がにやけ顔を隠すことなくそこにいた。

「愛海ちゃん、おはよー」

「おはよ」

 短く挨拶を交わすと、「で」と愛海が顔を近づけてくる。

「化野とやけに近づいているじゃないの。何か進展あったんでしょ」

「ん? 何って?」

「昨日、あんたの家でご飯を食べたんでしょ。そこで告白でもしたのかと思って」

「告白って、そんなことなかったよ。そもそも私まだ九十九くんのこと好きとかそういう感情じゃないし。トウジ兄ちゃんや愛海ちゃんのことは大好きだけど、九十九くんとは昨日ご飯を食べたぐらいだから、嫌いじゃないけど好きなのかもわからないよ」

「まあ、あんたの場合そうだろうけど。あたしから言わせると、その夕ご飯を一緒に食べたって言うのは、高校生男女にとってはとても敷居が高いというか、普通ありえない関係なんだからね」

「え、そうなの? よく愛海ちゃんも食べにくるじゃん」

「それとこれとは別なの。まあ、何もなかったのは良かったのかな。いや、早くこの手のかかる子を引き取ってくれる彼氏でもできたらと思ってはいるけど、まあ気長に待てばいいね」

 軽くため息を吐く愛海。

 つららは、顔をへにゃりとさせて笑う。

「大丈夫だよー。私ももう高校生なんだから、そろそろ自立できるもん!」

 自信満々に手を振り上げるつららを見て、愛海はわざとらしく、またため息を吐いた。

「それが心配なんだつーの」


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