善悪の行方


「俺の所為じゃねえってんなら、ならどう責任を取るって言うんだよ。あ?」


 燃える足元を何ら気にかけず、銀はゆっくりと立ち上がる。


「今更グダグダ言って来やがって……。なら何だ。白を元の猫に戻す方法でもあるってのか?」


 そんなものは無い。


 分かり切っている言葉が、まだ混乱している頭の中を駆けて行く。


 その言葉が通り過ぎていく様を見ている内に、ただ銀の迫力に青ざめただけなのかもしれないが、すうっと心が、落ち着きを取り戻し始めたような気がした。


 そんな方法はある訳が無いと誰しもが分かっていても、だからと言って、逃げてもいい事にもならないと。


 一番合戦さんがこの人から逃げてしまった事が、唯一の失敗であり弱さの表れであると言うのなら、今まで散々好きにやってきておいて、忘れた頃に責任だ何たらと言い出した僕ら人間の方が、よっぽど弱いし、狡いじゃないか。


 ……責任を取れる失敗なんて、高が知れてる。


 取れないような失敗をしてしまった時にどう向き合うか、それが生きるって事だろう。


 取り戻せないなら誤魔化してなあなあにすればいいなんて、そんなの、狡い大人のする事だ。恥を恥とも思っていない、卑怯者のする事だ。


 そんなただ死んでないだけの、生きてるなんてとても言えないような無様な道、僕は死んだって、選びたくない。


「無いから……ここに来たんだ」


 まだ震えながら、それでも言い返した。


「無いから……せめてこれ以上過ちが起きないようにやって来たんだ。僕が謝ったって、今更誰が謝ったって、どうにもならない事は分かってるよ。でもだからって何にもしないで知らん顔して、今ならまだどうにか出来るかもしれない事が起きようとしてるのに動かないのは駄目なんだ。そんなの、三六〇年前より質が悪い。償えないならせめて、果たせる責任は取ろうと思ったんだよ。一番合戦さんは君を、恨んじゃいない。憎んでもいない。何も知らないままでいた方が幸せだったなんて、絶対に言わないさ。そんなの一番合戦さんが言う訳無い。きっと最も、認めない事だ。正しさを軽んじる事よりも。君の所為であの大火が起きたなんて、殺されてしまったなんてこれっぽっちも思ってないよ。一番合戦さんは君を、守ろうとしたんだ。あの時嘘をついたのは、君に愛想が尽きたんじゃなくて、幕府への復讐に、巻き込まないようにとしたんだよ。君が気に病む事は無いんだ。寧ろ一番合戦さんは、あの時君に嘘をついてしまった事を、今もずっと、悔やんでるんだよ」

「言いたい事はそれだけかクソ野郎」


 それは百鬼らしい、大妖怪は吐き捨てる。


「信じねえぞ人間の言葉なんぞ……。じゃあ何で白は、俺に会いに来ねえんだ。何で誤解だって言ってくれねえんだ。俺は、赤猫としてこの世で生きる事が、どれ程厄介で恐ろしいか知ってたんだぞ……。――知ってたのに教えるような事を言っちまったんだ! お前らなんかに分かるか! うようよとそこら中にいやがる人間共にもし正体を知られちまったら、死ぬまで追い回されちまうって恐ろしさがなあ! お前らが勝手に殺したんだろ! 俺だって普通の猫で終わりたかったさ! ただの猫だったお袋はとうの昔に三味線の革にされて、赤猫だった親父はもうやってられるかって目の前で何遍も自害して消えてったさ! でけえ面して朝から晩まで歩き回ってるお前らが恐ろしくて、気が触れちまってな! 人間になんか近付けるか! お前らの方がよっぽど獣だ! ――白はたまたま、運がよかっただけなんだ……。真っ白で、綺麗だったのもあるんだろうさ。そりゃあ人間共に気に入られてたよ。あいつも気が優しいもんだから、ものを知らなかったんだ。人間ってのは、無闇に関わっていいような連中じゃあねえってな。でもたまたまだったとしても、あいつは幸せだったんだ……。お前ら人間が、勝手な都合で奪っていきやがったがな。何にも知らねえまま、あのままあの茶屋で過ごしてても、よかったんだよ。それを俺は……! 俺は、人間みてえに、奪うような事を言っちまったんだぁ……!」

「…………」


 ……なんていう事だ。


 僕は、頭を蹴り飛ばして殺して来た相手という恐怖も忘れて、呆然と銀を見てしまう。


 ……豊住さん。この人は君が思っていた程、単純な人じゃない。


 そして、僕ら人間が犯した罪とは、そうは易しいものじゃなかった。


 いやもう、最悪なんて言葉じゃ、足りないだろうこれ。


 この人は頭に血が上って、嘘をついて、黙って置いて行かれた上に、赤猫なのに人間を味方をする一番合戦さんにかっとなって、連れ戻しに来たんじゃない。


 謝りたいんだ。早くこんな、危ない所から遠ざけて。


 一番合戦さんがこの人を何ら恨んでいないように、この人も一番合戦さんを、何も怒ってなかったんだよ。ずっと謝りたくて、でも怖くて、言えなかったんだ。一番合戦さんが申し訳無くて、ずっとこの人に、会いに行けなかったように。あの時お茶屋さんの前で一番合戦さんを見つけて、話しかけてしまったからあの大火が起きたんだと、思い込んでしまって。一番合戦さんが巻き込まないようにと、何も言わずに置いて行ってしまったから、きっと、愛想を尽かされたんだと。もうお前の顔なんて見たくないと、嫌われてしまったんだと思って。そりゃそうさ。自分の所為であんな火事が起きたと思ってるんだから。その上今は鬼討だなんて、人間に騙されてしまったのだろうと。だって人間が憎くて、あの大火を起こした筈なのに。


 一番合戦さん。君はやっぱり、上手であろうと、嘘が嫌いなんだ。自分を殺したのは人間であり、自分達の過ちを隠す為に火種にされて、殺されてしまったから。だから君はどこまでも真っ直ぐで、そこまで正しくあろうとするんだろう。


 思いやっての無言が、嘘が、全て裏目に出てしまっているんだから。


 僕がいる事も忘れた銀は、罪の意識に苛まれるように、苦しそうに頭を抱えてしまった。


「…………」


 もう、何なんだよこれ。


 僕はすうっと、身体の力ごと、戦意が抜け落ちてしまいそうになる。


 こんなの誰も、悪くないじゃないか。


「――仕掛けます。九鬼様。もうあのお方、恐らく加減をしないでしょうから」


 足元の影から淡々と、覚られないよう落とした妹さんの声が飛ぶ。



「赤嶺様と一番合戦様は、未だ交戦状態のようです。暫く合流は難しいかと。赤嶺様のハッタリに合わせて、向こうに我々人狐は一匹もいないという体・・・・・・・・・・・・・・・・・・・で待機しておりますが、お姉様が今、赤嶺様に回しているきょうだい達を、こちらへ回し始めました。赤嶺様へは最小限の数だけを残し、残り全てを九鬼様の援護に回します。町を――特に、この山の辺りを灰にされるのは、我ら豊住の総意として、絶対に死守しなければなりませんから」



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