ただ、至極怪物らしいだけ。
「半端野郎が」
銀は吐き捨てた。
「それがどうしたってんだ。鬼討なら頭の切れる奴がいりゃあ、それぐらいの察しは付くだろうよ。そうさ。俺は見てたさ。あの火事を。あの火の中を、ふらふら歩いてく白の姿を。追いかけて、引き止めようとしたさ。でも逃げ惑う人間共の頭が、黒い津波みてえにあっちゃこっちゃで暴れ回ってるから、届かなかったんだよ。最初は何の事かと思ったさ。何でこんな狙ったように、こんな馬鹿でけえ火事が起きたんだって。でも後になって、風の噂で知ったんだ。あの江戸が燃えた理由は、いつもの人間共の火の不始末じゃなくて、百鬼の仕業らしかったってな。見かけねえ、身形のいい侍共があの火事の後、そそくさと江戸を出て行ったってな。内の一人が片腕を失って、妙に真っ白い、
でなきゃ、見失う訳が無えんだ。
そう銀は、強く僕を睨んで言った。
「俺が、あいつに近付かなかったら、あいつは自分が赤猫だったって思い出さずに済んで、あんな火事も、起こさねえで済んだんだよ」
胸に、抉られるような強い痛みと、強烈な違和感のような悲しみが走る。
「……そんな、それは――」
「それを何だ? 外野が口挟んで、勝手にどうこう言うんじゃねえ」
「あれは、君の所為なんかじゃないよ。一番合戦さんがあんな事をしてしまったのは」
「違わねえだろ人間に腹が立ったからあの火事を起こして退治されちまったんだ。俺があの時あいつに、自分の事を思い出させるような事を言わなかったら、起きようが無え事だったじゃねえか。白を痛い目に遭わせて、今鬼討なんかをやる破目になったのも、俺があの時、あいつに関わったからなんだよ」
「違う。あれは――!」
罪悪感が噴き出して、つい言葉が続かなくなる。
「……分かってんなら口出しすんじゃねえ」
黙り込んでしまった僕に、銀は低く言った。
「てめえとこんな所で油を売りに来たんじゃねえんだ。さっさと、白がどこにいるのか教えろ。あいつはもう、人間なんかに関わらなくていいんだ」
「…………。駄目だ」
拳を握る。
説得力なんか無いと分かっていても。
「それを決めるのは、一番合戦さんだ。だから一番合戦さんは自分で決めて、今ああしてここにいるんだよ」
「そんな訳あるか。使い魔でもねえ、人間に媚を売らねえでも生きていける赤猫が、進んで鬼討になんてなるもんか。そうせざるを得ねえ状態になっちまったから、嫌々やってるだけだろ」
「話してもないのに、そんな事分からないよ。だから、僕は君と争うつもりは無いから、落ち着いて一番合戦さんと話を」
鼻の先に、いきなり乗用車ぐらいの岩の塊が飛んで来て、咄嗟に地面に這い蹲って躱した。
竹林まで叩き付けられた岩は、自身を粉々にしながら折った竹をばらばらと崩し、ぽっかりと竹林に穴を開ける。
それを見ていた視界が突然、ぶっつりと真っ暗になって、意識が消えた。
――何だ? いやすぐに意識は戻るが、後ろへ蹴っ飛ばされたのか、低く宙を舞うと、肩甲骨辺りから地面に叩き付けられる。周囲は夥しい程の血が、飛沫となって飛んでいた。
「うっ……!?」
すぐにその勢いを利用して、後転の要領で立ち上がるが、数メートル先で目を見開いていた銀が、もう目の前に飛びかかって来ると、右からのフックを放つ。
「――ったくどうなってんだてめえはよ!」
何の話だよ!?
僕は何とか右足を半歩退いて往なすと、そのまま上半身を仰け反らせた力を利用するように、下から右のアッパーを放った。
放つ腕は軌道を描く間に黒犬の力で獣と化し、銀の右フックを潜り抜けた一撃は、鉄塊のように奴の顎を打ち上げる。
骨と肉とは思えない硬さが拳に伝わるが、銀は口から、ぱっと血飛沫を吹き出した。
怯んだ隙に、弓をしならせるように肘を曲げて後ろへ引いていた左の拳を、銀のガラ空きになった右の脇腹へ、真っ直ぐに叩き込む。
銀は吹き飛ばされ、空き地の真ん中へと押し戻されるように、ごろごろと地面を転がった。が、その軌跡に、目を疑う。
奴が歩いた場所、触れた場所が、突然火を上げたのだ。火はそのまま燃え上がり、銀が通った場所を示すように輝き出す。
同時に僕の両手を、凄まじい痛みが襲った。
一番合戦さんの脚のように、ぐずぐずに焼け爛れていた。皮膚が崩れ、ピンク色の肉を晒し、ぷるぷると不気味に光っている。
それだけじゃない。僕の制服の上半身が、頭から血でも被ったように真っ赤になっていた。
「――あ、ああ……!」
その血で汚れた姿に、気付いてしまった。さっきどうして、急に意識が途切れたのか。
死んでいたのだ。一度。
多分銀に、頭を蹴り飛ばされて。
この血は、潰れた頭から噴き出したもので、それを黒犬が、即座に相殺させたんだ。
今のは、偶然だったのか。それとも、黒犬の相殺能力が、そこまで優秀だったのか。ぶっつけ本番だから分からないけど、でも、そういう事なんだ。
僕は今、殺されていた。
何の痛みを感じる暇も無く、余所見をしていた一瞬で。
「うわああああああああああああああああああ!?」
それは呆気無い死の体験への恐怖と、両手の痛みが理性を押し退け、僕は気が触れたように絶叫した。
「おい落ち着け! あいつの火は神刀の火じゃねえし、今のは蹴っ飛ばされただけだ! 生者寄りの赤猫なだけ力も弱えし、あの程度なら身体の一部でも残ってる限り、幾らでも相殺してやる!」
足元から黒犬の声が飛ぶが、何て言っているのか分からない。聞こえない。
僕はパニックになってしまって、崩れた両手でべたべたと頭や顔を触った。
頭が消えたのだ。今も僕は、僕なのか? そんな、あんなに呆気無く。危険だ危険だと何度も言い聞かせて、腹を括ったつもりだったけれど、こんなの、聞いてない。
こっちはあれだけ唸って作戦を練って準備して来たのに、ただの蹴りで殺されただって? そんなの、どうにか出来る訳――。
「――そんな程度でぎゃあぎゃあ騒いでいいと思ってんのか……」
地獄の底から響くような低い声が、喚き散らす僕を刺した。
僕はひっと息が止まって、燃え始めた地面にぼんやりと照らされる闇の奥で、のっそりを立ち上がる影を見る。
片膝を着いていた銀が、遠くから僕を見据えていた。
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