「……正直、本当にめんどくさいよ。君のそういう所」


「九鬼。お前、徒手道としゅどうは得意か?」

「えっ?」


 今年の四月の事である。それは、豊住さんとの一件が片付いて暫くした後、仕事も無く暇を持て余していた頃で、昼休みに自分の席で本を読んでいると、やって来た一番合戦さんがそう切り出した。


「……まあ鬼討だったし、一通りはやってたけれど……」

「そうか。お前は神刀が無いから今後の立ち回りは、素手を用いたものになるだろう? 折角現役の頃に鍛えた剣術が使えないのは勿体無いが、その分徒手道としゅどうを伸ばす必要があると思うんだ」

「ああ」


 徒手道としゅどうとは言わば空手などのような、鬼討が用いる素手での格闘術の事である。同じ鬼討でも僕や一番合戦さんのような、神刀を扱う神刀派にとっては、簡単な護身術や、神刀が無い一時的な状況での対応を目的に学ばれる。一方、その身に使い魔を憑依させて戦うなどをする獣鬼じゅうき使いでは、主要な戦術としてしっかりと学ばれており、向こうの方が歴史も深く、技術が高い。

 獣鬼使いのノウハウを、神刀派が頂いてきた形だ。確かにこちらでは、神刀が無い状況での戦いは余り想定されていないので、それ程しっかり習得しなければ、得意と言える程やり込んでいる人も余りいない。


 然し、神刀が無い状態で一番合戦さんの手伝いをすると言うのなら、矢張りそれなりの技術の習得は必要だ。幾ら普段がこうも長閑でも、いつ豊住さんのような、強力な百鬼が入り込んで来るか分からない。


「そうだね。考えてなかったよ。でも、誰に習おうかな……。この辺、一番合戦さんしか鬼討はいないんだよね?」

「私が教えるよ。獣鬼使い程得意ではないが、これでも常時帯刀者だからな。その辺の鬼討よりは、自信があるぞ。よし、じゃあ早速、放課後体育館に集合だ」


 展開早っ。


「えっ? 今日? いやていうか、一番合戦さんと?」

「ん。何か用事でもあるのか?」

「いや用事は無いけれど……」


 僕は、一向に歩み寄れていない黒犬への対策を考える為に読んでいた、『サルでも分かる、初めての犬の飼い方』という本を閉じると、机の端に置く。


 ……生々しい部分に触れる話になるのだが、念の為確認をしておこう。後で一番合戦さんに、不快な思いをさせても申し訳無い。


「教えてくれるのはありがたいけれど、男が女の子を殴るのはちょっと……。それに、悪意は無くても格闘術だから、触る事にもなっちゃうしさ」

「床に?」

「いやお互いの身体に。何でどっちかが秒殺されて床に伸びてるみたいな設定なのかは分からないんだけれど」


 然も伸びてる側の想定、多分僕だ。一番合戦さん、お前が倒れる時の話? って顔してる。失礼な。


 当時の所属は明かしてないけれど、幾らなよっとして見えてるだろう僕だって枝野組の鬼討だったんだし、その辺の鬼討には負けたくないって自負もあるさ。流石に男と女の子じゃ力も違うし、幾ら相手が一番合戦さんだからって、そんな簡単にやられはしないよ。


 一番合戦さんは何やら腕を組むと、難しい顔をして首を捻った。


「んん? んん……。私別に、お前の身体を触っても、テンション上がったりしない」

「いやテンションが上がるか上がらないかっていう話じゃなくてね? 一番合戦さんは嫌じゃないの? って話をしてるんだよ。女の子でしょ?」

「わざとじゃないしなあ」

「いやそれはそうだけどさ……」

「わざと触ろうなんて考えてないだろ?」

「考えてないよ!?」


 なんて厄介な天然なんだ!


 ……まあでもこんな質問、意味が無いと言えば無いんだけどさ。もし悪意があったとしても正直に、下心がありますなんて言う訳無いし。


 本当に中身が無いならまだしも、春の昼下がりという何とも穏やかである筈の時間を狙ったかのように、周囲に誤解を招くような発言をこの人は繰り返している。じわじわとクラスメート達の視線が、こちらに集まってきた。


「まあ細かい事はいいじゃないか。それよりもまずは、今後にどう備えるべきかを考えよう。私も遠慮無く触れなんて言わないが、別に触られても恥ずかしくないスタイルはしているんだし」

「何で話戻すの」

「いや……。太ってないって、一応言っておこうと思って……」

「女心を振るうポイントがズレてるからね!」


 何でそこで恥じらってんのさ! やめてよ! 何か僕が触るような前提の話みたいになってるじゃん! いや触るんだけどさ! 徒手道としゅどう教えて貰うんだし! 鬼討絶滅危惧種みたいな地域なんだし、どうせ君以外に教わる相手もいないんでしょ!?


 目を疑う僕の表情に、何やら機嫌を損ねたらしい一番合戦さんの眉間が、ぐっと不愉快そうな皺を作った。


「……貴様、何だその非常識なものを見るような目は。疑ってるのか。私に贅肉など存在しない。胸が薄いのは認めてやるがな、これでもウエストには自信があ」


 『サルでも分かる、初めての犬の飼い方』を顔に押し付けて黙らせると、これ以上超個人的な情報を世に流さない内に、腕を掴んで廊下に連れ出し、人気の無い場所までノンストップの速足で移動すると、残りの昼休みの時間をフルに使い、お説教をした。


 信じられない事にこの時の一番合戦さんは、呪われたように「私は太ってない」と繰り返すばかりで、異常に物分かりが悪かった。本当に厄介な天然である。


 ……とまあ、この話をするにはどうしても思い出すのを避けられない強烈なエピソードはいいとして、まあ本人が気にしていないんだし僕も下心は無いんだし、その日の放課後に、体操着に着替えて体育館に集まったのだ。黒犬との歩み寄りが上手くいかなくても、技術を学ぶ事は出来るし、歩み寄れた時にもプラスに働く筈だからと。バスケットボール部にバレー部、卓球部まで犇めいていて場所が無いからと、式典の時にはピアノが置かれる舞台に、マットを敷き詰めた上で。目立って仕方が無い。部活動中の人達にはちらちらと視線を投げられるし、それを聞き付けた野次馬も集まっていた。



 それで、結果はどうなったのかと言うと。



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