曲りなり指導


 ボッコボコにされた。


 ボッコボコと言うか、こちらの動きを読んで、最もバランスを崩しやすい瞬間に的確な数打を打たれただけで、呆気無く倒された。お互い怪我も無く。と言うか、怪我をするようなぶつかり合いにすら発展する前に、圧倒的な戦力差であしらわれた。もうひょいっと、簡単に足を払われたり、腕の関節を取られて動きを封じられたり。「人を豚扱いした事を悔いるがいい」と、目的を完全に見失っていた一番合戦さんが、マットにひっくり返る僕を足元に、あっはっはと高笑いしていた。常時帯刀者とは徒手道としゅどうも、一流だったようだ。

 そこで不機嫌になってやめずに、定期的に教わる機会を設けて貰っていればいいものを、当時の僕はそれっきりで、また一番合戦さんと、徒手道で交える事は無かった。


 いや、冷静に思い返して欲しい。この出来事があったのは、今年の四月。つまり、三年生に進級して間も無い、春の頃である。そんなまだクラスにもぎこちなさが漂い、打ち解けるにも時間を要する頃にクラスの前で堂々と、「私別に、お前の身体を触っても、テンション上がったりしない」とか、「わざと触ろうなんて考えてないだろ?」とか、もじもじ恥じらいながら、「いや……。太ってないって、一応言っておこうと思って……」なんて、誤解しか招かない発言を連発されまくった挙句、大勢の前で体育館のステージ上にて完膚無きまでに叩きのめされ、「人を豚扱いした事を悔いるがいい」と、明後日の方向へ勘違いされた暴言と共に、あっはっはっと高笑いされたのだ。いや怒るよそんなの。人を何だと思ってんのさ一番合戦さん。

 お陰で僕はクラスで暫く、「穏やかな物腰に似合わずやばそうな人」と、あらぬ噂を流され敬遠されたのだ。今はもうそんな事は無いけれど、本当に勘弁して欲しい。特に女の子達からの蔑みを滲ませたあの視線は、本当に辛かった。

 まあ誤解を招いた本人も変に目立ってしまい、僕には近付きたくないが事の真相は知りたいというクラスメートから結構質問攻めに遭っていたようで、その都度丁寧に説明してくれていたみたいだから、勘違いだと理解されるのも、遅くはなかったけれど。いやそれぐらいは君がやって欲しい。この件はほぼ君の所為だ。


 「何怒ってるんだよ。教えるからお前も上手くなるって」と、無神経な言葉をかけながら、体育館を去ろうとする僕を能天気に追おうとして来る一番合戦さんの姿が蘇るが、当時はもう腹が立ってしまって、聞く耳を持たなかった。持たなかったの、だが。





 ――いやもう、後悔するよ当時の僕を!


 神刀派の鬼討だったから、格闘術なんて大して重きを置かれていなければ、そもそも出来るというだけで得意という訳では決してないし、大体こうした正面からのぶつかり合いとは、九鬼家の剣術に伴う立ち回りとも全くの正反対で、正直に言っていいのなら本当に苦手なのだ!


 着地と同時に、視界を遮っていた火流かりゅうが消え、突き破るように銀が飛んで来る。踏み出した右足を軸に、刃物のように鋭い、左からの回し蹴りが襲いかかった。

 武道経験者とは考えにくい、素人臭いと言うか、喧嘩慣れしていると表した方が近い荒々しい動きだが、その左足は正確に、僕の右肩を打ち抜こうと、吸い込まれるように飛んで来る。


 後ろには極力引かない。横からの攻撃には縦、縦の攻撃は横に往なして、潜り込むように前へ出る。躱せないなら――。


 一番合戦さんの徒手道での立ち回りを思い出し、右肘を曲げて、肩より手前で銀の蹴りを押し留める。


 ――受けるのみだ!


 そのまま銀の左足に、脇に抱え込むよう右腕を絡ませると、がっちりと動きを封じた。その固定した膝の上へ、左の拳を叩き込む。幾ら頑丈でも、関節は弱いだろう!


 然し銀の伸ばした右手に掴まれ、僕の左腕は阻まれた。掴まれた辺りが、ジュウッと皮膚が焼けるような音と共に、凄まじい速度で激痛を帯びる。


「――ぐっ!」


 でもこの程度なら、何度も丸焼きにされた痛みで麻痺してるから関係無い。呻くも透かさず、ガラ空きになったその右の脇腹へ、左足の蹴りを放った。


 が、突然視界が白く弾ける。


 その直前で何とか視界に捉えていたのは、僕の顔面へ左の拳を放つ銀だった。

 かあっと鼻の奥が熱を帯び、口までどっと血が流れ込む。


 鼻を折られたか。


 みりっと骨が砕けるような、嫌な音がした気もする。


 怯まされ、振り上げようとした左足が、もぞっと地面の上を、踵を後ろへ蠢かせるだけに終わらされた。


 でもまだ右腕は、しっかりと銀の左足を固定している。


 ならばと、銀の右手を払った左手で、彼の固定された左足を掴むと、下げられた左足を軸に、大きく身体を右へ回した。

 手足を使い切り、もう自分の体重を支える右足しか残されていなかった銀は、容易くそのまま振り回される。


「うお……っ」


 そのまま三六〇度回転しようかという直前で、元いた位置へ返すように、銀を投げ飛ばした。ぶん、と中空へ放られた銀は、されるがままに空を切る。


 僕は、動きに連なるように飛び散る血を、邪魔臭いと素早く吐いて、追いかけるように駆け出した。

 さっき銀が、僕を殴り飛ばした位置は丁度、この空き地の出口に追いやる格好だ。出口から見て、左に茂る竹林に添うように走ると、追い付いた所で地面を蹴る。


 足場が無いなら、身動きも取れないだろう。頭の上で組んだ両手が、肩まで黒犬の力を纏い、黒い異形へと姿を変えるのを合わせると、全力で銀の腹へ振り落とす。


「――この!」


 銀を叩き付けられた真下の地面が、花弁のように四方へ砕けた土を晒し、柱のような土埃を突き上げた。地を割る凄まじい重低音が、土と空の奥へ、刺さるように響き渡る。

 そのまま真っ直ぐ着地した僕も、すぐに後ろへ跳んで距離を取った。もくもくと上がる土埃で、中々視界は晴れそうにない。


 ……やっぱり、距離を詰められると火は使わないのか。どうなるかと、一か八かで賭けてみたけれど。


 立ち上がりながら両腕を振って、黒犬による変化を解きながら、注意深く土埃の向こうを見据える。


 多分、巻き添えを食うのを恐れているのだろう。今のようなぶつかり合いになると、火を放つ事はなくなる。代わりに高熱を帯びて、触れたものを焼け爛れさせる力へ切り替えるのか。掴まれた左腕を見るも、鼻と同様に黒犬が戻してくれていたので、その痕跡は窺えないが。


 僕も最初から、去年豊住さんを圧倒したみたいに、あの大きな狼男のような姿になって戦ってもいいのだけれど、奥の手はギリギリまで取っておくべきだと、作戦会議の際、豊住さんに勧められた。


 黒犬曰くあの姿の時が、自身の力を振るうに最も適した状態らしく、最大戦力を出して戦える。でも逆に言えば、あの姿になるという事は全てを出し切ってしまう事にもなるので、いきなり手の内を未知の相手に晒すのは、戦略と呼ぶには、些かならず幼稚だと。

 まずは様子を見る事に徹し逃げ回り、その回避の際に生じたミスという負傷を相殺する事に専念する。攻撃の際も最小限の変化で抑え、極力大きく姿を変えるような事は控えつつ、ある程度敵の動きを読めて来たなら、徐々に攻撃へ回す力を増していくのがいいだろうと提案された。

 つい昨日、やっと信頼関係の土台を作れたような、粗削りな僕と黒犬というコンビである。まだどう扱うかもきっちりとは決められていない死神の力はなるべく、死なない為の回避を支える反射神経や、視力といった五感の強化、そして回復ではないが、損傷を殺すというややこしい相殺能力に当てるべきで、攻撃に死神の力を偏らせるのは、攻撃をするその瞬間の威力を支えるだけの、要所要所に留めておくべきだという詳細まで。

 流石は策略家な豊住さんと言うべきか、本来戦闘向きの百鬼ではないに拘らず、今日まで狩られずに生き延びて来た大狐である。彼女の言う通り最初から全力でいかなくても、何とか銀の動きを見切れてきた。



 ……問題は、この相殺能力が、どこまであいつの攻撃に付いて行けるかという話だが。



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