ひっくり返した舞台で踊れ。


 一番合戦が、疾風しっぷうのように砂を蹴る。

 上段から斬りかかって来た一番合戦へ、右腕一本のぎを返した。

 毒々しい程濃い赤を纏った火は尾を引きながら、容易くあいつを押し返すと吹き飛ばす。


「ぐッ……!?」


 足を地面から引き剥がされた一番合戦は空で姿勢を整えると、四つん這いで着地した。巨大な鉄球でも叩き落されたように、一番合戦の周囲の砂は打ち上がり、まだ押し出そうとする衝撃を、食い込ませた手足で引き摺られながらも殺していく。

 深々と手足の軌跡が砂を走ると、やっと止まった一番合戦は立ち上がった。


「――神降かみおろしか……!」


 吐き捨てる一番合戦に、薄い笑みを返す。

 つか今のでぶっ飛ばされて、方が付けられると思ったんだけれど。信じらんないぐらい頑丈ね。

 生身の人間にはどれだけ加減してもバラバラにしてしまうから、人間相手に刃名じんめいは絶対使うなって、お父さんからキツく言われてたんだけれど。その辺の百鬼でも火力オーバーで過剰な攻撃になって、無駄に苦痛を与えてしまうから駄目だって。流石は赤猫と言いますか、馬鹿じゃないのって本当に呆れてるのが正直な所だわ。予想外に長引かせてくれそうで、額を冷や汗が滑り落ちる。

 刃名じんめいを呼べば一振りで方が付くがうたい文句だったのに、これじゃあ再編しないとね。


「ハッ……ご明察」


 今ならいけるか。

 調子を確かめながら、恐る恐る左肩を回す。うん。痛くない。今この、僅かな間だけならば。


 神降かみおろし、または降霊こうれい

 祭事の始めに、神を天から祭場に招き入れる事。あるいは、神の信託を受ける為に、巫女みこがその身に神を乗り移らせる事を言う。こちらに関しては、憑依と表してもいい。要は向こうの世界から人間の世界へ、神に下りて来て貰う為の行為を指す。まあ、神って必ずしも空の上に住んでる訳では無いから、何だか響きが妙になる場合もあるけれど。神刀という物体に宿る神を、鬼討という身に下ろした時とか。

 これが出来るのは基本的に、鞘名と刃名を持つ神刀だけ。九十九神つくもがみから出来ている神刀が、ここまでの力を持つ事は余り無い。一〇〇年かかってやっと生まれる神が、そこから自我を持って喋り出すようになるには、更に気が遠くなるような時間が要される。焔ノ穂先、あるいは、魂喰たまぐらい死炎しえんのように、主に元々神社に奉納されていた刀を神刀として授かり振るって来た、身分の高い鬼討の家でしか見られないものだ。盗んだ上に神主とかその他諸々の関係者を皆殺しにし放火したっていう赤嶺家も、入手方法はまあ相当に乱暴と言うか重罪だが、一応はその例に入る。神刀は神刀でも、格の高い神を宿したものを振るう鬼討達に。そうした神刀により行えるのがこの、神降かみおろし

 神刀とは、そこに宿った神の力を、刀を通して鬼討に授ける。そこから、より格の高い神となると、神の力を与えるに刀という媒体を、そこまで要さなくなる余裕が生まれるのだ。要は住処である刀から直接その力を、鬼討の身体へ渡す事が出来る。尤もその力は強大な反面、人間の身体には余りに負荷が大きく、故にそれを抑える為に『鞘名と刃名』という、二段構えの封が生み出された。……このように、ただえさえ元々負荷が大きい上に、魂を喰うこの悪神あくじんである。その力は絶大を約束するが、兎に角危うい。

 何でも斬ると言ってもいい程の黒い刃と、何でも燃やせると言ってもいい紅蓮の火。これはこいつが元々持ち合わせる力であり、そこから神降かみおろしを加えた場合示される力は、有り体に言って、人を超える膂力りょりょく。馬鹿みたいな力に、馬鹿みたいな反射神経、どれだけ斬られても中々倒れないしぶとさとか、要は、ただの猫だった一番合戦が赤猫になった時のように、怪物染みた力をその身に宿す事。神降かみおろしをやっている間の鬼討は、まず死なない。まあその後はぶっ倒れて、暫く寝込んでしまうのが相場らしいけれど。

 あくまで人間だからね。本当に神か、百鬼にでもならない限り、その身に余る力の代償は、しっかりと返って来るわ。

 人のまま、人には持ち得ないものを手に入れようなんて、全く、虫のいい話に吐き気がする。その強欲に、報いが無くて何が罪か。


 赤猫として、疾風の如く飛び出した一番合戦の動きに反応出来たのも、神降かみおろしをやったから。でなければさっきまでのように、目で追う事すらも出来てない。

 その右手を焼かれた炎の感じから、百鬼の性質を秘めている事もバレてるでしょうね。赤猫であり、炎刀を振るう鬼討でもあるあんたも、火に関しちゃあ相当に詳しい筈だから。

 ただでさえ危険な神降かみおろし。かつ放つ力は、異形がこもる。

 命を払い続ける覚悟が折れない限り、この間だけは、三六〇年の時を重ねた伝説とも、互角に渡り合えるという事は。


 一番合戦は叫ぶ。


「馬鹿かお前は……! そこまでする理由が、一体どこにある!?」


 あたしは嘲笑を返しつつ、魂喰たまぐらい死炎しえんを再び薙いだ。


 刀身から抜けるように背後へ飛んで行った火は、低い防波堤を越え、その向こうに広がる、だだっ広いだけの空き地へぶつかった。その道中も真っ黒に焦がしながら駆けていた火は、闇をつんざくような爆音を上げ四方に飛び散る。

 呪いのような黒煙と、血のような火の粉が風に乗り、引き返すようにあたし達の辺りまで吹き荒れた。


 まだ尾を引く爆音の中、一番合戦は動けなくなっている。信じていたものに、突然嘘だと突き放されたみたいに。


「……ここに人狐ひとぎつねなんていないのよ? 最初から」


 あたしはわらう。


 遠い後ろでは、放置され伸び放題になった雑草に着いた火が、もう轟々ごうごうと燃え始めていた。

 でなければ、あんな見当違いな方へ放たれた火が、今も消えずに猛っている訳が無い。だだっ広いその空き地の向こうには、公園もあれば、グランドもあれば、この町では一番大きな店らしい大型スーパーも見えて、古い民家もずらりと並んでるのに。


「よく燃えるでしょうね? あのボロい家の辺りなんて特に」


 一番合戦は、殺すような目であたしを睨んだ。


「ふざけるなよお前……!」

「真剣だって言ってんでしょ繰り返さないで。あんたも譲れないって言うのなら、気なんか遣ってないで本気で来なさいよ」

「だから、お前達には関係無いと言ってるだろう!? 何度言わせたら分かるんだ!」

「だから、それじゃあ変われないって言ってんでしょう!?」

「余計なお世話だって――言ってんだ!!」


 神降かみおろしをやめさせたいのだろう。弾かれたように一番合戦は走り出すと、叩き割るように砂を蹴る。また巨大な鉄球が落とされたように砂が打ち上がり、もうその勢いは、人間の枠を超えた力だと容易に知らしめた。


 ジャージと鞘が、赤い残像となって闇を走る。

 銀の一閃の後、赤と深紅の火花が散った。


 叩き付けられるように猛火が上がり、すぐに爆ぜる。鍔迫つばぜり合いになった一番合戦の顔が、開けた景色の目の前に迫った。


 剣幕だった。仁王像に睨まれているように。

 ぎらぎらと、怒りに燃えるその目だけで、心臓が握り潰されるような気分になる。


「――余計!? ああそうごめんなさいね! だったら誰が、あんたは間違ってるって教えてやる訳!?」


 怒鳴り返した。

 その突風のような、硬い岩に叩き付けられて、粉々にされてしまうような威圧感に、決して押し負けてなるものかと。

 いや、もうそれは、威厳か。三六〇年の時を重ねた、生きる伝説という赤猫としての。

 まるで吠えるだけでその先にあるものを、吹き飛ばしてしまえた程の。



 今だってビリビリとんでもないプレッシャーを感じてるし、中途半端に構えたらまたぶっ飛ばされるでしょうね!?


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