混在と海


 だから一番合戦は、海に落ちたあたしに近付けない。


 出来れば落としたくなかったが、諸々のダメージが、動きや判断を鈍らせたのだろう。息は軽く乱れ、片手は腹を押さえているし、顔色もまだ悪い。上前腸骨棘じょうぜんちょうこくきょくを狙い撃ちしたように、当然爪先は鳩尾みぞおちを捉えているし。

 緊張状態でないのなら、うずくまりたいのが正直な所だろう。まず何よりも、体勢を整える小休止が欲しかった筈だ。


 そもそも一番合戦は、あたしと相性がいいとは言えない。


 同じ常時帯刀者。同じ炎刀使いの鬼討。でも決定的に異なっているのは、経験の質。

 片や毎日が平和なような地で活動する一番合戦と、平和であろうと組内で毎日争っているようなあたしじゃ、振るって来た剣の質が違う。


 何も、一番合戦が怠けている訳では無い。豊住に聞けば、暇であろうと毎日早朝の鍛錬は欠かさないし、百鬼に関しても日々新たな知識を得ようと勉強に励んでいる。鬼討としては間違い無く一流で、土地の性質と実力は全くの別物だと。そう。鬼討としては。

 確かに今の遣り取りで、サボっていないのは分かってる。普通に強いし、手を抜いたりしたら、その瞬間に敗北する。対百鬼である鬼討の剣術は、確かにあいつは一流だろう。対人剣術も日常的に用いる赤嶺組のあたしより、対百鬼にのみ研ぎ澄まされたその腕は、もしかしたら正真正銘の、一番かもしれない。


 ただ、対人での立ち回り方が分からないのよ。あいつはこの地でたった一人の鬼討で、一緒に鍛錬してくれる人が、ずっといなかったんだから。


 人間を相手に剣を振るう経験が余りに乏しいあいつは、対人も出来るあたしがやり辛い。まして、破落戸ごろつき組と呼ばれるような赤嶺組だからか、確かにその戦い方は、対人対百鬼を問わず、他の組より荒っぽいし。型にはまらないという意味でも、こうも嫌な相手はいないだろう。最初に抜刀しながらも迎撃の構えを取ったのは、あたしの出方を窺いたかったからだと思う。


 そしてこの、海という場所。海水から来るプレッシャーは並ではない。海に浸かった途端死んでしまうとか、そこまでやわな百鬼は多くはいないし、海水にも、百鬼を遠ざけはするが、滅するまでの力は無い。簡単に言えば、虫除けスプレーとかそっちの意味だ。

 人間も、ゴキブリを見て逃げ出したくはなるけれど、見たからと言って死にはしないでしょ? かなり不快な気分にはなるけれど。それと同じで、だから一番合戦からすれば海とは、そういう害虫が大群を成して蠢いているような、それは近付きたくもない、不気味な場所だ。今あいつの精神衛生は、非常によくない。


 そういう精神面からのプレッシャーも考えて、呼び出す場所を海にした。当然浸からせたら弱るというか、精神が荒れる。虫の群れに突っ込まされるなんて。その隙を突くという作戦も立てられるし、海が目の前にあるという事だけで、鬼討にとってはかなり有利に、百鬼にとっては相当不利に追い込める。


 そして既に、焚虎たけとらの火力を相当抑えている状態だ。

 そもそも餓者髑髏がしゃどくろを一太刀で倒せる程の剣で、高が人間一人焼き飛ばすのにここまで手古摺てこずる訳が無い。当たり前だし、それはあたしにも言える事だけれど、殺す気が無いからだ。周囲への被害も恐れている筈。抜刀すれば燃え続けるほむら穂先ほさきに対し焚虎たけとらでは、このセーブは大きく響く。


 打ち込んだ瞬間に真価を発揮する、一点集中型の剣なのだ。その肝心となる一点を抑えてしまっては、真価の半分も振るえない。


 一点集中かつ、一撃必殺の剣だとも、豊住は言っていた。その高火力で捻じ伏せ、反撃の隙を与えず打ち倒す。共に鬼討として動いていた頃、焚虎の二撃目を受けていた百鬼は、一匹もいなかったと。

 最初は、何と容赦の無い女だとぞっとしたそうだが、「何度も斬っちゃあ可哀相だろ」と、剣を収めながら返したあいつに、認識を改めたらしい。

 「斬られながら焼かれるんだぞ。ただでさえ、火傷だけでも痛いのに」と。


 ……なんて哀れなんでしょうね。あんたって。


 あたしはUSAドッグタグを胸にしまうと、両手で首周りから髪を払った。


「それ妖刀でしょ」


 緩めていた胸元を締め直しながら、顎で焚虎を示す。


「打ち合ってて分かった。そもそもあんた自身が火力を抑えてるのもあるけれど、焔ノ穂先の火でも、爆発力が弱められてる。火も水と同じ、魔を払う力があるからね」

「……受け取り方の違いだ。そんなもの」


 一番合戦は言った。


「神と百鬼の境界のように、そんなもの本当は、あるように見えるだけで無い。狐火や人魂ひとだまに見るように、火とは人を惑わせるという側面も持つ。要はその対象に、誰がどんな意味を付けるかだ」

「まあね。水辺もおばけが住む所って、怖がられる場所でもあるし。お盆は海に入っちゃ駄目だとか、池に行けば河童がいて、正負や善悪の本当の姿とは、入り混じっているものと考えるのが正しいわ。割り切れる事なんてそう無いし、本当に善一色の人間なんていないように、悪一色の人もいない。今はどちらに傾いて、どう見えているか。それだけの話よ」

「また説教でもする気か」

「何度だって言うわよバーカ」


 適当に絞った髪を下ろす。

 余り水気を落としてしまうと浜降はまおりの威力が落ちるから、ぼたぼた海水が垂れて、視界を遮らない程度にまでセーブする。



 分かってはいただろうが、海から上がる気配の無いあたしに、一番合戦は明らかに不快な顔をした。手を出せないからと、またそんな口を利きやがってと言いたげに。



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