その勇気に敬意を
「……あの、鬼討様を探していた御仁は、徐々にこの町へと近付いてはいました。然しここは、あの凄まじい力を持つ鬼討様が管理する地です。あの方の存在だけでこの地は既に、強力な結界で守られているようなものでした。この地の安定性も、鬼討様に支えられている部分があるでしょう。故に余程の者ではないと、そうは入り込もうとしないだろうと思っていたのですが……」
「待って。一番合戦さんの仕事が増えないように、君は現れたんだよね? じゃあいつ君は、一番合戦さんが赤猫だと知ったの?」
「鬼討様の刀です。……あの赤猫であるとまで知ったのは、つい先程でしたが。初めてお会いしたのは、もう五年近くも前になるのでしょうか……? 何年も会っている内に気付きましたが、あれは
想定していた事ではあるが、息が止まる。
そうなのだ。一番合戦さんが赤猫であると知った今、一代で完成されたというあの
神と百鬼の境界が曖昧であるように、神刀と妖刀も、完成した姿を見ればその性質は近い。ただこの場合、注意するべきはその過程だ。何を込められ、どう生み出された刀であるか。
なら使い手が百鬼なら、その刀は何を込められる?
一番合戦篝という、鬼討であり赤猫は、その刃に何を乗せる?
元から強力な百鬼に
勿論想定していた事だ。対策も練ってある。
それでも喜ばしくはない真実に、焦りが心を蝕み出した。
「……あの御仁は、鬼討様を見ていないかと、一昨日、儂に訊きました。県境を越えて、こちらの山に入って来た日の事です」
いつの間にか俯いていた僕は、顔を上げて塗壁を見る。
一昨日とは一番合戦さんが、市役所からの地質調査を頼まれる前日だ。
「白いが、今は黒。小さいが、子供じゃない。そんな、奇妙な猫を見てはいないかと。あと、背丈はどれぐらいで、顔付きはどうで、最後に見た時の髪型はどうだったんだが、そんな若い娘は知らないかと。最初の問いはよく分かりませんでしたが、後の問いに鬼討様だと分かった儂は、あの御仁に知らせてしまい……。何か、よくなかったのではないかと、御仁を探そうと町へ下りました。その途中で、あの空き家に引っ越して来る方の為の、地質調査に向かおうとしていたお役人様を見つけ……。今、鬼討様の手を煩わせるような事は起きてはいけないと、 先回りして、あの場所に立ったのです。ああすれば諦めて、お役人様も、越してくるお方も、鬼討様に仕事を回すような事は、しないのではないだろうかと……。焦っていたとは言え、 愚かでした。百鬼が昼間に出歩くのは辛いものでしたから、つい浅慮な行いを……。かつて、鬼討様も詳細は教えてはくれませんでしたが、一昨年頃から、町が荒れていた為に奔走していたようですし、少しでも、楽をして欲しいと思っての事ではあったのですが……」
「……一番合戦さんの家の場所とか、聞いた事はある?」
罪悪感を覚えながら、僕は慰めるように尋ねた。
……そのお兄さんの事情を話したくても、毎度僕に引っ掛かってちゃあ、上手く一番合戦さんに会えなかったんだろう。
死神の使いの鼻さえ狂わせる程の、強力な呪いを受けた
いつも影のように、べったり貼り付いているのだから
そもそも一番合戦
どこまで塗壁が事情を知っているかは分からないけれど、他に人がいる前でお構い無しに話しちゃ駄目だとは分かるだろう。まして、何かしらの依頼があったからの事かもしれないけれど、たった一人現れて、話し相手になってくれている、恩人なんだから。
いや、町を歩き回っていたというのなら、僕や赤嶺さんの存在にも気付いていたのかもしれない。片や一番合戦さんと行動を共にし、まるで鬼討のように動く僕は、一番合戦さんの正体をいつ知られてしまうだろうかと気が気じゃなかっただろうし、赤嶺さんに至っては帯刀している時点で、明らかに鬼討だ。
追い出すという言葉が出ていたのは、少なくともどこかで僕を見かけた時から、その未来を恐れていたのだろう。
「いえ……」
塗壁はもう、泣きそうになっていた。
掴むものは何も無いのに、だらんと垂れていた短い手が、お腹の上で拳を作る。
「わ、儂の所為です。あの時儂が、あの御仁に教えるような事をしなければ、鬼討様が苦しむ事は、無かったのに……」
ぽろぽろと、上から涙が落ちて来た。
「そんな事無いよ」
僕は、塗壁の小さな目を見て言う。
「一番合戦さんは、僕達が助けるから。追い出そうなんて思ってないよ。僕も君みたいに、一番合戦さんに助けて貰ったんだ」
急に、影から顔だけ出した黒犬が吠える。
何故か後ろを向いていた。
僕もそちらに振り向くと、塗壁に続ける。
「だから、巻き込まれないように逃げてて。一番合戦さんの方もバタバタするけれど、あっちにいるのは僕の味方だから、大丈夫」
山中に伸びるアスファルトを伝って、ここまで歩いて来たらしい。
銀という赤猫が、作業着のズボンにポケットを突っ込んで、不機嫌そうに立っていた。
「……まァたてめえかよ」
その眉間には既に、深々と皴が刻まれている。
多分塗壁は、もういなくなっているだろう。
二度目に僕の前に現れた時も、あのお兄さんが近付いて来たら、 すぐに見えなくなっていた。
まあ強そうな上に、あんな怖そうな顔をした百鬼と遭ってしまったら、誰だって逃げ出したくもなる。鬼討だって、赤猫に睨まれるなんておっかない。
それでも僕は、いなくなっただろう彼に告げた。
「もう一番合戦さんを、絶対死なせたりなんかしないから」
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