君の為に彼は立つ


 予想していなかった人物の登場に、僕は目を丸くした。


「君……」

「あ、あの方を、追い出すんですかい……?」


  話している暇はあるだろうか。

 また携帯で時間を確かめようかとは思ったが、その時間も惜しくてやっぱりやめる。


「……昨日も言ってたけれど、あの方って一体」

「あの赤いさやの、鬼討様を……」


 赤い鞘?

 僕の言葉に食い入るように、塗壁ぬりかべは言った。


「おい。そろそろ時間だ。今は適当に追い払え」

「そんな事言わないの」


 足元の影から厄介そうに言う黒犬を宥めると、視線を塗壁に戻す。


「その赤い鞘の鬼討って、一番合戦さんの事?」


 穏やかに尋ねるが、塗壁はおどおどと返した。


「な、名前は、知らねえんです。もうずっと前に、聞きそびれてしまって……。この町の鬼討も、あの方だけですから……」


 やっぱり一番合戦さんか。


「追い出すって、何で僕が……。あぁ、赤猫だから?」

「あの方は優しい人です」


 何となく発した言葉に、塗壁は毅然と言った。

 いや、怒りを露わにした。

 何か彼にとって、簡単に扱ってはいけない部分に触れてしまったらしい。その豹変に、僕は思わず息を飲む。


「確かにあの方は人じゃねえ。でも、そんな事は関係が無え。百鬼だから儂らに優しいんじゃねえんだ。あれは元々だ。山ん中で廃れて忘れられた、神社の壁だった儂を気の毒だって見つけてくれたのはあの方だ。ずっとここにいたのに、皆忘れちまったってめそめそやってた所に、呼んでもねえのに現れたのはあの人だ。気が済むまでずっと話を聞いてくれたのも、あの人だけだ。自由にこうして、どこかで立ってる事を許してくれるのも。たまに怒られちまう時もあるが、それでもだ。……あの人がなにだからって、追い出すような事はしねえで下せえ……!」


 怒りがいつの間にか、懇願になっていた。


 その言葉に、何かが繋がった気がする。

 ……例えば、こんな仮定はどうだろうか?


 幾ら鬼討に任せるとは言え、お役所仕事。何も出来なくても取り敢えず、危険では無い限り、まずは役員さんが調査へ向かう。

 最初にその役員さんを遮るように、あの空き家の前に彼が現れたのは、赤嶺さんをこの町に、来させないようにする為で。

 次に、僕の前には現れたのに、一番合戦さんが来たら消えたのは、彼女にその目的を問われた際、彼女が赤猫である事を、僕に知られるのを防ぐ為。


 昨日また僕の前に現れたのも、一番合戦さんに遮られた訴えを、改めて伝えようとしていたのだろうか。あの時は多分、銀ってお兄さんが来たのを恐れてしまって。あの人あの時は見るからに、危なそうな雰囲気だったし。

 そして今もこうして現れ、同じ言葉を繰り返しているという事は、そういう事なのではないだろうか。


 僕と赤嶺さんが、一番合戦さんの正体に近付くような事を、防ぐ為の行為だったと。


「……鬼討様と縁のある方とは知りませんでしたが、あの百鬼の御仁ごじんが、この町に近付いているのは知っていました」


 塗壁は、険しい顔で切り出した。


「塗壁とは……道を阻んで困らせるのが、主な特徴だと語られてはおりますが、余り長居をすると、塞いだ道のその先を、周囲の生き物達の意識から消してしまう百鬼だと、あの鬼討様から聞きました。 故に、退治するまでの対応は取らないが、余り人通りの多い場所では、長居をしていはいけないとも。役所から依頼が回って来て、 儂を叱らなければならなくなるからと、 あの方は苦笑しておりました。……儂が元々住んでいたのは、この県境となっている山々の一つです。儂は今や、この地の人々に忘れ去られた寂しさから怪物となった塗壁です。もうとっくに朽ち果てようと、儂の家はあの神社で、他に行く場所もありはしません。だから……。月に一度の調子で、会いに来てくれる鬼討様との話を楽しみにしていれば、それで十分に幸せでした。神社と儂を覚えてくれている方が、一人でもいるなんて。だから、人間様方にも迷惑をかけないよう、山を下りず、静かに暮らしてはいたのですが……」

「……結界になってしまってたんだ? この山に面する県から侵入する、百鬼の察知を遅らせる結界に」

「……はい」


 塗壁は、申し訳無さそうに零す。

 彼が暮らす山から先の認識を、この町の人々から薄めてしまったのだろう。


 寺院も信仰心の薄れや、後継ぎがいなくなって放置され、そのまま朽ちてしまう事は珍しくない。

 その寂しさから生まれた塗壁だ。その辺の建物から生まれた塗壁より、神社から生まれている彼は、秘める力が強いだろう。それが道で無い山中であろうと、彼が背を向けている先に広がる全てを、周囲の認識から遮る程の影響力を持っていても不思議じゃない。

 神社とは、神様が祀られる場所だ。もしかしたら、薄れてしまった信仰心により弱体化した神が、彼という塗壁の姿になって現れているのかもしれない。周囲に忘れられていく内に、自分が誰かも忘れてしまった。


 名前なんて、他者がいないと意味が無い。自分と区別する為の誰かとか、自分を呼んでくれる誰かとか。

 もし世界から、自分以外の全てが消えてしまったら、私とは私だで片付いてしまって、自分にこだわる意味も、無くなってしまうのと同じように。いない扱いされたら、自分の扱いも乱暴になってしまう。


 塗壁という百鬼が、塞いだ先への意識を周囲から奪うのは、その先には大したものは無く、自分が立っているこの場所までこそが、重要と捉えるべき世界なのだと、周囲の認識を操作する為だ。何故操作したいのかと問われれば、それは死神がブラックドッグを放ち、己の存在を発信するのと同じ事で、そうある百鬼として生まれた以上、それらしく在らなければ、消えてしまうから。

 ブラックドッグを従える死神や、成り上がりをして全国で暴れ回っていた豊住さんならまだしも、 塗壁のような力の弱い百鬼には、こうした些細な行動でしか、自分の存在を発信出来ない。

 何が出来る訳でも無いけれど、人魂ひとだまがふよふよと、闇を飛んでいるように。

 火取魔ひとりまが、ちょっとだけ火を頂戴しながら、ふらふら夜道を歩いているように。


 口が利ける百鬼なんて、もうそれだけでアピール力という面では相当有利で、喋れもしない百鬼からすれば、その身で表す他に術は無い。消えてしまうのが嫌なのもあるけれど、忘れられてしまうのが、何よりも寂しいから。


 塗壁が自分の背後の認識を弱めるのも、ここが世界の端なのだと錯覚させて、自分を見て貰う為である。わざわざ誰かが通ろうとしている道の上に立ち、とおせんぼをしてくるのも、自分を見て貰いたいからだ。自分は確かに、ここにいると。


 百鬼とは、肉体が朽ちない代わりに、寂しさで死んでしまう。


 山に下りず、殆ど人前に姿を現さずともその存在を保てていたのは、神様であった頃の格の名残だろうか。あるいは伝説の百鬼として、鬼討達の脳裏に強く焼き付く程の存在感を放つ大妖怪、赤猫でもある一番合戦さんに、しっかり認識されていたからだろう。

 存在する理由をたがったり、誰にも覚えて貰えなければ百鬼とは消えてしまうが、どれ程弱体化しようとも、誰か一人にでも認識されていれば存在出来る。

 数も重要だが、質も大事だ。たった一人であろうと強く認識されていれば、何となく覚えているだけの一〇人二〇人より、それは強い力となる。一番合戦さんは月に一度ぐらいは会いに行っていたみたいだし、これは強力な縁の筈だ。百鬼は、どれ程認識されているかでも力も付ける。


 それがどうやら今回は、仇となってしまったらしい。

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