生きる事からは逃げられない
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赤嶺さんと顔合わせをしたからと言って、豊住さんの回復が早まる訳では無く、結局やる事は当初の予定通りだ。
豊住さんは町の防火壁。僕と赤嶺さんは手分けして、引き離した一番合戦さんと、銀ってお兄さんと対峙し、二人の衝突を回避させる。
先に一番合戦さんを説得出来れば、三対一でお兄さんと向かう事になるので、早期決着を狙える。勿論先にお兄さんを説得してもいいし、二人をそれぞれで落ち着かせる事が出来れば、それが一番の理想だろう。
二三時二〇分。僕は今、県境になっている山中に立っている。
何か建設しようとしているのか、中腹を切り開かれた空き地でかなり広い。学校のグランドを一回り大きくしたぐらいか。
三方は削られた土で出来た
均された地面は、固く茶色い土を晒していた。
ここには一度、冬に来ている。豊住さんが殺し回っていた動物達を供養する際に、あの竹林で倒れていた猫の死骸を、一番合戦さんと一緒に供養したから。中に入れば簡単だけれど、彼らの墓がある。
この辺りは、冬になると雪が積もる事があるから、また来てやらないとと一番合戦さんは言っていた。
……どんな思いで、その言葉は発せられていたのだろう。
豊住さんの正体には、きっと気付いていた筈だ。共通点の多い百鬼という相手に、自分は一流の鬼討でもある、常時帯刀者なんだから。
僕は豊住さんについての詳しい出自は知らないけれど、この地を担当する一番合戦さんなら、豊住さんについても何か知っているかもしれない。
あの時、もし僕が引き返さなかったら、二人はどうなっていたんだろう。
火は封じられても剣術が劣化する訳では無いし、実際豊住さんは攻撃を受けていたから、もしかしたら一番合戦さんが、勝っていたのかもしれない。
僕を逃がさなければならない、時間稼ぎを主にした戦いと、単純に相手を捻じ伏せる為の戦いとは大きく異なる。だから僕が、もう十分に距離を稼いだだろうと判断出来る時間を凌げば遠慮無く戦えるから、もしかすると。
豊住さんだって、何にでも化けて、影から影へ好き勝手移動出来ると赤嶺さんが言っていたし、僕が見ていたあの時だけでは、その全力を推し量る事は出来ないけれど。
いつかああして、衝突してしまう時が来るのを、二人は分かって触れなかったのだろうか。
和解しようとは、どっちも本当に思わなかったのかな。
もしかしたら思っていた所に、僕と黒犬がやって来たから、この今があるのかもしれない。
こんな、あの時もしかしたらとか、もし違う未来があったならとか、時間の無駄と言っていいぐらい仕方の無い事を、公園で豊住さんと話した時から、ずっと考えている。
今までの時間の中で、僕が一番合戦さんにしてあげられた事は、本当に無かったのだろうかと。
「つまらない事だ」。きっと一番合戦さんは言うだろう。
全ては三六〇年前、あのやくざ者達の放火に始まり、終わっていると。
お前が気に病んだ所で、過去とは変えられないのだ。 誰の手であろうとも。
事実と過去とは、機械的な表現を好むか、感傷的な言葉を用いるかの違いに過ぎず、同一であり揺るがない。誰もが重んじようとするものが事実なら、誰に願われずともそこにい続けるものが過去だ。
自分にとって都合がいい過ぎた日々を、事実や思い出と呼び、悪いものや遠ざけたいものを過去と呼ぶ。
ただそれだけの違いで、事実を捻じ曲げようなどというつまらない思考はするな。お前のそれは決して思いやりでは無いし、仕方の無い事だよ。そんな事はしなくていいんだ。……そういう事は、私が一番分かってる。
きっと彼女は、そう言うだろう。
過去と言うなら、僕は去年を思い出す。君が
どうして強い人に限って、義理とか責任とか、皆が敬遠したがる事を重んじるんだろう。まるで誰かが逃げた分を、埋め合わせするみたいに。
そんな事を、君の背を追いながら思った事を。
きっと凡人とか天才なんて、人生には全く関係無いんだ。才能のある無しも。
あったらあったで、こうして人並み以上の責任や期待を背負い、時には周囲の怠けを、叱るのが本来である筈の多大な責務を、気付いたら背負ってしまっていたり、背負わされている事になる。自分になら出来るから、放っておく訳にはいかないと。あるいは、周囲の期待に応えなければならないとか、自分がそれを放棄した時に生じる問題などを考えると、とてもそのような事は出来ないと。
それは第三者から見れば、とても窮屈そうで理不尽なんだ。
あの人なら出来るから。あの人に任せておけば安心だから。そう自分では事に当たろうとしないで、放り投げたり投げ出す人はごまんといるのに、ただ人よりも、有能というだけで。ある能力は優れているというだけで、それ以外は同じなのに。
高い地位、名誉、財産。それらにばかり目を付けられて、凄い凄いと馬鹿みたいに賞賛される。まるで自分達とお前とは違うのだと、褒める振りをして弾き出そうとするように。
だって裕福でいいじゃないか。だっていつも一番で、悩みも無さそうでいいじゃないか。きっと昔はとても苦労したんだろうけれど、今はそんな事も無いのだろう? だって君はもう誰から見ても、本物の一流なんだから。
そんな、自分より苦労所か、努力もしていない人達の、寒い嫉妬によって持ち上げられ。
自分には、それしか無かったら走って来ただけなんだ。そう言った所で大凡は、「またまたぁ」と信じてくれない。
才能が無いなら無いで、そうして卑しい心の持ち主になっていくのだろうか。どうせそれぞれの生きる場所で、誰しも苦難に直面し、足掻いて生きているだけなのに。
同じなんだよな、きっと。生きている場所が違うだけで。
天才と呼ばれる人々であればある程、その困難の巨大さは冗談じゃなくて、自分は平凡でよかったと、偉人の人生を聞いていると度々思う。
いやそもそも、才能なんてもののある無し以前に、人生とは困難を避けられないものなのだ。そんな下らない事に執着している暇があるのなら、自分なりに生き抜く方法を考えるのが現実的だろう。妬む暇があるのなら、それこそ何かに打ち込む時間に当てるべきなんだ。
昨日の一番合戦さんの言葉の意味が、彼女の人生を知って、漸く分かった。
そんなに大人びているのもよく分かったよ。達観してしまって当然の、凄まじい道のりだったんだから。
「……お」
空き地の真ん中辺りに立っていた僕は、思わず声を上げた。
退屈になって伸びをした時目を瞑ったので、その隙に現れたのだろう。
目を開けた僕の前には、あの
少し離れた先にいて、不安そうにもじもじと、広いお腹の上で短い手を動かしている。
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