例え歪であろうとも


「高校に入学してから、ずっと一番合戦さんと一緒だって去年言ってた。じゃあどこかで、気付いてたんじゃないの? 一番合戦さんが人じゃないって。主を不要とするまで力を蓄える程の長きを生きた君が、本当にさっきまで気付いてなかったなんて事がある? ずっと一緒にいて、隙を突こうと窺ってたんでしょ?」


 豊住さんは答えない。


 そうだとしても、構わない。


「――いや、君は、知ってた筈だ」


 僕は豊住さんから、目を離さないで続ける。


 妹さんに攻撃される心配は無い。だって赤嶺さんが僕を見守りながら、彼女を牽制し続けてくれているから。


「だから殺せなかったんじゃないの。僕がやって来るまで。明暦の大火に関わっていた事を知っていたかはかかわらず、同じ百鬼を殺すのは忍びないって。一番合戦さんだって殆ど漂っていたとしても、三六〇年も時を重ねた大妖怪だ。あの時まで君の正体に、本当に気付いてなかったと考えるのは難しい。だってあの人は最年少でその名誉を得た、常時帯刀者の鬼討でもあるんだから。一流の知識と技術を力強く支える、自身が百鬼であるという経験もある。そんな相手を本当に、一年間も騙し通せる事ってあるのかな。君が騙す狐なら、一番合戦さんは被る猫なのに。人間に化けるって特徴も同じだし、人間の振りをするのもぞっとするぐらい上手な君達だ。……似た者同士本当は、分かってお互いの正体に触れようとしなかったんじゃないの? 曲がりなりにも一年間、一緒に上手くいられてたんだから。お互い抱えるものはあるし、きっと違うんだろうけれど、それでも友達だったんだから」

「……百鬼と人とは友達にはなれないし、私とあの人も友達なんかじゃないよ」


 全く相変わらず、とんでもない圧を持った言葉を放つ。


「でも僕にはそう見えた」


 何か一つでも間違えれば、まばたきと共に人生が終えそうだ。


「当事者である君達なら――いや、君ならそう言うさ。冗談じゃないって。そんな簡単で、拗れてなくて、安っぽい言葉を当てられるなんて冗談じゃないって。一番合戦さんに尋ねても、君に気を遣ってそんな風に言うかもしれない。確かにそんな勝手な事、口が裂けても言えないなって。……でも一番合戦さん、君を大事に思ってたよ」

「根拠の無い話だね」

「確かに一番合戦さんが、直接そういう事を口にした事は無いけどね。でも見れば分かるよ。分かりやすい人なんだから」

「私が死んだ事になって退場してから、あの人がそんな素振りを見せていた事なんて一度も無いわ」

「君がこの町を監視するようになったのは、僕に負けてから一ヶ月後・・・・だ」

「……何が言いたいの?」


 無に固まっていた豊住さんの表情が、初めて怪訝そうに色付いた。


「君がいなくなった次の日から二週間・・・、一番合戦さんはずっと落ち込んでたよ。決して本当の事は、何も言わなかったけれど。いつか君について、僕に話したい事もあるって言ってた。君がいなくなってもう次の日の朝には、君にだって随分無理をって言いかけてた」


 豊住さんは、また無表情になった。


 動揺は何らしていないように見えるけれど、でもそれまでの、重苦しくのしかかって来るような瞋恚しんいを放っていた時とは違って見える。

 何かを堪えているような、覚られまいと虚勢を張っているような。

 怒りとは異なる感情を気取られまいと、必死に強張った表情を貼り付けているように。

 不愉快で堪らないのだろう。こんな子供に見抜かれたのが。


 ――そんなぼーっとしてちゃあ、一番合戦さんが泣いちゃうよ。「折角頑張って気を遣ったのにこのすかたんは全く……」って。


 ――その負い目は、あなたが抱えてるような矮小わいしょうなものの比じゃないよ。


 さっき公園で僕を叱った時から、誰が見ても分かっていた。君が僕に怒っている本当の理由は、一番合戦さんの為だって。どうしてあんなにも思われているのに、お前はそんなにも視野が狭く、自分の事しか見えないのかと。

 きっと違うだろう。全くに。でもそれは第三者から見れば、確かに友達だったさ。一番合戦さんは君の事、一度も『人狐』って呼ばなかったんだから。

 久々に屋上で君の名前を出した時も、ちゃんと『豊住』って呼んでたでしょ?

 君が今もそうやって、一番合戦さんを思いやっているように。


「……本当は一番合戦さんと話したい事、いっぱいあるんでしょ?」


 僕はいつの間にか、懇願になっていた。

 だって、こんなに寂しい事は無い。


「話したい事があるなら、出ておいでよ。今ならもう、騙し合ったり嘘つかなくていいんだから。意地張ったり、後回しにしてたら、取り返しのつかない事になるかもしれないんだよ。僕と先輩みたいに。きっと間に合う時は、今なんだ」

「……お姉様耳を貸してはなりません」

「今更誓いを破る事はしないわ。赤嶺を嘗めないで。この件の事は、何があっても誰にも言わない」


 焦りを滲ませ低い声で言う妹さんに、赤嶺さんが即答した。

 赤嶺さんはそのまま、豊住さんを見るように視線を動かす。


「……豊住って、あんたがあの、炎刀殺しの大狐ね? 手伝って貰えるなら、これ程心強い事は無いわ。赤嶺組うちとはそういう組だし、あたし個人としても一度言った事は曲げない主義だけれど、信じられないって言うのなら、ここで改めて約束する」


 赤嶺さんは剣を収め、ベンチから立ち上がった。


「防火壁、だっけ? 手伝って。あいつを止めたいの。その為ならあたし個人の名声なんて、笑って捨てるわ。あんたを倒して手に入れるものより、大事なものがこの夜にあるもの」


 神刀は立ち上がる際、ベンチに立てかけていた。


 赤嶺さんは豊住さんに振り向きながらそう言うと、スカートのポケットに手を入れ、何かを引っ張り出してみせる。

 黒犬を下げるように前に出て、豊住さんと向かい合うと、ちゃりんと金属的な音が鳴った。

 現れたのは、一枚は縁を黒いゴムで覆われたドッグタグ。


「これ、赤嶺組うちの許可証。刻印は、名字と名前と血液型と、所属してる組の名前での四行が基本だけれど、あたしのは常時帯刀許可証も兼ねてて、五行仕様だから」


 赤嶺さんは言いながら、ゴムが付いていない方のプレートを、チェーンから外した。


「あげるわ」


 それを、豊住さんに差し出す。


「もしこの先、理不尽な理由で鬼討に追われたら、これをそいつに見せなさい。あんたを攻撃するって事は赤嶺組、それも、長である赤嶺家の娘、かの天才常時帯刀者、赤嶺苧環おだまきを敵に回すと同義になるってね。あんたが自分でやらかした事の始末には、流石に手伝えないけれど。でもこの先悪さしないなら、あんたの安全は保証されるわ。百鬼からすれば、ほんのまたたきみたいな時間かもしれないけれど、でも赤嶺組が続く限り。……中々他に無い、いい取り引きなんじゃない?」


 豊住さんは喋らない。


 僕に切り出された時のような、強張った様子は既に無く、余裕……と言うべきなのだろうか。得体の知れない落ち着きを纏い、赤嶺さんを、彼女がドッグタグを差し出してからは、それをじっと見つめている。

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