剣豪・下僕・姉妹・罪人


「本当に?」


 赤嶺さんは身を乗り出す。


「それなら大分楽になるわ。幾ら赤猫が相手だからって、周囲への被害を無視して戦う事なんて出来ないもの。どんな方法なの?」

「…………」


 ぽりぽりとココアシガレットを咀嚼しながら、冷ややかにこちらを見据えてくる妹さんの目が刺さる。


 赤嶺さんは、最初に彼女を見た時怪訝な顔をしたが、僕がこれまでの経緯けいいを話し出したので優先すべき事では無いと、まだ彼女には触れていない。


 暑さからとは異なる汗が、僕の頬から顎を伝った。


 分かっていただろうこうなる事は。ここを上手くやらないと、一番合戦さんを助ける所か、近付く事すら出来ないと。


 俯いて、膝に乗せて組んだ手を見ながら続ける。


「……その前に、約束して欲しい事があるんだ」

「何? 大丈夫よ? 途中でビビッて、逃げたりなんかしないわ」

「この一連の事件の内容を、誰にも口外しないで欲しいんだ。例えば僕や、一番合戦さんの正体について」

「分かった。誰にも言わない」

「本当?」


 僕は顔を上げると、赤嶺さんを見た。


「本当よ。約束する。もしたがったならその瞬間腹を腹を斬るから、証拠に私の位牌を、九鬼君の家に届けるわ」


 赤嶺さんは言い終わらない内に、立てかけていた神刀を掴んでみせる。

 当然それはパフォーマンスじゃなくて本気だと、仮にその動作が無かったとしても、目を見れば誰にだって分かっていて。


 ……本当に似てるな。一番合戦さんと。

 去年の一番合戦さんを思い出して、何だか懐かしいような、微笑ましいような気分になった。

 でも、そういうのに浸るのは後でいい。


「……ありがとう。この見返りは、僕に出来る事なら何でもするから」


 焦れったそうに、赤嶺さんは眉を曲げた。


「……そんなに危険な方法なの? ――! もしかして、被害を最小限に抑える為に、何か止むを得ない犠牲が出てしまうとか……!」


 僕は慌てて手を振る。


「ああいや、それは大丈夫」

「……?」


 黙って聞いていた妹さんが、訝しんで口を開いた時だった。


「……あの、九鬼様」

「一番合戦さんが殺したって言ってた炎刀殺しの大狐が、防火壁になって手伝ってくれるって言ってるから」


 妹さんが動き、それに反応した赤嶺さんも、ほぼ同時と言っていいタイミングで動く。


 妹さんは赤嶺さんに向いていた僕を、後ろから攻撃するように飛び出した。


 赤嶺さんは抜刀しながら僕へ身を乗り出すと、剣を抜いた右手を、地面を向いていた手の平を空へ向けるよう翻し、脇から迫るように妹さんへ振り上げる。


 妹さんが僕の首を掴もうと伸ばした左手が止まるのと、赤嶺さんの剣が彼女の喉の前で、切っ先を止めたのは同時だった。


 赤嶺さんに距離を詰めるよう身を乗り出していた僕は、赤嶺さんの背中越しに立つ影を真っ直ぐ見据える。

 赤嶺さんが妹さんに攻撃しようとしたのと同じタイミングで現れ、赤嶺さんを襲おうとした豊住さんを牽制するように。


 ベンチと豊住さんの間には、僕の影から飛び出した黒犬が、牙を剥き出しにして唸っていた。


 三秒ぐらい、全員動かなかったのだろうか。


 最初に口を開いたのは、豊住さんだった。


「……どういうつもりなのかな。九鬼くん」

「離れろチビ」


 赤嶺さんが妹さんに凄む。


「そちらこそ。炎刀の分際で、我々に穂先を向けようなど烏滸おこがましい」


 背中越しに、妹さんの冷ややかな声が飛んだ。


「落ち着けよ赤嶺の嬢ちゃん。誰も本気でやり合おうなんざ思ってねえ」

「昼前の炎天下に無理に現れておいて、去年のように振る舞えるなんて思わないでよ。死の使い」


 宥めようとする黒犬に、豊住さんが珍しく声を尖らせる。


「駄菓子屋の屋根の下だからまあセーフさ」

「今はね。私が太陽の下に出れば、大した芸は出来なくなる」

「意地を張り合ってちゃ駄目だと思ったんだ」


 話を戻すように、僕は豊住さんに言った。


「本気で一番合戦さん達を止めようと思うなら、ちゃんと連携を取らないと敵わない。君にも赤嶺さんとしっかり意思疎通をして、協力して欲しいと思ったんだ」


 赤嶺さんは、現れた時から気配は感じていたのだろう。妹さんに向けていた視線を一瞬だけ、豊住さんを見るように脇へ逸らす。


 豊住さんは、ゆったりと腕を組んだ。軽く頭を横に傾け、僕を見下ろす。


「……それで、今の行動に出たって言うのかな」


 それは低い声だった。


 豊住志織としても、人狐としても、彼女からは一度も聞いた事が無いくらい。


 先程公園で、ついうっかりと声を荒げられた時の方がまだ可愛かった。爆発するその間際まで、確かに体裁を整えていたから。あの挑発的で、余裕に満ちたあの態度を。

 でも、今は違う。


 薄皮一枚まで剥かれた怒りが、静かに彼女の腹で煮えている。

 ほんの少し扱いを誤れば、爆発の瞬間を拝む暇も無く、 命を狩り取られそうな。


 彼女は狐で、僕は犬だ。相性がいいのは分かっているし、一度完璧に勝利した事も覚えている。


 でもそれでも、どっしりと彼女の声は響いてくる。


 鉛の塊を飲まされたみたいに、そんな事は下らない過去だとでも言うように、胸の奥にしっかりと。


 周りの景色を、忘れる程の緊張だった。


「……君は本当は、知ってたんじゃないの? 一番合戦さんが赤猫だって」


 でも僕には、上手く躱せるような知恵は無い。


 豊住さんみたいに駆け引き上手でも無いし、一番合戦さんみたいに一つを貫く為に全てを懸けられないし、赤嶺さんみたいに、迷い無い決断力も無い。いつも迷って、ぐずぐずして、結局やぶれかぶれで、目の前の事に追われるだけだ。ただその時に、一番大事にしたい一つだけを抱えて。



 強いて言うなら芸の無い事が、僕が君達にも誇れる、ただ一つだ。


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