長い長い、一人語り。―― ⑥





 使用人の男衆が飛び出しました。お隣が燃えていると、喧騒がこちらにも聞こえてきます。

 男衆は大慌てで引き返し、こちらに事情を話してくれると、火消しが来るまで我々で何とかしますので、井戸の水を使わせて下さいと走って行きました。

 周りの屋敷も気付いたようで、すぐに人が集まって来ました。火消しも駆け付けて来て下さり、皆で水を汲んでは……。幸いにも、火が燃え移る事は、ありませんでした。あの方々と屋敷だけが、すっかり焼け落ちてしまうだけで。

 明け方……中を調べていた火消しが、猫がいると言いました。真っ黒になった、小さな猫の死骸があると。納屋の裏です。火はそこから起きたようで、辺りは最も黒くなっていました。


 赤猫あかねこだ。赤猫あかねこが出る。その火消しが言うと、また別の火消しが、恐ろしげに呟きます。


 誰かが猫に、火を点けて投げ入れた。火はここから始まっている。ああ恐ろしい。なんという事を……。この猫はこの恨み辛み晴らそうと、死んで、火の猫となりやって来る。みなに伝えろ。赤猫だ。赤猫が来る。己を殺した誰かを殺すまで……この憎しみが消えるまで、この町の全てを焼き尽くさんと。ああ、お上に伝えなければ……。早く退治せねば、火の海になってしまうと。……それは、火消しの間で伝わる、妖怪だそうです。


 この火事は放火だ。やくざ者はこうして、火を点けた猫を投げ入れて家を燃やす。その家の不始末に見せかけて。然しこの家の者は、一体何者であったのか……? ――兎に角、お上にお伝えしなければ。みなも用心しろ。猫には決して近付くな。蹴飛ばしたりもせず、見たら逃げろ。赤猫が来る。赤猫が来る。奴らは燃やす。あまねく全てを。出来る者は、荷物をまとめて町を出ろ。奴がここから、いなくなるまで。


 私達屋敷の者は、心当たりがありました。鬼討という、あの武士殿です。あの方は何度も、お上に是正を訴えていた……。もしや、それを厄介に思ったお上が、やくざ者を雇って火を放ったのではないかと。何の罪も無い、猫を用いて……。でなければ他に、あの方々が、こんな目に遭う理由がありましょうか。

 直に、残骸と化した屋敷とあの方々は、お役人様が片付けて行きました。それは手早く……。私達が妙な考えを持っていたから、そう見えたのでしょうか。まるで、何かを隠すように。以来この土地は、お上の管理になったようで、商人も手が着けられなくなっております。

 私は、夢かと思いました。悪い夢だと……。固まってしまって、動けませんでした。あの夜、何も無いだろうと、猫の叫び声を軽んじてしまった己の罪に。ああ、私は、一体どれ程の事を……。

 あの方々の親族について、何か知ってはおられませんか? 私は、どうしても謝りたく……。




 私は、空になった地へ踏み出していた。


 確かに立ち入りを禁ずると書かれた立て札が、まだ真新しい様子で突っ立っていた気がする。でもそんな事はどうでもよくて、何も無くなってしまった屋敷へ、確かに歩き出していたんだ。

 ここに門があった。こっちの庭の池には何が泳いでいた。井戸はどれぐらいで、 隣に長い廊下があって、 すっからかんな部屋ばかりだったけれど、よく掃除されているのが分かって。

 ……あの塀を飛び越えて、初めて入り込んだんだ。一番大きな、寺みたいに広い庭があるあの場所に。それを臨める縁側で寝ていたあの男に見つかって、襟首を摘まれて。


 ――なあ見ろ! 初めてのお客さんだ!


 今更何を言っていたか分かるようになって、私は化け物になり果てたのだと、赤猫という怪物になったのだと、思い知って膝を折る。いや、もう、それ所なんかじゃなかった。


 私の所為だ。


 何も出来ないくせに気を利かせて、余計な事をしようとするからだ。そんな事の所為で、私はあの人達を殺したのだ。


 人なんて勝手だと、あれだけ思っておきながら。


 空っぽになった真ん中で、私はめそめそと泣いていた。

 当時はそれを涙と言うなんて、よく知りもしなかったけれど。猫は鳴いても、泣きはしない。

 どれぐらい経ってからだろう。もう白んでいた空はしっかりと朝を迎えて、ほったらかしになっていたおじいさんの元へ引き返した。




 ……明日の日暮れまでに荷物を纏めて、この町を出て下さい。ご友人の方にも、そうお伝え願えますか。




 急にそんな事を言い出す私に、悲しみに暮れていたおじいさんは、ぽかんとした。




 何故、そんな事を……。


 お願いします。私の家族にも、これから逃げるように話をしに行きます。ああ、信じて貰えるか分からないけれど、お客さんにも言わないと……。


 待って下さい。何故そんな事を言うのですか? どこに行くのですか? あなたは一体、あの方々と……。




 きっとおじいさんは、分かっていたと思う。でもこんな突飛な話、一体誰が信じよう。


 火の猫。赤猫。そんな語られ方をしたら誰だって、猫の形をしてるって思うだろう? でも生憎我々には、定まった形は無い。死に際に人に焦がれたなら、人の姿を得ていても、不思議なんかじゃないだろう? だってその望みは、果たせなかったんだから。


 一度引き止められたその足は、もう二度と止まらない。もう二度と、燃やされてなどなるものか。


 私はおじいさんに答える。その悲しみと怒りを、精一杯の笑みで誤魔化して。




 ――あだを討って、けじめをつけに。


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