過ぎ行く誓い


 言葉を返さず突っ立っていると、慌ててこちらに近付いて来る。




 おい聞いたか……!? あちこちで、妙な死体が見つかってるってよ! お前もこんな時にうろうろしてねえで、うちで大人しくしてねえと駄目じゃ……。


 ぎんだな。お前。あの鯖虎さばとら模様の、図体のでかい猫。




 銀はびっくりして黙り込んだ。そして、暫くそのまま固まると漸く口を開く。




 ……思い出したのか? 自分の事……。


 面倒なお前の事もな。いつも見つけたら絡んできて……。ねずみ捕ったから食うかとか、どこの家は食い物をくれるとか、煩くて仕方無かったよ。……まあ、死ぬ事になる日から数えて、ほんの少しの事しか思い出せないが。いつからこの町にいるのかとか、どんな風に生きて来たのかとか。家族や友人はいたのかとか。そんな事は全部、何も思い出せないよ。


 ……そうか……。お前、この先どうすんだ?


 まあ、もう人の振りはうんざりだよな。先の事は考えていないけれど……。


 ――逃げねえか。一緒に。




 遮るように、銀は言った。

 またいつもの軽口だろうか。そう思ってあしらおうとした自分を、ってやりたいぐらい真剣に。




 俺ぁ親が赤猫あかねこだった。だから人間は嫌いだし、この姿に大して疑問も無かった。ただこっちの方が生きやすいから、人の振りをしてるだけだ。ツケなんか元の姿に戻れば、払わなくたって追い回されずに済むからな。賭けで負けたって同じだ。どうせ百鬼なら、楽な方に生きてやるってよ。どうせ幾ら殺した所で、いなくなりゃあしねえんだ……。下手に暴れたって鬼討に追い回されて、死んじまうだけなんだよ。でもお前はもう、一遍死んじまってんだろ? じゃあもういいじゃねえか、こんな所。なあ。こんな気味の悪い人間共のごたごたに巻き込まれて、また損な目に遭っちまう前によ、どっか行っちまおうぜ。ちゃんとやるさ。もうふらふらしねえ。何でもいいから働いて、真面目に生きるさ。俺が、守ってやるかよ。だから、もうそんな目に遭うような事ぁ……。


 ――後で取りに来るから、これでも持って先に行ってろ。




 かんざしを抜くと、もごもご言っていた銀に渡す。解けた髪は、すとんと背中の真ん中辺りまで落っこちた。




 道楽者のお前と違って、私は挨拶周りがあるんだ。黙って行ってしまうのは胸が痛む。



 それは、おばさんに貰ったものだった。今は似合わなくなったから使ってないけれど、あんたぐらいの娘さんならぴったりさと。

 銀はまた動かなくなると、漸く言葉の意味が分かったのか、固くなっていた表情をぱあっと崩した。




 ……お、おお、そうだな! 親父さん達にも、一言言わにゃあ流石にな……!


 明日の昼に出るから、お前も家があるなら、荷物を纏めたり何なりしてろ。


 えっ、昼う!? 今からじゃねえのかよ!? 


 何浮かれてんだお前……。色々あるんだよ。どこに行きたいかは、お前に任せるさ。


 そ、そうかぁ? へへ。そうだなあ……。あったかい所に行きてえなあ。俺ぁこの町から出た事ぁ殆ど無えが、江戸は寒いらしい。……上野。取り敢えず、上野で待ってるよ。何回か遊びに行った事があるんだ。どんな所かちょっとは知ってるし、知り合いもいるしな。猫だけど。


 そうか。私はここを出た事が無いから、名前を出されても全く分からないけれど、海を渡られでもしない限り、見つけられるから大丈夫だ。この化け物の鼻は、よっぽどに利くらしい。……今更だがお前、私が幾ら道を変えても現れたのは、これがあったからだろ?


 えっ、あ、ああいや、それは……。


 いいから、その、うえの? とやらに行ってろ。後で追い付く。


 あ、ああ。分かった。待ってるよ。絶対来るんだぞ。


 分かったよ。


 あんまり遅かったら、探しに行くからな。


 おいおい。人を付け回すのも大概にしろよ。




 馬鹿言ってんじゃねえ――。銀はぶすっとして言うと、懐に簪をしまった。




 じゃあ、しっかり預かっとくからな。


 ……ああ。




 その言葉を最後に私達は、背を向けて歩き出す。




 ――馬鹿なひと。 




 そして今度こそ、銀やおじさん達、馴染みのお客さんと鉢合わせしないように、江戸の町を回り始めた。


 どこをどう燃やせば、この腐った町を潰せるのかと。

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