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明暦の大火 1


 雨の降らない日が続いていた。


 特にその日は風が強くて、砂埃が舞い、人の往来もまばらだった。現代なら、乾燥注意報が出ていただろう。


 明暦めいれきの大火とは、そんな悪条件が重なっていた頃に、本郷ほんごう小石川こいしかわ麹町こうじまちという、三ヶ所から連続的に発生した火災を元に、日本最大の火事と呼ばれる被害を生む。


 第一出火は、明暦三年の一月一八日午後二時頃。本郷丸山本妙寺から。

 第二出火は同日一九日、午前一〇時頃の小石川。水戸藩邸みとはんていを焼くと江戸城に燃え移り、天守・本丸・二の丸が炎上。江戸城周辺にも延焼すると、大名屋敷や旗本屋敷等を燃やしつつ、江戸湾で数多の船を焼いた後ようやく鎮火。

 第三の出火も一九日の、午後四時頃。麹町こうじまちの民家から始まり、夜通し猛威をふるった火は、翌二〇日まで燃え続ける。


 史料によって被害内容や死亡者数は変動するが、例を一つ挙げようか。


 大名屋敷、五〇〇。旗本屋敷、七七〇。寺社、三五〇。橋、六〇。町屋、四〇〇町が焼失。江戸の町の大半が焼き尽くされ、死者は一〇七〇〇〇人。


 私の存在が幕府に知れたのは、この最終日である二〇日だった。


 そうだ、あの火も、増上寺ぞうじょうじを焼いて海まで届いて、そこで漸く消えたのだっけ。今で言う、東京湾か。尤もその様子を最後まで見る事は、私は無かったが。

 あの頃は地理に何ら詳しくなかったし、寺社や地名も、後から頭に入れたものだから、当時の自分が江戸のどこ辺にいたのかなんて、全く知らないし考えてもいなかった。というかそもそも、そんな事はどうでもよかった。自分がどこに立っているのかも。

 腹立たしくてな……。それ所じゃなかったんだよ。


 二度目の出火。上手く江戸城や大名屋敷を焼いて、役人共を皆殺しに出来るかと思ったんだが、上手い具合に逃げられた。火事と喧嘩は江戸の花……。全く、上手く言ったもので、あの町の奴らは、火事に慣れていたんだよ。


 決して盤石な体制があった訳ではない。明暦の大火以前の火消しは名ばかりみたいなもので、あの火事の際も城や主要な名が住まう屋敷の消火に気を取られて、民への動きは手薄だったし、民衆の自治機能にも限界がある。


 だから、小分けにして火を点けた。


 バラバラの場所、時間から、ただ連続的に出火させて、単なる不幸と言うように。

 それぞれが本人達の不注意で、たまたまそういう天気だったから、大きくなってしまった火災だと。


 私は猫だ。猫が一匹、庭や道を歩いていた程度で一体誰が足を止める? 誰が怪しい者だと摘み出す。そもそもそんな非常時に、猫一匹に構ってられまい。そうして堂々と奴らの目を盗み、火を放った。


 火は混乱を生み、混乱は害を生む。牢が燃えればこれはいかんと、看守は囚人共を外へ逃がす。然しその先では、火事に乗じて脱獄していると別の役人に勘違いされ、道を封鎖され無駄死にを。また別の所から火事だと逃げ出せば、前日の火災から逃げた者達が持ち出していた家財道具に、道を阻まれ丸焼けに。


 それは面白い具合に死んでいった。


 関係の無いものが沢山燃えた。


 まあ、おじさんとおばさん、見知りのお客さんは焼かないようにしたし、銀も江戸を出ていたからな。特に罪悪感も無い。おじさん達が昼に出ると言ったから予定を早めたけれど、あの屋敷のおじいさんの所だって、燃えないように加減してある。


 そんな事はいいんだよ。


 あの頃はいい風が吹いていた。大して張り切らずとも、勝手に火は燃え広がってくれる。これならこの二日目の火で、きっとあの憎き城を瓦礫とさせられる筈だ。そうぼんやりとどこかの屋根で、欠伸をしながら眺めてた。

 まあ、無理だったんだけどな。確かに大打撃は与えられたが、邪魔されたとどこかで気付く。百鬼の勘と言うのかな。何か、人以外の力によって私の火を阻まれた。そんな気がしたよ。


 そんな感覚は初めてだったし、そもそも、赤猫になってから力を使う事自体が初めてみたいなものだったから、その時はただ、私が加減を間違えたのだろうと思った。

 生焼けぐらいの火力で溶かしたり、人間を燃やすぐらいしかやってなかったからな。全力なんて程遠い程度しか扱ってなかったから、そんなものなんだろうとも思ったよ。本気にならなくたって、ここまで燃やせるんだ。繰り返していく内に向こうも対処が追い付かなくなって、すぐに焼け野原になるだろうと。

 万一見つかっては元も子も無いから、ふらふらと移動しながら放火をするのがいいと思った。正直その二日目で終わらせるつもりだったから、ああ確かに、むちゃくちゃに不愉快ではあったがな。でもこの成果を思えばこの程度、一捻りで巻き返せるさと。

 私はもう一度、城を燃やすつもりだった。


 第三の出火も一九日の、午後四時頃。麹町こうじまちの民家から始まり、夜通し猛威をふるった火は、翌二〇日まで燃え続ける。


 違う。


 私はもう一度、城を燃やそうとしたしたんだ。


 確かに城を目指して猫の姿で、瓦礫と死体の転がる焦土の上を、一人歩いていたのを覚えている。然しどうだ。思い返してみれば、全く見当違いの方を向いて、全く違うものを燃やして満足した気になっていた。

 何の縁も無い民家に火を点けると、また歩き出していたのだ。まるで頭と身体が、ばらばらになったように。


 その勘違いに気付いたのは、二〇日を回った夜の事で、夢から覚めたようにはっとする。どうして私は、あんな所に火を点けていたのだろう?




 九鬼の奴から貰った煙管きせるを、置いてみた甲斐があったようだ。気に入っていたのだがこればかりは……やむを得ん。




 瓦礫が墓標のようにぽつぽつと並ぶ、だだっ広く真っ黒い土の上。そこに奴は立っていた。


 死人のような白いあわせを着て、腰に刀を差した編み笠の男が。



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