鈍る刃


「君……!?」

「おい何だてめ……」


 流石に動揺したのか目を見開く男に、彼女は素早く左手を剣から離す。

 そのまま鞘を帯刀帯から半分程引き抜くと、握り直して再度抜き、一気に男の顔を打ち上げた。

 怯んだ隙に、右足で腹を蹴り飛ばす。


「ぐッ!?」


 多分、潰れてかなり経つ商店だろう。男は道のすぐ脇にある、そこの駐車場に吹き飛ばされた。


 彼女はすぐに僕の方へ駆けて来ると、男から僕を庇うように前に立ち、素早く帯刀帯に鞘をしまう。


「平気? 何か燃えるような音したけれど」

「う、うん。平気……」


 なんて無駄の無い動きだ。背を向けているその真剣な表情は、男から決して目を逸らさない。


 僕は正体がバレるとまずいと、咄嗟に背中に右腕を回そうとしたが、黒犬が先に解除してくれていたので戻っていた。


「まさか挨拶回りも兼ねて一番合戦との決戦場を探していたら、あんなのを見つけるなんてね……」

「…………」


 彼女は左手を柄に運びながら、少年漫画みたいな事を言った。

 どうしてここが分かったのかと尋ねようとした矢先なので手間は省けたけれど、真剣なのにどうしても締まらない。


 彼女は、男を睨むように注視すると続けた。


「つか何の百鬼……? あいつ、あなたに何か喋ったりした?」

「いや、何か急に襲われて……」


 後ろからけたたましい足音が聞こえてくると、僕らの隣で立ち止まる。


 まだ家に着いていなかったのだろうか。別れた時と同じ姿のままで、彼女より息を荒げた一番合戦さんは、まるで僕らに気付いてないように、男を見ると息を飲んだ。


「あ、一番合戦さ……!」


 僕はその表情に、声をかけるのをやめてしまった。


 目をいっぱいに見開いて、それはまるで、悪夢でも見ているような顔をしていたから。


「……ぎん……!?」


 意識を半分一番合戦さんに向けていた彼女の頭が、男から目を逸らしたように、僅かに一番合戦さんへ向く。でも男が立ち上がったのに気付いて、すぐにそちらへ意識を戻した。


しろ!」


 痛そうに鼻辺りを押さえていた男の顔が、子供みたいにぱあっと輝く。


「何だ会いに来てくれたのか? 息まで切らして……」

「何をやってるんだお前は……今すぐやめろ!!」


 喉を裂くようなその叫びに、僕と彼女は思わず肩を竦めた。


 混乱の余りだろうか。声の大きさを、調節出来ていないようにも取れた。


「……お前こそ、何やってるんだよ」


 一番合戦さんに怒鳴られた男は、悲しげな目を向ける。


「好きでもねえだろうに鬼討所か、常時帯刀者にまでなって」


 僕と彼女の視線を感じた一番合戦さんは、一瞬明らかに弱った目をこちらに向けた。

 聞かれたくないと言いたげに。


 然しその視線は、迷いを振り切るように男に戻る。


「……今お前に話すような事じゃない。すぐに二人と対立するのをやめるんだ。……何なんだこの状況は……? お前は何をした? 何をされた訳でも無いだろう? 九鬼も赤嶺も、理由も無くこんな事をするような奴じゃない」

「それは本心で言ってんのか? そういう『立場』だから言ってんのか?」


 男はぺしぺしと、腰の左側を叩きながら言う。

 彼女もだけれど右利きの一番合戦さんは、左側に刀を差していた。


「……本心に決まってるだろ」

「返事が遅れてるぜ」


 殴られた際、落としたらしい。男はぴしゃりと返すと、 新しい煙草を銜えて火を点ける。


「帰ろうぜ?」


 男は同情しているような、冷めた目でそう言った。


「どこでもいいさ。お前の好きな所に連れてってやる。またあの町がいいってんなら、それでもいいさ。また昔みてえに連んで、全部やり直そう」

「…………」


 一番合戦さんは言葉に詰まる。

 思ってもみなかった方向から、突然胸を刺されたみたいに。それはもう苦しげに。


 僅かに目が泳いで、言葉を探すと……。いや、本当は見つかってなんかないけれど、無理矢理にでも当てはめたと言うべきか。額に手を当てて、軽く俯いたまま、やっとの思いで口を開く。

 何を見ている訳でも無い、戸惑いに漂う目のままで。


「…………。……それは、出来ない。無理だ……。それはしないと……もう決めた。会う事なんて、二度と無いと思ってたけれど。でも、それでももし次があったなら、私はお前とは歩かないって。……とっくに忘れられたと思ってた……。だって私、置いて行ったじゃないか」

「だから捜し回ってたんだろ」

「『だから』って、そんな……」

「あーもう埒があかねえ」


 男は困ったように空を見上げる。


「分かったよ。今日は帰るよ。一旦な。よし、今日はもう悪さしねえ。やめてくれやめてくれ。そんな面させる為に来たんじゃねえんだよ俺はよぉ……」


 男は降参したように胸の高さまで両手を挙げると、今度は僕と彼女を見た。


「じゃあな色男。いい太刀筋だったぜ、お嬢ちゃん。恋ってのぁいいもんだ」

「なっ……チガいマスけどォ!!?」


 どうしたの急に。


 突然叫び出す彼女の声を遮るように、地面から噴き出すように上った火が、男を隠すように四方を囲う。それは一瞬で火はすぐ消えると、さっぱり男の姿も見えなくなっていた。


 神出鬼没。百鬼らしい。


「――あいつはあたしが追いかけるから、あんたは彼を家まで送って。一時間後にここに戻ってくるから、話はそこで聞かせて頂戴」


 男が消えて我に返った彼女は剣を収めると、スカートのポケットから小さな手帳を取り出した。挟んでいたボールペンを適当に開いたページに走らせ、千切ったそのページを僕に差し出す。


「これ、あたしの携帯の番号だから、またあいつに襲われたらすぐ呼んで」


 僕にそのページを握らせると、すぐに男がいた方へ駆け出そうとした。

 引き止めるように、一番合戦さんは声を漏らす。


「……あ、赤嶺」

「同じ事は言わせないで」


 彼女は足を止めると振り返り、この場で初めて一番合戦さんをちゃんと見る。


「非常時よ。自覚を持ちなさい。あんたはここの鬼討で、この町で唯一の対抗手段なの。……それに、あんたが思ってる程、機微に疎くは無いわ」


 似合わないのよ。そんな腑抜けた面。


 そう彼女は小さく零すと、改めて走り出した。


「待って!」

「ん!? はいっ!?」


 彼女は足でも捻ったみたいに変な姿勢で立ち止まると、びっくりして僕に振り返る。


「助けてくれてありがとう。えっと……赤嶺さん。気を付けてね」

「…………」


 彼女は暫く固まると、思考が止まっていたのかはっとした。


「はっ、早く頭冷やしなさいよねっ!?」


 ひっくり返った声で一番合戦さんにそう叫ぶと、今度こそ走って行く。

 最初に走り出した時より、何だかフォームが乱れていた。本当に足をグネってしまったのだろうか。そりゃ何回もスタートを邪魔されたら崩れる。ていうか思いの外びっくりされて、ショックと言うか申し訳無い……。後で改めて謝ろう。


 まあよかった事に、フォームは徐々に改善されていき、彼女が見えなくなるのを見送ると、僕は慎重に息を吸う。


「……知ってるよね? あの人の事」


 一番合戦さんを見据えて言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る