呼称不安定

「終わった?」

「ああ。全く毎日のように小煩こうるさい……」


 走りながらスカートのポケットにしまったばかりの携帯を、恨めしげに睨む一番合戦さん。


 最近本当に多い。一番合戦さんの態度から見ても、多分ずっと同じ人からだ。春ぐらいからぽつぽつと始まって、今やほぼ毎日である。


「ま、そんな事より仕事だ。報告通り見つかったんだろ?」

「うん。そうなんだけど……」


 僕は答えながら、塗壁ぬりかべに視線を戻す。


 あれ。


「違ったのか?」


 後ろから、一番合戦さんの声が飛ぶ。


「いや……」


 いなくなっていたのだ。跡形も無く。


「さっきまでここにいたんだけれど……」


 改めて辺りを見渡す。でもあんなに大きな身体と短い足で徒歩移動をしたのなら、遅いし足音が派手過ぎる。


 消えたのだ。文字通り。


「ふむ……」


 一番合戦さんは顎に手を当てた。


塗壁ぬりかべは特別危険な奴でもないからな……。道の上でないなら、好きな所で立たせてやった方がいいぐらいだ。そこに立つ理由が無くなったから、どこかに行ったと考えるのが妥当じゃないか?」


 ご尤も。

 でも、その理由とは?


「一番合戦さんが戻って来たらいなくなったよ?」

「ん、私?」


 ちょっと心外そうな一番合戦さん。


「何か理由はあったんだけれど、鬼討が来たから退治される前に逃げたとか」

「まあ十分考えられるが……。気の小さい奴だしな。塗壁って。 そもそも大した理由では無かったか、あるいは大した理由であっても、私と対峙してまで貫くには割に合わないものだった……とか」

「普通の鬼討では見向きもしないけれど、常時帯刀者なら慌てて逃げる百鬼の行動って、そんなに珍しくもないしね」

「そうなのか?」

「うん。個体差で得手不得手はあっても、ある程度の格の違いは察知出来るみたいだよ」


 百鬼の出現率が低い上、鬼討の人数も壊滅的な環境下で活動している一番合戦さんは、実力の割に知らない事が多い。

 僕がかつて住んでいた町は出現率が高く、鬼討の組織も大規模だったので、体感的に理解していく知識であった。組ですらないもんな。この町の鬼討。

 本来鬼討とは四、五軒の家が組を成して活動するけど、ここは一番合戦さん一人だけだから。去年まで偽物もいたけれど、それを合わせてもたったの二人。


「……何か、いるだけで恐れられるのも複雑な気分だが……」

「まあ鬼討としてはラッキーじゃない? 定期的に巡回する地域を作れば、それだけで百鬼を寄せ付けない空間を作れる事にもなるんだし」


 しょんぼりと肩を落とす一番合戦さんは、先輩に似ていた。


 枝野組の次期当主と期待されていた、枝野詩御えだのしおん先輩も、似たような事を言っていたのを思い出す。

 「帯刀中にどこかの飼い犬だったらしい霊に会ったんだけど、目が合った途端一目散に逃げられた」。「別に斬るつもりなんて無かったのに」と。先輩動物好きだったもんな。先輩より格上である一番合戦さんとなれば、百鬼に恐れられる度合いは尚更だろう。

 地域の安全面では、これ以上無い結界だが。何をしなくてもそこにいるだけで、ある程度の百鬼を払えるなんて。神刀しんとうもだが、百鬼と渡り合う為に百鬼染みてくるとは、仕方が無いとは言え皮肉な話だ。存在するだけで、畏怖の対象となるなど。


 焚虎たけとら。だったっけ。一番合戦さんの刀。鬼討が用いる、九十九神つくもがみとして神格化させた日本刀。これで百鬼と渡り合う、鬼討の生命線であり仕事道具。

 去年の人狐ひとぎつね戦以来穏やかなので、抜刀している所は今年はまだ見ていないが、この刀の最大火力はどれぐらいなのだろう?

 思えば何だかんだ、最大戦力の一番合戦さんというのも見た事が無い。あの人狐戦では、自慢の炎を封じられていた状態だし。


「おいおい。女の腰ばっか眺めてんじゃねえよムッツリスケベ」

「…………」


 足下から声がしたので、影に目を向ける。


 何の変哲も無い僕の影。声を発する事以外は。


「睨むなよ。見てたじゃねえか」

「刀をね。変な事言わないでよ」

「お前が変な事してたからだろー」

「…………」


 こいつは元ブラックドッグ。死神の使い魔だった、ヨーロッパ生まれの百鬼だ。

 色々あって、今は僕の影に住んでいる。住んでいると言うか、僕の半身となっている状態だ。

 元ブラックドッグから見てもそれは同様で、一つの魂を共有している状態である。どちらかが死ねば、もう片方も死んでまうと言えば分かり易い。

 去年の一〇月、人狐という百鬼に襲われた一番合戦さんを救う為、なんて偉そうな理由ではなく、単なる僕の失敗の償いとして彼女を救う力を得る為に、こいつに魂を半分寄越し、半百鬼という中途半端な形になった事が始まりだ。

 僕はその時彼女に殺される予定だったのだが、拒否されて今は共にいる。理由はどうあれ自分を救う為に半百鬼となった僕を、斬り捨てるなんて出来ないと言って。僕を百鬼と断じて斬ろうとする鬼討が現れたなら、その時は今度は自分が僕を守ると。持ちつ持たれつの関係という事で、今は僕が無害認定を貰える為の活動に、手を貸してくれているという訳だ。


 そんな事よりこいつの態度がとんでもなくいけ好かない。


「……仲よくしろなんて言わないが、もう少し歩み寄ってもいいんじゃないか? 長い付き合いになるんだし」


 一番合戦さんは困った顔で、僕と元ブラックドッグが潜む影を交互に見た。

 元ブラックドッグのセクハラ紛い発言には何とも思っていないのか、単に無視しているか、怒っている様子は無い。


「そうだぞ坊主。姉ちゃんを見習え」

「お前だ黒犬。姉ちゃん言うな馴れ馴れしい」


 黒妖犬こくようけんというブラックドッグの和名から、今や呼び方に困るこいつを、一番合戦さんは『黒犬』と呼んでいる。こいつの呼び方なんてどうでもいいけれど。

 分かり易いし、僕もそれに合わせようか。


「……夜になったら影から出て来れるらしいが、ややこしくなるからするんじゃないぞ」

「それは勿論。折角姉ちゃんの圧力に守られてんのに、狙われるなんざごめんだぜ」


 けけ、と笑うと、影はまた静かになった。黙ったらしい。


 尚更困った顔をすると、一番合戦さんは息を吐く。

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