16

阻む君は誰が為に

「こんな場所に立ったら駄目だよ。皆通れないよ?」


 放課後を迎えた僕は、路上にいる。


 暦は七月。もう午後の六時なのに、すっかり日が落ちるのが遅くなった。


 見上げているのは空でも信号機でもなく、妖怪塗壁ぬりかべ

 町外れの農家が並ぶ道に、最近現れては通してくれないと相談が来た。


 塗壁ぬりかべは酷く短い手を、広いお腹の上でもじもじしながら言う。


「で、でも、こうして立っとるのが儂の生き甲斐でありまして」


 そう、口の無い顔の小さな目が、困ったように泳いだ。


 信号機ぐらい高い背と、十トントラックの顔みたいな威圧感を持ちながら、かなり大人しいというか気が小さい。


「うーん」


 そんな巨体で軽トラックがやっと通れる道を塞がれると、本当に壁になってしまっているのだが。両脇の家の壁すれすれに位置して、まるで最初からそう設計されたような錯覚すら覚える。この道は行き止まりだったと。

 まさに百鬼ひゃっき塗壁の真骨頂だが、このままでは完全に思い込まされて、向こう側の住人の存在が、町から忘れられてしまう。


「でもね。もうすぐここに引っ越してくる人がいるんだ。だから荷物を入れたいんだけれど、このままじゃ引っ越し屋さんのトラックが通れないって、困ってるんだよ」


 事実である。


 彼の向こう側には空き家があり、二週間後に引っ越してくる予定の方がいるのだ。事を大きくする前に済ませたい。

 もしその方にこの話が知れて、向こうの鬼討おにうちに相談でもされたら面倒だ。ただでさえこの九鬼くき助広すけひろという、不安材料があるというのに。

 元枝野組傘下の鬼討おにうち。その地位を剥奪された現在は、この町の鬼討のお供みたいな事をしている。まあ主従関係は無くフラットな位置なので同僚と呼ぶべきかもしれないが、複雑な立場上そんな図々しい事は言えない。部下ではないが、ある程度下手したてに構えるべき相手である。って言ったら、多分怒るんだろうけれど。

 僕も対等に構えるべきだと分かってはいるが、そう簡単にあの負い目は消せはしない。多分お互いに言える事だと思う。あの人あれで、繊細だ。


 そんな妖怪、専門用語で表すと、『百鬼ひゃっき』となる彼らへの対処を仕事とする鬼討を担うその人は、今は少し外している。僕が同伴している目的もその人の仕事を手伝う事であり、仕事中は必ず共に行動しているのだが、何やら最近、携帯によく電話がかかってきていて、その対応に追われているのだ。なので取り敢えず僕が対応。


 今回の依頼主は、市役所である。引っ越しの申請が来たので調査の為にこの辺りを訪れると、この塗壁がとおせんぼしていたそうだ。


 百鬼絡みの事案の対処は、その地域の市町村と鬼討が連携するのが基本である。まず市役所が日頃から地域の声を聞き、鬼討へ相談する窓口となる。報告を受けた鬼討は、相談者乃至役員の話を聞き、対応に当たる。

 引っ越しなど新しい地に移動する際は、その土地にどんな怪異的な性質があるのか、その地の市役所に問い合わせるのは日常的な事で、鬼討としてもよくある仕事だ。都心だと新しい会社を建設するに当たり、その場所を鬼討に調べて貰うとか。


 この場合は企業から鬼討への直接の依頼となり、これが大企業相手だとかなり儲かる。地鎮祭で払える百鬼は限られているので、退治も出来る鬼討に頼んだ方が確実なのだ。建設を終えてからもし何か現れても、その時の繋がりで更なる依頼を狙えるチャンスにもなる。


 僕が入っていた組の主である枝野のような旧家は、その信用からわざわざ遠出を頼まれてまで出掛けていく事も珍しくない。尤も枝野家は古風な家柄なので、そういう今時の鬼討みたいな仕事は断っていたが。


 枝野家はあくまで昔ながらの、その地を守る鬼討だ。かつて幕府の警護を任された事もあったが、そのまま国の鬼討としての取り立てには応じず、あの土地に戻っている歴史がある。

 枝野家と同じぐらい有名で、かつそういった今時の仕事も担う旧家と言えば……赤嶺あかみね家が挙がる。あの家は柔軟だ。

 元は地域の鬼討であったが、今は活動範囲を全国と言うか、国に向けて広げている。枝野家と対になる家と言っていいかもしれない。

 こちらも常時帯刀者じょうじたいとうしゃを輩出しており、そう言えばここ数年、また新たな常時帯刀者を出したと聞いた事があるが……。

 まあそれはこの辺にして、話を戻そう。今はこの塗壁に対応しなければ。


 謂れを辿れ。さすれば、どこにいようと追い詰められる。


 鬼討の間で、昔から伝わる教えの言葉だ。

 どんなに曖昧で、姿の見えない相手でも、そこに存在しているには必ず理由がある。それを辿ればそいつは何者で、何の目的があってそう存在し、どう関わればいいか自ずと分かる。理由の無い百鬼など存在しないと。


 そこにそう在る時点で、彼らは己の意義を証明しているのだ。 決して言葉では語らないが人間よりも剥き出しに、嘘をつく生者よりも生々しく。

 ならばこの塗壁は、どんな理由があってここに立とうと思ったのか。


 道なんて腐る程あるのに、ここではないといけなかった理由とは。


「君は、どうして……」

「――悪い!」


 振り返ると、小走りで制服姿の少女が駆けて来る。


 凛々しい顔付きに長い髪をフルアップに纏め、肘ぐらいまで袖を捲ったブラウス、ストライプの入ったグレーのスカートに、七分丈に折った赤いジャージと、黒いハイソックスが目に留まる。腰にはガンベルトのような黒革のホルダーを巻き、朱漆塗しゅうるしぬりの鞘が鮮やかな日本刀を差していた。


 彼女一番合戦篝いちばんがっせんかがりは、この町で唯一の鬼討を担っている、高校三年生の女の子だ。


 その実力は折り紙付き。鬼討の中でも特に優れた者にだけ許される常時帯刀許可を、一般家庭の出でありながら、十代半ばで下ろされた天才だ。


 尤もその栄光も、去年のある失態で揺らぎつつあるが。

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