死の犬が君を待つ

「あの……一番合戦さん」


 追いついた僕は、何とか並ぶと切り出す。


「何か僕……余計な事言っちゃった? 部外者なのに首突っ込んじゃって……」

「まさか。あいつは本当に何でも喋る程、分別のつかない奴じゃないさ」


 先程までのピリピリした空気とは一転、さっぱりと笑ってみせる。かと思うと、おもむろうなじへ手を回した。


「……実は不甲斐無い話、今件は手古摺てこずっていてな。例の妙な動物の死体自体は昨年度から見ているんだが……。余りこの状況で話すのは不安を煽るだけではないのかと、つい気が立ってしまった。申し訳無い」


 今度は急に立ち止まると、真っ直ぐ僕を向いて頭を下げる。


「いやいやいやいや! ほんとに気にしてないから!」


 お辞儀の深さが洒落にならない。


「……お前は気にしていなくとも」


 一番合戦さんは少しむくれて顔を上げると、そのまますたすたと歩いて行く。


 その先には、ぽつりと自動販売機。丁度竹林を出た所にあって、家を出た時目にしていた。


 一番合戦さんはそこで立ち止まると、何かを買って引き返して来る。


「私は気にしてる」


 突き出されたのは伊右衛門。


 貰えという意味だろうから、取り敢えず頂く。


「……いやあでも当たり前の事をしただけだし……」

「私の友達を守ってくれてありがとう」


 いきなり発せられたその言葉に、僕はもう何度目かの、「気にしなくていいよ」を飲み込んだ。


 ピリピリしていたのは豊住さんの前で、それを言うのが照れ臭かっただけなんだと、その清々しさで分かってしまって。


 そりゃ気にするか。友達の恩人なんだもの。

 あの眼光も照れ隠しと分かると、何だか虎所か猫ぐらいに可愛らしく見えてきた。


 一番合戦さんはすっきりしたのか、上機嫌で辺りを見渡す。


「さて早く帰さないとな……これで何かあったら不義理で済まん」


 どうやら僕を無事に帰すまでが、豊住さんを助けた事への義理らしい。早足の謎も解けた所で、一番合戦さんはやっと根本的な事を訊く。


「所で、お前の家ってどこにあるんだ?」


 何て言うか。

 電話で変わらない声と言い、清々しい程真っ直ぐ。


「そのまま真っ直ぐで大丈夫だよ。最初の横断歩道を渡った先にある住宅地だから」


 今更? とか、そんな野暮な問いはせず笑顔で返した。動物の死骸を死体と表す、違和感みたいなものにも。

 同じ命なのに表現を動物と人間で区別したくないとか、彼女なりのこだわりがあるのかもしれない。細かく尋ねるような事でも無いと思うし。


「そうか」


 上機嫌のまま言われた通りに、真っ直ぐ歩き出す一番合戦さん。


 知らないだろうにしっかりとした足取りに、僕はお供みたいについて行く。


 どうして強い人に限って、義理とか責任とか、皆が敬遠したがる事を重んじるんだろう。まるで誰かが逃げた分を、埋め合わせするみたいに。


「……あの人とおんなじ」


 一番合戦さんには聞こえていない。まああの人は、こんなに直情家ではなかったけれど。


 何だか急に背後が気になって、振り返ってみた。本当に何となく、ただ無心に。


 ただ無性に。


 まるで何かに、引き寄せられるように。


 魔が差したとも、言えるかもしれない。

 魅了されたとも。


 もうあと一歩で終わる、竹藪の切れ端。切れかかった街灯が、まばらに照らす道の上。一切の音も気配も与えずに、赤い目をした黒犬が、僕の後ろに立っていた。


「よお。イチバンガッセンカガリって知ってるか」

「……え?」


 今なんて?


 数メートル先の一番合戦さんを見ようとするけれど、何故だか身体が動かない。


 動けなくなったのは僕だけのようで、どんどん一番合戦さんが離れていくのが音

で分かる。


 どこから現れたのか。どうして言葉を話しているのか。 そんな丁寧な説明ある筈が無く、酷くのんびりと犬は続ける。


「何だよ知らねえのか? まあいいや。 もし知ってたら教えてくれよ。困ってんだ。呼んでくれたら、いつでも飛んでくぜ」

「なあ! こっちか!?」


 遠くから一番合戦さんの声が響いて、夢から覚めたように目が覚めた。


 振り返ると教えた通りに、最初の横断歩道を渡った先にある、住宅地の入り口に立っている。 和洋折衷の二階一戸建てが、四九軒連なる場所。


 一番合戦さんは待ち切れないのか、入り口に設置された案内図に、九鬼の二文字を探していた。九鬼という名前はこの住宅に僕の家だけだから、間違える心配は無い。


 あの犬は、すっかりいなくなっていた。


 それに気付いた僕は、全力で走り出す。


 左右も見ないで道路を渡ると、案内板を見る一番合戦さんの両肩を引っ掴み、ぐるんとこちらへ向き直らせた。手放した教科書と伊右衛門が、足下に落ちる。


 一番合戦さんは酷く驚いた様子で、肩は縮こまって息が止まった。


 そんな事よりも僕は一番合戦さんを、頭のてっぺんから爪先まで注視する。


 顔色は悪くない。動作からも怪我をしているようには見えないけれど、表には見えにくい病気という可能性もある。


「……びっくりし」

「今病気とかしてない?」

「ん?」


 切れ長で、凛々しい一番合戦さんの目が丸くなる。


「大きな怪我とか、何か命に関わるような事、抱えてないかな?」

「お……んん?」


 更に丸くなって、真ん丸になった。


「兎に角明日から学校休んで、いいって言うまで絶対に家から出ないで。じっとしてて」

「待て待て待て待てちょっと待て!」


 一番合戦さんは頭を振りながら、僕の両手を肩から剥がす。


「どうしたんだ急に医者志望か!? それともそんなに私は不健康に見えるのか!? そりゃあ余り肌は出さないから色白いろじろぎるって言われるけれど、私にとってはこれこそが標準だ! 薄着嫌だ落ち着かん! 例え校長に是正を命じられようと、このジャージは身命を賭して守り抜く!」

「ブラックドッグが君を探してた」


 両手でスカートの下のジャージを掴み、必死に宣言する一番合戦さんの顔から、表情が消えた。


「……何?」

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