04

矜持に生きるは愚か者

 ブラックドッグ。


 目前に迫る死を告げに現れる、ヨーロッパ生まれの百鬼ひゃっき


 彼らと出会でくわした者は死に至ると恐れられる、死神の使い魔。


「例え死を宣告されようと、私は止まる訳にはいかないんだ」


 明日の朝、七時に教室で待ち合わせ。


 そう別れ際に約束した一番合戦さんは、矢張り定刻通りに現れて、渡り廊下に移動すると切り出した。


「鬼討が世襲制なのは知っているか? 一つの家に鬼討は一人。この百鬼ひゃっき……いや分かり辛いか。妖怪を討つ為の一本の刀を、何代にも渡って使い込み、九十九神つくもがみに神格化する事で、初めて奴らを退治する力が得られるからだ。ほら、私の剣は火を吐いていただろう? 一〇〇年使われた道具が魂を持つと言うから、それはもう途方もない作業になる。鬼討の家は歴史が長くて、新しい担い手が増えにくいのはその為だ。故に一つの町に鬼討の家は四、五軒はあって、その中の一軒が元締めとなり、連携し合って町を守るという体制を取るらしいが、この町の鬼討は、私と豊住の二人。私が動かなくなるという事は、今追っている妖怪をあいつ一人に任せる事になる」

「二人?」


 つい聞き返してしまう。


「ああ。昔からこの地に、鬼討を担う家は無い。元々この辺りは妖怪の出現率が低い地域で、需要そのものが低かったそうだ。有事の際は、近隣から派遣して貰って対処してきたらしい。そんな土地柄だから、派遣先だった家もいつの間にか断絶して、私達の代役を頼める者はいない。我が一番合戦家は一般家庭だから、私が我が家初代の鬼討だし、豊住は去年単身越してきたばかりだから、家系を辿った所でな」

「い、一般家庭って……。……ああいや、そうなんだ……」


 何とか絶句しそうになったのを乗り越えると、一番合戦さんは頭を下げる。


「情け無い鬼討で申し訳無い」

「い、一番合戦さんが謝る事じゃないよ」


 偉い人がやっているのを、テレビで散々見た事があるけれど、同じ事をしているのに重さが違う。画面越しと生だからじゃなくて、その言動に乗せてる覚悟が、威圧的な程強いから。

 それにしつこくなくて、いいと言えばすぐ頭を上げる。図々しいのではなく、あくまで相手に誠意を示そうとする、潔さが表れて。


「確かに話を聞く限り、そいつはブラックドッグで間違いないな。教えてくれてありがとう。暫く気を付ける」


 一番合戦さんは踵を返すと、もう教室に引き返そうとする。


「ちょ、ちょっと待って! 豊住さんはそれで納得したの?」


 違和感が渦巻いているけれど、指摘すべきは今じゃない。


「話してない」

「え?」


 一番合戦さんは立ち止まると、向き直って即答した。


「話した所でお前と同じように、じっとしてろと言われるのが目に見えてるからな。あいつ私に過保護な所あるし」

「……過保護って」

「いや、今のは言葉が悪かった。適切な反応だよ。相手が友人なら尚の事」

「だったら」

「話して一人で向かわせて、危険に晒すなんてしないだろ。それが友人なら、尚の事」


 一番合戦さんは、真っ直ぐ僕を見据えて言った。


「詳しくは言えないが、動物とは言え、死んでるんだ。何度も何度も。その対象が人にならない保証はどこにもない。人でなくても、奪われた命の無念は晴らさなければならん。対処出来るのは鬼討だけ。だったら何があろうとも、私達はその任を全うするべきだ。鬼討とは、そういう役目だ」


 一死以て、大悪を誅す。


 誰かさんみたいな立派な事を、知らないだろうに彼女は言う。


 言葉を返せない僕に、一番合戦さんは続けた。


「……黒妖犬こくようけん出会でくわすと、一週間以内に死に至る」


 黒妖犬こくようけん。ブラックドッグの和名である。


「然しそれは、黒妖犬に出会したから死ぬのではなく、既に私は近々死ぬと決まっていて、奴らは単に、その予定を告げに来るだけだ。末期を決めるのは死神の仕事だし、犬を撒いた所で変わらない。寧ろ会った方が、大凡の目安がつくしな。病死と自殺ではない事も分かっている」

「今追ってるその毛色が違う百鬼が、一番の原因になるかもしれない事も?」

「ああ。だから行くんだ」


 思わせ振りとか駆け引きとか、そんな小細工を一笑するように、僕の図々しい質問にも、正直過ぎるぐらいはっきり答える。


「言い出したらキリがないから、事故死は一旦忘れるとして、一番考えられる現実的な原因は、その百鬼と戦う事。戦って死ぬとは、何も敗北だけではない。相討ちという事もある。あるいはその傷がきっかけで感染症とか、衰弱死とか。兎に角未来は分からないが確かに言えるのは、どう足掻こうと私は死ぬと、完全に決められてはいない事。あくまで黒妖犬とは、予定を告げに来るだけだ。努力すれば覆せる。と言うか黒妖犬と会う前に死期が近いと分かるなんて、寧ろ相当にツイてる方だぞ? 横着してその辺の奴に尋ねるなんて、聞いた事が無い。 その分通常より早めに知れたという事だが、使い魔の上犬のくせに、いい加減な奴もいたものだ。主の手足となるのが使い魔の存在意義なのに、余り怠けていると消えてしまうぞ」

「消える?」

「ああ。生まれた目的をたがうと、生まれた理由を失うと、百鬼とは消えてしまう。特にあの手の百鬼は、主が生んだものが多いからな。他の百鬼より判定が厳しい。使われる為に生まれたのだから、働かなければ意味が無いだろう? いてもいなくても同じなら、この世にあり続ける意味も無い。自由が無いから、可哀相とも思えるけどな」


 そうなんだ。初めて聞いた。

 敵を可哀相だなんて、絶対に思えないけれど。


「兎に角だ」


 仕切り直すように、一番合戦さんは腕を組む。


「お前が気に病む事ではないよ。私一人に告げに来たという事は、災害の類でもないだろうし、要らん心配はしなくていい。まあ、暫く近付かないべきかな」

「で、でも」

「鬼討自体がいつ死んでもおかしくない役目なんだ。黒妖犬が来ようと来まいと同じだよ。ここで私が止まって、豊住一人に任せたら、死んでしまうのがあいつになるかもしれない。それは嫌だ。絶対に。友達を、あいつを身代わりにして助かるぐらいなら、腹を斬って死んでやる」


 いつの間にか鞘を握っていた一番合戦さんは、僅かにつばを親指で押し上げた。


 これ、ポーズじゃなくて本気だ。


「い――」

「自分には凄く大事なのに、周りには何ら理解されない事ってあるだろう?」


 一番合戦さんは苦笑しながら、あっさり剣を手離す。


「そんなものだよ。つまらない意地と思ってくれて構わない。命を懸けてまで鬼討を全うしたくて、友達を巻き込みたくない。私とは、そんな馬鹿な女だって」


 一番合戦さんは笑った。そこまで強い言葉を放つのに、妙に儚く。


「要は勝てばいいんだよ。変えてみせるさ。自分の定めぐらい」

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