稲光の如く

「え!? 何でこんな所に……っていやびっくりしてるのは九鬼くんだよねえっと……!」


 取り乱す豊住さん。

 僕は驚きの余りリアクションすら出来ない。


 豊住さんは我に返ったのか言葉を切ると、乱れた髪を手早く手櫛で整え、胸に手を当てると一度だけ深呼吸。


「……こんばんは。九鬼くん。驚かせてごめんなさい」


 にっこりと微笑んでみせた。

 全く繕っていない、誤魔化そうともしていない、至極自然な笑みで。


 すごい。たった一回の深呼吸で教室で会った時と同じ、温厚な委員長に戻ってみせた。見た目に反し精神がタフ過ぎる。


 こんな再会の仕方で言い訳しない所かまず挨拶って。相手に謝罪って。ちょっと人間が出来過ぎだろう。生きていれば悪気は無くとも相手を困らせてしまう事なんてあるだろうに、神はなんてものを作ってしまったんだ。


 生憎そんなに高性能じゃない僕は、ゆっくりと豊住さんに指を向けた。

 謝罪でも我に返るでもなく、平凡な僕にはまずこれしか出来なくて。


「眼鏡……ひび入ってる」

「んんっ!?」


 豊住さんはボディブローを受けたような苦悶の声を上げ、受けたようなポーズまで取ると、すぐさま眼鏡を外して確認する。何せ両方のレンズがバキバキなのだ。


 暫く様々な角度から眼鏡を眺めると、確認し終えた豊住さんは一言。


「……よく失明しなかったなあ……」


 全くである。


 伊達なのかな? 余り慌てているようには見えないけれど。


 そんな野暮な問いを僕はしない。その状態で微笑まれた感想も。

 逆にそこまで粉砕されておきながら、何故眼球は無事なのかという突っ込みも。


 余り困っている様子も感じられないが、もうそこは予備があるのだろうと納得しておく。


 彼女の名誉の為にそっと恐怖体験を胸にしまっていると、割れた眼鏡を鞄にしまい、予備の眼鏡をかけていた。もう何に対する用意周到なのかよく分からない。


 人は見かけによらないという言葉を胸に刻みつつ、僕は状況を整理しようと口を開く。やっと頭が追い付いたので。


「あの、豊住さん何でこんな所に……」


 形こそこの様だが、出会でくわしたのが豊住さんでまだよかった。


 案内役を担ってくれた一番合戦さんと彼女以外、まだクラスメート所か、この町の人と殆ど面識が無いのである。これが知らない人だったら全力で逃げていた。


 「ああ」と、目的を思い出すように言う豊住さん。下の名前は確か……志織しおり、だったかな?


「九鬼くんは学校に忘れ物を取りに行った帰りだね。うーん……。余り部外者を巻き込むような事はお目玉を食らうけれど……」


 悩みながらさらっと読まれた。


 確かに私服で、学校がある方向から歩いて来てて、英語の教科書を持ってはいるけれど。

 観察眼は勿論、推理力もあるらしい。


 この委員長、侮れない。


 思案を巡らせていた豊住さんは、判断したようで続けた。


「うん。状況が状況だから話すね。ちょっと一番合戦さんの仕事の手伝い。引き止めておいてなんだけれど、危ないから早く帰った方がいいよ。まだそこまで関係は深くないとは思うけれど、彼女がか、あの刀から大凡見当はついてるよね?」


 流石委員長と言うべきか、ぱりっと切り替え大真面目に言う豊住さんに、僕は神妙に頷いた。


「う……うん」


 カチ、カチ、カチ。


 不意に軽くて乾いたものが、ぶつかり合うような音が響く。


 彼らはそうして、いつも突然現れる。


 山のように巨大な骸骨がいこつが、麓から身を乗り出すように、竹藪に立つ僕らを覗き込んでいた。


 やっと合点がいく。どうしてこの竹藪だけ、虫の声が聞こえなかったのか。


 恐れていたのだ。その手の気配に、動物は人間より勘がいい。人間だけが極端に鈍いと言ってもいいぐらいだ。


 どうという事は無い。危険を察知して逃げていただけである。人間の愚かさを際立たせるように、声も上げずにすたこらと。

 無理も無い。彼らは猫より気紛れなのだ。遭ってしまった時には既に手遅れ。されるがままか、後手に回りつつも逃げ惑うか、抗うしか無い。


 音も無く僕らの背後に両手を着いた、人を一飲みに出来そうな程大きな髑髏しゃれこうべが、豊住さんの背後から回り込んで僕を見る。


 その正体、行き会った人間を巨大なその手で握り潰す、弔われなかった戦死者達の無念の塊。


「……餓者髑髏がしゃどくろ


 餓者髑髏は徐に口を開くと、音も無く飲み込もうと僕らに迫った。


 豊住さんが危ない。


 いちいち声で知らせていては、反応から察知までの時間が無駄になる。僕は彼女の腕を掴むと、全力で来た道を引き返した。


 餓者髑髏がしゃどくろは動きが緩慢な上相当なドジだから、予想外に機敏な僕の動きに戸惑って、簡単にバランスを崩しくずおれる。鉄で出来ているのではと思わせる重量が、竹を折るけたたましい音と土埃を舞い上げて、衝撃となり僕らの背中を貫いた。


「追ってるのってあれ!?」


 音に振り返った豊住さんへ、走りながら僕は尋ねる。


 初めて餓者髑髏を確認したまま、腕を引かれる豊住さんの目が変わった。安心感を与える温和な目から、冷静に見透かす観察眼へ。


「違う……あれじゃない」


 恐怖なんてまるで無い。


 低く落ち着いた声で零すと僕の腕を掴み返し、同時に踏み出していた足を軸にして、ぐるっと一八〇度回ると急停止。


 見据える先は、粉塵舞い上がる最深部。そこで揺れる巨大な影に、狙いを定めながら鞄を置くと、ボタンを閉めたブレザーの懐に手を伸ばし、豊住さんは前に出た。


「そこにいて――五分で片す」


 取り出された懐剣が、鞘から放たれ空を斬る。


 護身用と侮るなかれ。日本刀をそのまま縮めたような武骨さは、紛う事無く武人の証。月明りを照り返した刀身が、眩しく僕の目に焼き付いた。


 あの巨体を刃渡り二〇センチ程度の得物で五分とは相当な自信だが、女の子一人に戦わせる訳にはいかない。僕も触発されるように素早く構えた。


 って、もう無いんじゃないか。


 腰元に何も無いのを思い出し、ひやっと汗が浮かんだ瞬間、餓者髑髏が豊住さんに手を伸ばす。


 僕はその光景に、ぞあっと芯から震え上がった。


 勿論恐ろしいがそうじゃない。豊住さんの力を侮っている訳でも無い。


 あれを想起させるこの状況が恐ろしいのだ。今すぐ気が触れそうになるぐらい、何も出来ずに目の前の事を眺めてしまうこの今が。


 また僕は見逃してしまうのか。また掴み損ねてしまうのか。

 

 冗談じゃない。


 腹の底から怒りと後悔がい交ぜになりながら、逆巻くように沸き上がる。


 振り払われた腕をもう一度、細い背中へ必死に伸ばした。


「豊住さ――」


 僕も餓者髑髏も豊住さんさえも置き去りに、突如閃光が餓者髑髏の脳天を貫いた。

 五分所か餓者髑髏は一瞬で灰と化し、塊のような火の粉を撒き散らして爆散ばくさんする。


 僕は爆風と轟音に、思わず腕を翳して目を細めた。


「……!?」


 反射に先を越され、漸く何が起きたのかと思った時。餓者髑髏がいた残火の奥で、背を向けて立っている影に気付く。


 微かに見えるのは七分丈の赤いジャージと、空になった朱色の鞘。


 彼女は、百の鬼を討つ者。


 元は百鬼夜行を退治する為に生まれた、妖怪絡みの事件事故処理の専門家。『鬼討おにうち』。


 影が刀を収めると一斉に残火が消え、影改め一番合戦さんは、僕達に向き直る。


「無事か」

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