アクロバティックかぐや姫
然し流石は、一時間に四本しか電車が走らない町。
人工物より自然物が遥かに面積を占め、山も海も近く農家も漁師もおり、朝は早いが夜になると、死んだように静まり返る。
僕が住む辺りは県境となっている山側で、昔はこの山自体手つかずだったが、開発の際に中腹まで削って高台を作り、そこに建てられた住宅地に住んでいる。
自転車を飛ばせば三〇分程で行ける海が見え、天気がいい日は空港から離発着する飛行機が尾を引いて小さくなっていく様まで見れて、田舎の醍醐味とはこういう事なのかと思った。
尤も夜となった今は、距離感すら分からない。特に自宅付近は山なので、田畑が多く明かりが少ないのだ。唯一の道標となる街灯は、何だか大分短く見える電柱にくっついて、切れかかりながら頼りない光を放っている。……電柱に薄く苔のようなものが生えているのだが、大丈夫だろうか。
僕の家が建つこの山は、裾は竹、頂上に向けては雑多と、何故だかきっちり二分されたように植物が広がる。その中腹を拓いた地に建つ自宅までは、蛇のように曲がりくねった緩やかな坂道が続いて、途中で竹藪を挟むともうそこだ。その竹藪が最も暗く、不気味な場所ではあるのだが……。
確か越して来た住宅地の名前が、
新興住宅地の名前ってその地域に全く即していない、業者側のセンスによって付けられているのが殆どだけれど、だから時間が経ってすっかり地域に馴染んだ頃には、いつまでも新鮮味を引き摺る痛いカタカナ名だと哀愁を感じるのだけれど、この
新興住宅地なのに敢えて『
何だろう、よくあるカタカナ表記でフレッシュ感を与える名前の新興住宅地って、キラキラネームを付けられた今時の子供の未来を見ているような気分になるのだ。はしゃいで後の事を考えずに付けちゃったんだなと。
そりゃあ業者からすればぴかぴかの新商品なんだから、古風路線な名前を付けようなんてまず思わないだろうけど、住む身としては変に背伸びをしないで欲しい。無駄に若々しい名前だと時代を感じてしまう。もう一〇年後ぐらいには。
その点この
今知ってる人で一番話しやすいのは……やっぱり一番合戦さんかな。何だか名前の所為で、駄洒落っぽくなってしまったけれど。どの辺に住んでるのか全く知らないが。
あの電話の後教室に鞄を取りに来たっきり、早退したのか姿が見えなくなってしまったけれど、勉強は出来るのだろうか。有事となれば学校も抜けなければならないから、改めて大変な仕事だと思う。やっぱり特殊な地域性とは言え、一応はいるらしい。
と、気を逸らしてはみるが怖い。
いや本当に真っ暗なのだ。まあ過去の生活上夜目は利くから暗いのはいいとして、ちょっと静か過ぎる。
車は一台も通らない。そもそも人とすらまだ一度も擦れ違っていない。音は自分の足音と息遣いだけで、ここには本当に人間が住んでいるのかと疑いたくなってくる。もうすぐそこなのは分かってるのに。
田舎は田舎で虫とか蛙の鳴き声がとんでもないから、都会の人が思ってるような静けさではないよという話は聞いた事があるけれど、 まだ秋なのに何故だかこの山は虫の声がしないのだ。いやこの山全域と言うか、今僕が歩いているこの竹藪だけ。
遠くからは確かにしっかりと、鈴虫などを代表に秋の虫達の声がしっかりと聞こえてくる。多分住宅地の裏にある山や、池の方にある草むらから聞こえているんだろう。住宅内に入ったら、確かに虫の声はしっかりするのだ。
焦っていたので飛び出して来た時には意識が回らなかったけれど、今思い返すとおかしい。
「…………」
緩やかな上り坂を歩き続けているのとは別の理由で、脈が上がった気がした。
軽く弾んだ息が純粋な運動によるものなのか、ちょっとだけ疑問が浮かぶ。
「…………」
田舎怖い。
都会出身でもないけれどここまで山深い所で育ってもいないのでついていけない。
いや元々夜間にバリバリ出歩いていた夜こそ本番の夜型人間だったけれどこれは怖い。今丸腰だし。
いやいやでも、ここはあの町のような体制を取っていないから平気だろう。ある非常時に機能すべき組織が無いというのは凄まじい不安だが、そもそもこの町は例外的に、その恐れるべき不安自体が無いんじゃないか。欠落しているのではなく、必要が無い。
その非常時一点から見れば、ここは国で最も安全な町なのだ。これまでその特定の非常時に晒されていた生活なんだから、これ以上安心出来る場所なんて無いだろう。まさかそんな土地に一番合戦さんのような人がいるとは予想外だったけれど、寧ろ安全性が増したので頼もしい限りじゃないか。
友達が死んだり家族が殺されるような危険に晒される心配から永劫解放されたのだと思えば、天国と言って過言じゃない。ここは地上の楽園だよ。暗くて人が少な過ぎるだけで何ビビってるの。
やり直す、ではないけれど、やり直しなんて利く事じゃないけれど、心機一転して生きると決めたんだから
「どぉおおおおおおぉ!!」
「わああああああああ!?」
突如バキバキとけたたましい音が竹藪を突き破り、左手から眼鏡をかけたボブヘアの少女が転がり出てきた。
何故夜中の竹藪から文系の香りのする、無改造の制服を着た眼鏡少女が転がり出てくる。
その竹と見紛う程の細身からは想像もつかない華麗な受け身を決めたアクロバティックかぐや姫は、僕と合った目を見開いた。
「って、
「えぇえ
車道の真ん中で華麗な受け身を決めたのは、何と我がクラスの委員長、
一番合戦さんを除いて、現状名前を憶えている唯一のクラスメートである。
転校初日でもたもたしている僕に、何かと気遣って一番声をかけてくれた。グループワークやお昼ごはんが一人にならなかったのは、彼女がクラスに呼びかける形で先導してくれたからである。
学校案内をしてくれたので勝手に一番合戦さんが委員長だろうかと思っていたけれど、豊住さんが担っているらしい。一対一で接した一番合戦さんと比較するのは難しいが、彼女とは別方向の主導力を持っていると感じた。
率先して前に出て、力強く引っ張って行くという一番合戦さんに対し、自分が引っ張るというより周りを促し、みんなと同じ歩幅で歩こうというのが豊住さんだ。同じ安心感でも頼もしさから来るのが一番合戦さんで、連帯感を重んじるのが豊住さんとも言える。見た目や言動は豊住さんの方がとっつきやすいし、口調が穏やかで話していても緊張しない。
悪口じゃないけれど一番合戦さんは、いい意味でちょっと近寄り難いのだ。凛とし過ぎて。
少し小柄でおっとりした顔付き、図書室にいそうな雰囲気を助長させる丸眼鏡と言い、名実の揃ったまさに委員長。然しそんな彼女がこんな時間に制服姿のままは疎か、鞄も提げっ放しなのである。
まさか夜遊び? この町に遊べるような場所なんて……。いや待って今この人竹藪から出て来た。
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