18

彼女の赤は


「ねえ」

「…………」

「ねえってば」

「…………」


 この野郎。


 放課後を迎え、体育館裏に来ている僕は、足元の影をむっと睨む。


 昼休みに一番合戦さんと約束した通り、元ブラックドッグとコミュニケーションを取ろうとしているのだ。

 しているのだが、もう三〇分はこんな調子。人目を避けていても、完全に怪しい画だ。


 一応攻撃的な百鬼として、完全にではないが変換された死神の力。それは僕とこいつに、きっちり半分ずつ編集権を与えられているのではないらしい。


 僕達がこの姿に落ち着いた当初、こいつは僕の影から出れずにいた。だから初日の――人狐戦直後の散歩は、僕が早朝から町を彷徨うという迷惑な形となっている。

 なのに春ぐらいだろうか。三年生への進級を待たずして、気付いたら僕の影から出れるようになっていた。

 夜限定のようで、明るい場所にいる時は出て来ない。どういう仕組みなのかと尋ねても、悪さはしないと言うだけで教えないし。


 確かに出て来るのは、僕が夕飯を終えて寝るまでの僅かな間。僕が自室にいる時にしか現れないから、犬としての姿が見えているだけで、影の中にいる時と変わらない。勉強中なのに話しかけてきたり、普通にベッドの上で寛いだりしている(邪魔)。

 散歩はやっぱり欠かせないようで、ていうか影から出て来ようと僕から離れる事は出来ないのか、僕が早朝に町を彷徨うという奇行は、人狐戦から毎日続いている。でも考えてみれば、不自然ではない話だ。

 死神の力を液体と捉えると、僕の色とこいつの色に着色された水が混ざり合い、一つの容器に収まっているという状態である。あらかじめ仕切りをされた容器の中に、きっちり二色の水が分けて注がれている訳では無いのだ。範囲は限定されているとは言えど、ある程度は自由に出来て当然である。使用者が二人いるだけの話なのだから。同じ容器の中で勝手な事をされているから、気に障るだけで。


 ん? という事は、僕もこいつに何かしら、干渉出来る力を持っているという事なのだろうか。


「…………」


 そんな簡単にいくだろうかと思いつつ、屈んで影に手を伸ばしてみる。

 泥に入れたみたいに、すぶっと手が影の中に沈んだ。冷たくて気持ち悪い。

 目当てのものはすぐに見つかって、引っ張り上げてみる。


「いぃてててててててて!? 耳引っ張んなコラ!」


 右耳を引っ張り上げられた元ブラックドッグが、影から顔が出た所で吠えた。


「大きな声出さないでよ」


 手を離すと地面に片膝を着いたまま、元ブラックドッグを睨む。

 自分でやっておいて文句は言わないけれど、僕も右耳が痛いのだ。


 こんなに簡単にいくなんて。バレるとまずいから黙ってたな。

 まあ当たり前か。僕はこいつでもあり、こいつは僕でもあるんだから。ある程度自由に出来はしても、所詮お互いからは逃れられない。


「昼休みの話、聞こえてたでしょ?」

「だったら何だよ」


 やっぱり無視してた。

 元ブラックドッグがぶすっとしながら全身を現すので、僕も立ち上がる。


「だったらじゃなくて、まずは無視するのをやめてよ。話にならないじゃないか」

「お前だって何かにつけて俺を敵視すんじゃねえよ。こう一緒にいるとなあ、喋んなくても分かんだよ。どんだけお前が俺を嫌ってるか。何もしてねえじゃねえか」

「人目も気にしないで急に喋ったりするからでしょ」

「お前が静かにしろ静かにしろってうるせえんだろうが」


 ああもう。


 一番合戦さんじゃないけれど、腕を組んで息を吐く。


「へっ。何だよまたこんな薄暗い所で。辛気臭え」

「死神の使いだった人が何言ってるの」

「人じゃねえよバーカ」

「今は半分人みたいなものでしょ」


 ムカつく。


 イライラを全力で堪え、言葉を返す。


 何で一番合戦さん、こんなのと落ち着いて話せるんだろう。呆れが回って気にしてないのかな?

 真面な会話が出来るようにならなければ。まずは一番合戦さんと僕の、こいつに対する対応の違いとは……。


「何であの姉ちゃんいねえんだ。どっか行ったのか」

「市役所だよ。聞いてなかった?」


 ほんとに一番合戦さんが好きだな。

 目を閉じて、集中しようとした所に喋り出され、眉間に皴が寄る。


 確かに元は伝書鳩で、今は僕の半身だから退治される事は無いけれど、百鬼を払う鬼討を好むなんて、百鬼としてどうなのかと思う。

 一番合戦さんも特にこいつを好いている訳では無いし、寧ろ面倒そうに昨日はあしらわれてたし……。何でそんなに。


「シヤクショお? 知らねえな。俺は人間の世界を歩き回りはしたが、社会にまでは詳しくねえ。赤と青と、黄色の変なチカチカしてるヤツに、どいつもこいつも従順だって事ぐらいしかな」

「それは信号機っていうんだよ。事故が起きないように、人と車を時間差で移動させる為の機械」

「ふうん。何で赤と青と黄色なんだ」

「さあ。三原色から取ったんじゃない」

「サンゲンショクって何だ」

「知らない」

「人間のくせに人間が作ったものを知らねえのかよ」


 めんどくさい。


「人は沢山いるから、それらが作り上げた仕組みを全部知るのは、多分不可能だよ」

「じゃあ何で赤で人は止まるんだ」

「危ない時に使う色だから。青の時は進めで、黄色の時は気を付けろ」

「じゃああの姉ちゃんが赤色なのは正解なのか」

「そうだね」


 無論適当である。


 ジャージは学校指定のもので、学年ごとに色分けされているだけのものだし、鞘も別に、ああいう色が好きだから朱漆塗しゅうるしぬりにしたんだと思うけれど。

 警戒色として自分を赤に染める人なんて、動物でもあるまいしそんなのしない。


「そうだな。あの姉ちゃんはあけえ。血より濃い、憎悪のような赤色だ」


 目を開けた。

 とんとんと、組んだ腕を叩いていた指が止まる。


「……どういう意味?」

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