言伝に黒い花


 元ブラッグドッグは矢張り、意味ありげな顔をしていた。

 その声に聞き覚えがあったのである。

 人狐を倒す直前に交わしたあの遣り取りの中、最後に見せた不吉な笑みに。


「本人に訊けばいいじゃねえか。何か最近、嫌な事でもあったのかってよ」

「どういう意味で言ったのかって訊いたんだけれど」

「どうもねえよ。分かり切った話だ。お前みたいな、にぶい人間には分らねえ話だよ。お前は考えた事が無えのか? 何であの姉ちゃんは、ああいう姿をして生きているのか」

「……ああいうって」

「天才の鬼討。一般家庭の出でありながら、一代で常時帯刀者。人間の社会には疎いが、鬼討ぐらいは知ってるさ。退治される事はねえが、立場上よく見かけるからな。あれは異常だ。奇妙で不吉だ。それはきっと、名状しがたい哀れに縁取ふちどられてる。かつて死を司る者だった身として、何とも興味をそそられるぜ。いつも躱されるけどな……。分からねえか? お前、あれだけ毎日のように一緒にいて、分からねえのかよ? あの――」


 そこで着信を知らせる携帯に、つい気を取られ聞き逃す。


 後で思い出したけれど、それは矢張り思わせ振りな言葉で、結局質問には答えていなかったけれど、それでも聞き逃すべきではなかったと、僕は今でも後悔する。

 いや、悔やんだ所で、好転なんてしない話だと分かってはいるけれど、それでも一歩でも、一ミリでも、少しはましな方へ、変える事は出来なかったのだろうかと。


 つまらない事だ。彼女はきっとそう言った。こんな僕の考えを話しても。


 全ては既に、決まっていたのだから。僕が生まれるずっと前、あの人狐が豊住志織を名乗るよりも、まだ遠い過去に。僕という外野が憂いた所で、彼女の結末は変わらない。


 変える事が出来たとすればそれは――。誰だったのだろう。


「あ、九鬼くん? うぃーっす。まだ学校にいる?」

沼地ぬまちさん? どうしたの?」


 今日同じ掃除当番だった、クラスメートの沼地さんからだった。

 掃除を終えた僕は鞄を教室に置いたまま、この体育館裏に直行している。


 沼地さんの方は外だろうか。後ろが少しざわついてる。


「いや、今帰ろうとした所なんだけどさ。正門の前にいるんだけれど、九鬼くんの知り合いっぽい子に呼び止められて。今目の前で待って貰ってるから、ちょっと来てくれないかな?」

「知り合い……?」


 脈が上がる。


 枝野組の誰かだろうか。それとも組とは関係無い、普通のクラスメートだった誰かとか?

 でも引っ越す際の住所は当代様にしか伝えてないし、有り得るのはやっぱり枝野組。でも当代様がわざわざ、こんな所まで来るような用なんて……。


 慎重に言葉を吐いた僕に、沼地さんはあっさり言った。


「うん。中学生だって。女の子。びっくりしちゃった。いきなり呼び止められたと思ったら、助広すけひろ兄様にいさまのお友達ですかって言うからさあー。……え? 何? いやだってさっき言ったじゃーん」


 沼地さんの話はまだ続いていたが、僕はもう聞いていなかった。

 そこで電話を切って、携帯をポケットにしまうと、正門へ走り出していたから。


 ――あの焼けただれた死肉の、いーい匂いを。


 僕の顔色から何かを察したのか、そう言っていた元ブラックドッグは、既に影へ戻っていた。



 正門に着くと、沼地さんは一緒に帰る所だった友達と待ってくれていた。僕に気付くと「じゃあねー」とだけ言い残し、ひらりと手を振って去って行く。


 途中で電話を切ってしまった事を謝ろうと思っていたが、そのカラッとした笑顔と颯爽とした去り方に、つい見とれて呼び止めるのを忘れてしまった。めちゃくちゃ粋。

 そう言えば沼地さんは一番合戦さんと仲がよくて、二人の気が合うのはこの辺りなのだろうかと思った。


「お久し振りです。助広兄様」


 しんとした正門の前で、ぺこりとその少女はお辞儀する。


 凛とした声は緊張気味で少し固かったが、その所作には刷り込まれたような慣れと品を感じ、その辺りにいそうな女子中学生という、庶民的な雰囲気を寄せ付けない。

 今時珍しい真っ黒いセーラー服を着て、その上におかっぱの頭がちょこんと乗っていた。遠目で見たらこけしに見えるかもしれない。然し上げた顔にのっぺりとした印象はまるで無く、淑やかでありながら意志の強い目が、 真っ直ぐ僕を見据えている。


「枝野組所属、黒川くろかわはな。只今参上致しました。――突然の無礼をお許し下さい助広すけひろ兄様にいさま。今日はどうしても、兄様にお伝えしたい事があります」


 黒川家。枝野組に属し、成瀬なるせ笹原ささはらに次ぐ歴史を持つ、古い家だ。


 そこの長子であるはなは、次の黒川を担う者として、昔から重圧に苦しんでいた。長い家故に何本も神刀を所持していながら、何故かその中でも、一番出来の悪い刀しか扱えないと。よく先輩や僕の所に寄って来ては家の人に隠れ、内緒で剣の稽古を頼まれたのはいい思い出である。今年はもう受験生か。きっと旧家らしく、あの地元の進学校に通うのだろう。


 成瀬と笹原がああなった現在、組の主戦力を担っているのは黒川の筈だ。大きな組がある地域は、それだけ百鬼の出現率が高い。


 昔から真面目で、礼儀正しくて、絶対に泣いたりしない子だったけれど、今日は目が潤んでいた。


 先輩を殺した僕が憎いのか、その上黙って消えた事への恨みだろうか。何を言われても仕方が無いと言い聞かせるが、流石に彼女に責められるのは胸が痛いと、覚悟をしながらも恐れてしまう。


 じっと言葉を待つ僕に、腹を括った花は言う。


「枝野組が、解散致します」

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