嫌いと苦手


「……じゃあ一番合戦さんのおかずが一つ減っちゃうから、僕のもお一つどうぞ」


 軽く手でお弁当箱を押して、すっと前に出す。ご飯が処刑場のようだった。


「ん?」


 予想外だったらしく、一番合戦さんはまだ不機嫌そうに声を発したが、まあ文句は言わず箸を伸ばす。こんにゃくの炒め物。

 こんにゃくは唐辛子が練り込まれていて、所々に赤い斑点みたいなものが見えるやつ。僕は結構好きだ。


「ん、辛っ!?」


 ひょいと一口放り込んだ途端、一番合戦さんはびっくりして言った。


「へ?」


 今度は僕がびっくりする。

 お弁当を引き寄せて、摘まんだばかりのタコさんウィンナーの左半身がぽろりと落ちた。


「これっ、唐辛子……! 入ってるなら言えよ……!」


 口元を手で覆い、ギッと睨まれるが、表情は困っていて締まらない。普段ならあんなに目力があって怖いのに。


「え……いや、そんなに辛くないでしょ?」


 小さい子なら困るかもしれないが、少しピリッとするぐらいだ。


「よくないよくないよくない……!」


 一番合戦さんは机に置いていた伊右衛門に手を伸ばすと、慌ててキャップを捻って呷る。まだ手を付けていなかったのに、一気に半分ぐらいになった。


「……辛いもの苦手なの?」

「苦手じゃない」


 一番合戦さんはヒリヒリするのが嫌なのか、空気に触れさせていた舌を引っ込めて即答する。


「……今のは苦手な人が取る仕草だと思うけれど」

「苦手じゃない。嫌なだけだ」

「同じだと思うけれど……」

「全然違う」


 前のめりになってまで言って来た。

 凌ごうと適当に浮かべた笑顔が引きる。


 ……何か似てるな。こういう下らない事にムキになる所。先輩と。

 つい昨日夢に見たばかりだから、ほんとはそんなに似てないだろうに重ねてしまう。


「どっちにしても自分にとっては厄介なものではあるが、対応の仕方が違う」

「と言いますと」

「嫌いと言うものには攻撃的に、追い払うなどのこちらから動く対処が出来るが、苦手と言うものは対応するのも躊躇われるものだ。たじろいで逃げるぐらいしか出来なくて、いいようにされてしまうもの」

「それが自分にとって困るものという意味では同じなの?」

「そうだ。対応の仕方で呼び分けてるんだ。私にとっては苦手と嫌いは、全然違う意味になる。嫌いはまだましだ。苦手はもう駄目だ。辛いのは嫌いなんだよ。ヒリヒリする感覚が、火傷みたいで嫌だ」

「成る程ね」


 僕は笑いながら、こんにゃくの炒め物を口に運ぶ。


「馬鹿にしてるだろ」

「してないしてない」


 辛いものへの攻撃的な対応って、何だろうとは思うけれど。


 普通の女の子なんだよな。本当に。


 出会ってからの二日間、あの人狐と、ブラックドッグによる一連の事件に関わって、暫くするまでは圧倒されていたままだったけれど。

 あの出来事がたった二日の事だったというのにもいまいち実感は湧かないが、こうして何でもない日を重ねる度、一番合戦さんというのは、案外そこまで異彩を放つ子ではないと知る。

 確かにこの若さで常時帯刀者。かつ出身は一般家庭。鬼討という面で見れば彼女は確かに天才で、 異常と言ってもいいぐらいに飛び抜けている。でも普段の生活の中ではこの通り、下らない話もするし、馬鹿みたいな事もやる。もう得意な分野で突出しているだけで、至って普通の女の子だ。


 常時帯刀者になるまでの道のりを、是非元鬼討として聞いてみたいものだが、そこまでムキになって気にかける事でも無いと思う。あの人狐、豊住志織も、嘘だけを語ってはいなかったようだ。一番合戦さんとは、真面目さと優しさだけで鬼討になったと。

 実際一番合戦さんはあの日、半百鬼と化した僕に大泣きしたし、こうして共に背負うと言ってくれている。それがどういう意味になるのか、分かった上で。あの古参組達らしく、戦う理由が地位や名誉の為になってしまっていたら、こんな事は出来ないだろう。

 目の前のものを救う為になったんだな。彼女。


「何かヒーローみたいだねえ。一番合戦さん」

「ん?」


 思わず口に出していた僕の言葉に、一番合戦さんは目を丸くする。頬をご飯でいっぱいにして。ハムスター食い。


「いや、ほんとにいるんだなって、そういう人」

「何をまた急に」


 一番合戦さんはご飯を飲み込むと、またうんざりと卵焼きを口に運ぶ。

 照れ隠しと容易に分かったが、指摘しようとは思わない。


「――放課後になったら、役所に行って来る。そこからまた昨日の空き家の辺りを見回りして、適当に切り上げたら黒犬だ。 お前は非公式な身分だから役所にはついて来なくていいが、その間に少しでも黒犬と仲よく出来るように努めるんだぞ」

「じゃあ学校で待ってるよ。 空き家から近いし。一番合戦さんが市役所に行ってる間に、 ちょっと話でもしてみるから」

「分かった」


 一番合戦さんは少し真面目になっていた表情を緩めると、普通の女の子の顔に戻り、食事を続けた。

 僕はズボンのポケットにしまっている、携帯を見てみる。着信もメールも無し。


 当たり前か。


 机の下で確認を終え、思わず苦笑が零れてしまいそうになった。何の連絡も、入って来る訳が無い。


 もうすぐ先輩の、三回忌だ。

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