12

空隙

 一番合戦は追い込まれていた。

 鬼討の武器であり生命線の神刀が、その力を封じられてしまったから。

 

 否。


 神刀としての力を失った所で、常時帯刀者の剣術は劣化しない。本来神刀も、鍛えに鍛えた果てでの神格化であり、歴史を重ね、練磨の質を向上させた使い手の腕も、相当なものになっているからだ。換言すれば、剣客でなければ神刀は扱えない。


 火を吐けなくなろうと刀は刀。斬ろうと思えば斬れるのだ。事実彼女は七四匹もの人狐を一瞬で斬り刻んでおり、上位種に成り上がろうと同種に過ぎない残り一匹に、全く手が出ないなど有り得ない。


「人型の百鬼を斬った事がねえっていうのも致命的だっただろうな。普通の人間なら、分かってても抵抗を覚えちまう。それが知り合いの格好してるなんざ、考えるだけで恐怖だぜ。要は才能に経験が追い付いてねえ。そこに友達の姿した奴が現れて、平然と斬れる奴がどこにいるんだよ。とか、話だけ聞いた奴は思うんだろうな。一番合戦という人間を知らない奴は」


 豊住志織という設定に化けた狐は、切り裂かれた腹を眺めながら言った。

 古傷を開かれた格好の腹からは、だらだらと血が流れている。

 その興味の無さそうな目を、そのまま一番合戦に向けた。


 既成事実の満身創痍。その上疲労困憊が重なって、やっとの事で立っている。新たに受けた傷も重なり肩で大きく息をして、それでもその眼光は衰える事は無く、真っ直ぐ狐を見据えていた。悲しみも怒りも無い、ただただ強い目で。


「お前が言った事を曲げるかよ――たった一年程度の付き合いだったが、俺はお前に一度も嘘をつかれた事がねえって、胸を張って言えるぜ。例え本心と言葉がどれ程懸け離れていようと、一度口に出した事は絶対に曲げねえ。お前はそういう女だ。一番合戦」

「…………」


 一番合戦は何も言わない。

 疲れの所為か、痛みの所為か。


 狐は笑う。


「でも残念だな。身体が追い付かねえ」


 狐が言うには一ヶ月。

 まともに睡眠も取れず、活動しっ放し。いつ死人が出るかも分からない精神状態で、体力を削り続ける。狐にどういう感情を持っていようと関係無く、こうなるように計算されていたのだ。どれ程強く願おうと、身体が応えられないように。でなければ本来人狐が、常時帯刀者に勝てる筈が無い。

 歯が立たないのは、単に調子がわる過ぎるから。


「無理して格好つけやがって。この町から出て行きゃあ、殺す必要もなかったのによ」

「……名残惜しいんだ」


 一番合戦は、ゆっくりと口を開いた。


「お前の言う通り、私はそんなに賢くない。言葉は額面通り受け取るし……視野は狭いし、思い込んだらそれだけになってしまう。……余りに一直線だからだろうか、単に気付いていないだけか、嘘をつかれる事はそんなに無いんだ。……だから時たま、騙されたと分かった時は、本当に悲しい」

「何言ってんだ?」


 狐はにやにやと嘲笑う。


「……そのままだよ。狐だろうが狸だろうが。お前がいて……嬉しかった事に変わりは無いんだ。私は鬼討で、お前は百鬼だ。同情なんてしないけれど……。寂しいだけだよ」

「おいおい冗談やめろよ。まさか鬼討様が百鬼に情けを貰おうって話じゃねえだろうなあ?」

「……どんな名家も人狐を持っていると噂されただけで、孤立した末悲境に陥る」


 何か、覚悟を決めた一番合戦は切り出した。


きつねヅルが結婚すると、人狐が結婚先の家を襲う為……冷遇されたり、縁組みを避けられるからだ。……狐ヅルの家は人狐が富を運んでくる故豊かになるが、家の者が一度でも人狐を虐待すれば、絶対に没落する。……その没落した家産を買った者さえ襲うのだから、人狐とは本当に質が悪い。……だから狐ヅルは忌み嫌われ、迫害を避ける為ひっそりと暮らすんだ。その存在さえ記録に残されないよう……人目を避けて。狐ヅルがどこに住んでいるかなんて、明確にはまず記録されない」

「だったら何だよ」

「お前は知らないんだ」


 知らないんだ。


 一番合戦は繰り返す。


 じっと狐を見据えたまま。


 疲れや痛みで言葉が切れないよう、出来るだけ心を強く保って。


「四〇〇年程前……かつてこの地に、きつねヅルが住んでいた記録がある事を。丁度九鬼が住んでる、住宅街がある辺りだ。あれが出来る前、二〇年程前まであの山は手付かずで、業者が買い取って、工事を始めるまで知られてなかった。あの山中に一軒、崩れ落ちた日本家屋があるなんて。……調査依頼を受けた先代殿が、山の持ち主だった者に話を聞いて、初めて知られた。そこに住んでいたのは狐ヅルで、うの昔に断絶したと。未だにその人狐は死んだのか、この地にいるのかも分からない。町の歴史を見ても、恐らく姿を消しただろう。……名家ではなかったが、評判のいい農家だったそうだ。偶然拾ったそれを人狐と知らず、 正体を知られた周囲から……。迫害を受けた。やがて耐えかねたその家は……先祖代々守ってきた土地を捨て、あの山に籠もった。呪いなどかけていないのに。以来それでも、祟りなどの事件は起きていない。……お前は、戻ってきたんじゃないか? かつての故郷に、ただ自分の家に、帰って来ただけなんじゃないのか?」


 心から尋ねた。


 今まで一年間、今日ぐらい、この時ばかりは嘘をつかないでくれと願いつつ。


「九鬼を利用したのは、あいつが憎かったからじゃないか? かつて主人が住んでいた地に、偶然あいつが住んでいたから」

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