その黒は

「何だそりゃ」


 狐は下らないと吐き捨てる。


「こじつけじゃねえか。話を聞いたって事は口伝だろ? 信憑性なんてありゃしねえ。人の記憶なんて曖昧だ。絶対に間違い無い証拠でもあんのかよ? そもそも俺は、そんな話と関係ねえ。お前の勝手な妄想だ。一番合戦」


 どうして九鬼は一貫して「お前」だったのに、私はいちいち名前で呼ぶんだ。一番合戦なんて、わざわざ長ったらしい名を。


 百鬼は本来、人間を個体として識別しないのに。


 慕ってくれてたんじゃないのか。確かに私は、お前を拒絶しなかったぞ。人手不足だからとかではなく、見知らぬ自分を助けてくれると言ってくれたお前が、単純に嬉しかった。お前のようになりたくて、私は鬼討になったんだ。


 復讐しか無いだろう。憎しみしか無いだろうこの土地へ、成り上がってまで来た訳なんて。

 四〇〇年何があった。何を思ったんだ。こうするしかなかった筈なんて絶対無いぞ。現にこうして、お前を拒絶しない奴が、すぐ目の前にいるじゃないか。


「俺は、ただの狐だ」

「そうだな」


 全ての言葉を飲み込んで――一番合戦は苦笑した。


 何であろうと百鬼と鬼討。

 相容れる事は無く、許す事も無い。


 狐は既に危害を加えている。人間に手を出すのも時間の問題だろう。

 ならどうして、今まで人間を攻撃しなかったのか。そんなもの作戦に決まっている。狐が自らの口でそう言ったのだから。

 確かに四〇〇年も前の昔話。何が本当なのか分からない。その家の名が『豊住』と知っていた所で、確かめる術など無いのだから。あの九鬼の住む住宅地、古鶴台こづるだいという名が、きつねヅルから取った弔いの意味である名前なんだと言った所で、関係が無いのだからどうでもいいという話だろう。

 狐ヅルの狐を『こ』と読んで、 なるだけ縁起のいい、昔からずっとここにいたんだと伝える、古めかしい漢字を当てたんだなんて。


 今日も額面通り受け取ろう。


 今まで疑いながらも豊住志織と、この狐を信じてきたように。


 一ヶ月前と言い張るが、本当はこの町に来た昨年度の冬からずっと、密かに動物を殺し続けていたと知りながら、こんな日が来るまで確かめる度胸の無かった、騙し甲斐のある愚か者だと。


 奴の中にいる一番合戦とは、そういう女なのだから。


「お前は私がぶっ殺す」


 一番合戦は剣を構える。


 銘焚虎たけとら。虎の如く哮る炎が、万物を焼き尽くす剛の剣。例えその炎を封じられようと、根源である彼女の魂は消えはしない。


 意地では無く、慈悲でも無く、鬼討として奴を斬る。


 どうでもいい。

 何も感じない。


 可哀相なんて思わない。


 決して自分達は、友達ではなかったのだから。


「他の誰にも邪魔させない。子分宜しく、膾斬なますぎりにしてやるよ」

「……ハッ」


 狐は嗤うと隠れ蓑を捨て、本来の姿で地を蹴った。


 一番合戦は軋む身体を動かし、死力を振り絞って応戦するが、呆気無く手から剣を弾き飛ばされる。


 ――……クソッ。


 振り上げた狐の爪が、白い喉に食い込んだ。

 首を引き裂かれるその間際、どうんと重量のある何かが彼女らの側に落下する。

 どちらもその正体に気を取られる隙も無く、それは狐を殴り飛ばした。


「ぐあっ!?」


 狐は苦悶の声を上げる。

 次々と電柱を叩き折り、電線と絡まりながら、交差点を越え幅の広い川へ落下する。


 狐の姿が見えなくなった一番合戦は、目の前の巨体に言葉を失った。


「…………!?」


 月明かりさえ吸い込むような、黒い人型。


 獣の臭いを纏い、尾を垂らすその赤い目は、どこかブラックドッグを思わせた。


「……おおかみおとこ……!?」


 端的にその姿を表した一番合戦に、『狼男』は目を向ける。

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