狼煙を上げろ
満身創痍の一番合戦さんに、狐は嫌らしい笑みを浮かべる。
「……ああ?」
次の瞬間、炎の壁が狐と一番合戦さんを取り囲んだ。
厚く熱く燃える壁の先、殺すような虎の目が、強く狐を
「……離れろと言ったんだ」
でもどうしてこんな事を。あの狐には火が効かないのに。
「騙し甲斐がある女で結構」
一番合戦さんは傷が痛むのか、空に振り上げていた
「お前が狐だろうが狸だろうが、私がどれだけ愚かだろうが、そいつには指一本、死んでも触れさせない」
違う。
僕は気付く。
閉じ込めたのは狐じゃなくて、一番合戦さん自身だ。
所詮は元に過ぎない鬼討の僕と、現役かつ本来なら勝てない一番合戦さん。
どちらを先に殺すべきかなんて、考えるまでも無い。
「九鬼」
目を疑う僕に、一番合戦さんは強く呼びかける。
「巻き込んで済まない。全て私の責任だ。身命を賭してお前を守る」
「そんな、待ってよ――」
「くぉん」
狐は僕を一瞥しながら嘲笑うと、一番合戦さんに向き直る。
「カッコいいじゃねえか――惚れそうだぜ。情より道理。一年とは言え共に戦った相棒よりも、昨日越してきたばっかの他人を取るってか。辛かったんだろ? 一人の鬼討時代。あっと言う間の人生の大事な一年……然も掛け替えのねえ学生時代を共によお。やっとこさ共有出来る友達が出来て、嬉しがってたじゃねえか」
「嘘をつくぐらい許すが、刺してきた奴を友達と呼べる程には出来てない」
一番合戦さんは刺された腹を押さえながら、刀を狐に向ける。
「私の役目は、鬼討とは、百鬼を斬り人々を守る者だ。例えどんな苦境でも、この魂は渡さない」
「かぁーっこい」
狐はこの期に及んで、豊住さんの姿に化けてみせる。
いや、豊住志織という設定の、架空の人間に成り済ます。
「斬るんだ? 私の事」
一番合戦さんは、両手を広げる狐を見たまま鋭く言った。
「逃げろ九鬼」
僕は一番合戦さんを見たまま、強く拳を握る。
「……嫌だ」
何だよそれ。
そんなの、出来る訳無いじゃないか。
こんな、置いて行かれる所か、見殺しにするような事なんて。
全部僕が悪いのに、何で全部引き受けるんだよ。言わなくていいって言われたのに、僕がこいつに話したばっかりに。何で怒らない所か、命懸けで守ろうとしてるんだ。
何にも知らないで、傷を抉るような事しないでよ。
「私の事は気にするな。早く行け!」
「嫌だ!!」
「お前は何も出来ないだろうがッ!!!」
痺れを切らした一番合戦さんは叫ぶ。
その咆哮は、ぐしゃりと僕の胸を押し潰した。
僕は突き付けられる現実から逃げるように、無我夢中で走り出す。
どこを目指す訳でも無く、ペース配分もフォームも何も無い。息継ぎも出来ないぐらい頭は真っ白でめちゃくちゃで、転がるように走り続けた。
気付けばどこかの山の中に入っていて、木の根っこにでも引っかかる。受け身も出来ない僕は無様にも、正面からすっ転んだ。転んだ痛みよりも、胸が苦しくて息が出来ない。
「はあっ! はあっ! はあっ! はあっ! はあ……!」
どうしよう。
一番合戦さんが死んでしまう。
一番合戦さんじゃあいつに勝てない。
一番合戦さんはあいつを斬れない。
無理なんだ。
見てしまった。
またあいつが人間の姿に化けた時、焚虎の切っ先が震えた事を。
一番合戦さんにとって、あいつは豊住さんのままなんだ。犠牲にするぐらいなら自分の腹を斬って死ぬぐらい、大事な友達のままなんだ。
あいつはそれに気付いてる。あいつこそが僕よりも分かってる。自分が一番合戦さんにとってどんな存在か。一番合戦さんがどれだけ優しいか。
一番合戦さんが殺される。
勝手に一番合戦さんと先輩を重ねて、僕が嫌な思いをしたくなかったばっかりに。
「嫌だ……!」
僕はどうなってもいい。何とかしなきゃ。
どうやって?
僕には神刀も無いし、助けを求めるにもこの町に鬼討はもういない。
助ける方法なんて無い。
助ける資格さえ持ってない。
僕に出来る事なんて何も無い。
終わってる。
完全に。
考えるまでも無く。
これじゃあまるで、僕がブラックドッグみたいじゃないか。
「はあっ……はあ……! ……ブラックドッグ?」
目前に迫る死を告げに現れる、ヨーロッパ生まれの百鬼。
――生まれた目的を
――まあ私達の神刀宜しく、時間は物に魂さえも宿すからね。既存の怪談や百鬼も時代を経て変わっていくし、どこからが旧作で新作なのか、純粋な新種とは何なのか、中々判断が難しいけれど――
「ある?」
助ける方法が。
誰もいない山の中、僕は倒れたまま呟いた。
不気味でしょうがないけれど、もうそんな事はどうでもよかった。
助けられるかもしれない。先輩の教えと、一番合戦さんの知識を合わせれば。僕が人間をやめれば、もしかすると。
駄目で元々。それでもいい。
僕は土を掴むと、痛みを堪えゆっくりと立ち上がる。
「……僕は、イチバンガッセンを知っている……」
聞こえないのか。出来の悪い使い魔が。
どうせどこかで、おろおろと探しているんだろう。
お前は主人に従い続けないと、消えてしまうのだから。
胸いっぱいに息を吸い込んで、力の限り空に叫んだ。
「来いブラックドッグ!! 約束を守ってやる!! 僕は――一番合戦さんを知っているぞ!!!」
矢張り、音も無く現れた。
希代の鬼討を呆れさせる怠け者。
主は死を司る神。
赤い目をした、黒犬が。
「どしたい自殺志願か? こんな山ん中で……。生きてりゃ楽しい事もいっぱいあるぜ?」
ブラックドッグは目を丸くして、死神の使いらしくない事を言う。当たり前みたいに人語を使って。のんびりした奴だ。
時間が惜しいので、単刀直入に切り出す。
「昨日探してた人間がいただろう。知ってるから居場所を教えてやる」
「マジでか!」
ブラックドッグは目を輝かせたと思うと、尻尾をぶんぶん振りながら寄ってきた。
「いやー困ってたんだよ次失敗したらマジ消すからなって脅されててよお! で!? で!? どこにいんだよ今そいつ!」
全然焦ってないので食い付かないかと思ったけれど、予想通りの反応に内心胸を撫で下ろす。
「その代わり条件がある」
「んあ?」
足元まで来ていたブラックドッグは尻尾を止めると、僕を見上げてぽかんとした。
その間抜けな顔を見ながら、覚悟を決めて息を吸う。
「お前、僕の
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