08

一〇万以上の怪異

「話せる事は何も無いのです。うーーーーーーん……」


 先輩は唸りながら、椅子に座ったまま伸びをする。

 机の上には資料が山のよう。床まで散らかっているその量から、この短時間で相当に根を詰めたらしい。と言うか先に上がったからと僕が来るまでの三〇分前後の間にこれを全部読んだって、先輩は影分身でもしたのだろうか。


 広大な敷地を持つ、武家屋敷のような趣の枝野家敷地内には、この地域で起きた様々な怪談が記された書籍や資料が並ぶ、保管庫がある。


 保管庫と言っても納屋ではなく離れ屋敷みたいなもので、僕の家よりも、地元の図書館より遙かに大きく、最早壁面と化した天井まである本棚が、威圧感たっぷりに四方を囲んでいる。

 その蔵書量は一〇万冊を越えてから、面倒臭くなって勘定されておらず不明。


 薄暗く埃っぽいその中で、先輩は長机の前に掛けている。先に聞き取りを終えたそうで、辻斬つじぎりの件を調べていたのだ。


「つまりお互い収穫無し……。まあそんなに簡単に見つかるなら、とっくに解決してるってね」


 残念がっているが、昼間のやつれた様子はどこにもない。まだヒントすら見つかっていないが一度目標が見えた以上、この先輩は減速しない。


 然し、辻斬つじぎりに殺され化けて出る怪談ならまだしも、辻斬が幽霊になる怪談の調査も難航した。

 百鬼のデータバンクとは大凡が体験談で、その町の元締めが纏めて管理しているのだが、町の人間が遭遇しない限り既存の百鬼でも更新されない事があり、それらしい怪談はまだ見つかっていなかった。


「先に余所の組に資料提供頼んだ方が早いかな……? もしかしたらその百鬼、渡り歩いてるかもしれないし。この辺に留まってるかもって思い込みが、調査を阻害してるかも……」

「……あの、せんぱ」

「よし。ちょっとこれ片付けといてくれる? 今から隣町行って、あっちの組と話してくるから」


 先輩は席を立つと、正面に座る僕へ保管庫の鍵をパスしてきた。


「え!? ちょっ……!」

「床に落ちてるやつからお願いね。見つかったら怒られる」


 何とかキャッチした所に追撃を浴びる。

 もし先輩が不在の間にご両親のどちらかでも入ってくれば、怒られるのは僕ではないか。


「ああいや。今日はちゃんと九鬼くん上げてるの伝えてるから。どっちが散らかしたかぐらい親なら分かるって」


 黙って上げていたパターンもありうるような言い方に、戦慄する僕だった。


 昔からよく出入りさせて貰ってはいるけれど、先輩に挨拶を任せた時は何回ちゃんと伝えられていたんだろう。

 下っ端の下っ端みたいな分際で、元締めの家に無断で出入りって。古参組に知られたらまたいびられる。

 百鬼を相手取る仕事だから活動は夜が殆どで、場合によっては閉め切られた建物や個人の家に侵入しなければならない事があり、鬼討を務めるに当たって必要な技術として、ピッキングの習得が恒例化し始めたのは古い話でないけれど、無理矢理こじ開けて入ってないのに疑われるような事はやめて欲しい。ただでさえコンビである先輩がピッキングが大の苦手だから、補うように僕が担う内に、この辺りで一番鍵開けが上手いと有名なのに。

 針金やヘアピンだけでピッキングする事自体は可能だが、専用の道具を用いらず開けるのは高い技術を要し、映画のように数秒で開けられるのは本当に凄い事なのだ。……気付いたら出来るようになってしまっていたけれど。鍵開けの九鬼なんて呼んでくる人もいる。


 じゃなくて。


「いやあの、先輩」

「大丈夫適当に古参組から付き添い頼むから。単独行動はしないし、上手く言って内緒にしとくよ。何かあったら連絡してくれればいいし。そんな事より、私のいない間に黙って一人でフラフラしちゃあ駄目だかんね」

「それは勿論……」

「じゃ、あとしくよろー。床からだからね。何か分かったからすぐに連絡するから!」


 徐々に早足になっていきながら言い終えると、走り出してあっという間に行ってしまった。

 いつもの調子に戻ってくれたのは、嬉しいけれど。戸も開けっ放しだし。


「片付けといてって……」


 静かになった保管庫内で、僕は辺りを見渡した。


 最も深刻なのは机の周りだが、庫内全体が雑然としている。


 幸い蔵書量の把握は放棄されているものの、図書館のように全ての書籍に分類番号が振られているので、棚を見れば片付ける位置は分かるのだけれど、もう何と言うか、素直な感想として。


 自分でやってよ。


 そう思わずにはいられない有り様だった。


 小さな台風が発生して、庫内を駆け回ったかのような惨状である。ギャグ漫画しか読まない相当な速読家とは知っていたけれど、他の分野にも通用する能力だったらしい。だったら英語の教科書を理解するのはどうしてあんなに遅いのか。からっきしである。何だかもう、ただ散らかす為に移動させられた本達に見えてきた……。

  どういう視点で先輩は探していたのか、それを元に別視点から僕が調査出来る情報達でもあると、考える事も出来るけれど。探し物をしている時に限って、見方を変えればぽろっと出てくる事も間々ある。先輩の視点を元に、別視点からのアプローチも悪くない。


「どっちにしたって、このまま帰る訳にもいかないし」


 鍵を預けられた時点で、現場を目撃していなくても僕が真っ先に疑われる。


 それを「いえ、これは僕じゃなく先輩が散らかしました」と訂正するのも、残念ぎるししたくない。小さいと言うか、惨めと言うか。僕にはこの道しか無いのだ。


 然し、然しである。ぶつぶつ言いながら作業を始めている僕ではあるが、もう少しこの聞き取りの結果を、先輩と議論したかった。


 別行動が嫌なのではないし、百鬼と直接対峙する時以外の仕事はよく分担をするので、別に僕以外の人を随伴に選ばれるのが嫌でもないけれど、このまま別の案を取るのは、何だか早計に思える。もっと吟味すべきと言うか。被害者の相方達を疑っている訳では無いけれど、聞き取りの際、妙、に感じた。


 話せる事は何も無いんだ。

 話せる事は何も無いんだ。

 話せる事は何も無いんだ。


 一通り聞き終えた最後、そう全員にやんわりと釘を刺されたから。まるで示し合わせたように、もう二度と、来られないようにと。先輩の結果を聞いても同じような事を言われていたし、やけに言い回しが似通っている。

 同じような経験をしたから、表現が似たのだろうか。大事な相棒を失ったばかりで、何度も根掘り葉掘り状況を尋ねられるのは、何だか責められているようで、確かに苦痛だけれど。

 全員が全員、目を離した隙にいなくなったって。第一の被害者である成瀬家がやられた際に、単独行動はご法度だとあれだけ強く枝野家が通告したのに? 離せないだろう。普通。

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